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June 19, 2007

書談:熊野純彦著『メルロ=ポンティ』

Merurokumano■『メルロ=ポンティ 哲学者は詩人でありうるか?』(シリーズ・哲学のエッセンス)
著者 :熊野 純彦
価格 : \1,050 (本体 : \1,000)
出版 : 日本放送出版協会
発行 : 2005.9
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先々週くらいに読み終わった。100頁ちょっとのものであるが、内容は濃かった。話が網羅的ではなく、主著『知覚の現象学』に絞ってあったのがよかったのかもしれない。

船木亨さんのは、なかなか本題に入らない感じでちょっといらついた。本書でワンステップついたので、船木ちくま新書⇒現代思想の冒険者たちで読んでいこう。ああ、ちくま学芸文庫のコレクションも忘れずに。

シュナイダーの症例・幻肢からどのような身体論を導き出したかったか、とか、
描写された図面、遠近法や立体図示と実体物の差異、なんかがよく説明されているが、それと彼の哲学の関わり合いが理解できた。
(立方体を図示したとき、我々はなぜ、実物の立方体を想致できるか、なんて何かおもしろいんだろう、と思っていた)

しかし、また、メルロ=ポンティの実際の文章は、他の哲学者たちと同様に、難解である。それに対して本書は非常にわかりやすい。時々、哲学者の説をわかりやすく、「翻訳」してもよいものだろうか、と思う。

難解な絵画とか、音楽とか、この世には多く存在する。しかし、それを解説することで理解できるだろうか。哲学は言語でできている。その解説を言語ですることに意味があるだろうか。ならば、絵画を絵画で、音楽を音楽で解説することは可能であるだろうか。よく語られることであるが、本書が優れていた故に、そのことを強く思った。

・哲学者の業績を記述するのも難しい。取り敢えずウィキペディアにはこうある。

モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908年3月14日 - 1961年5月4日)は、フランスの哲学者。現象学を学び、その発展に尽くした。

彼の哲学は「両義性の哲学」「身体性の哲学」「知覚の優位性の哲学」と呼ばれ、従来対立するものと看做されてきた概念の<自己のの概念>と<対象の概念>を、知覚における認識の生成にまで掘り下げた指摘をしている。 例えば、「枯れ木」があるとします。 子供の頃(最初に見た時)は、「枯れ木」という存在を眼で見て、「枯れ木」は<名前のない現象として>知っていますが、「枯れ木」という言葉(記号)を知って初めて、恒常的に認識出来るのですね。そして、「枯れ木」という現象が「枯れ木」というものの(同一言語下で)共通した認識を得るのですね。

≪それは、「枯れ木」を含む場景を見て知っていたが、「枯れ木」という言葉を知らなかったので、「枯れ木」を知らなかった。≫という言葉に理解を求めたい。

今は本を読む時間がとれるので幸せです。ああ、本の紙魚になって暮らしたい。今日も人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
≪コメントは応接室にお願いします。≫

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