デジタル・ナルシス
友蔵似のひげおぢちゃんが日立評論でインタビューの連載してます。今回は、西垣通先生です。
西垣先生はアマサイの注目度No.1の方です。元々日立の方だったんですね。私が知ったときはすでに大学の先生でした。
初めて読んだのは『デジタル・ナルシス 情報科学パイオニアたちの欲望』だったと思うのですが、なんだか不思議感一杯でよくわかりませんでした(合間、合間に自作小説が入っていたような、、、それって別の作品だっけかな)。
まあ、とにかくも、西垣先生は、自然科学、人文、社会に渡る、 総合情報学にキーパーソンなのであーる。
レジス・ドブレのメディオロジーシリーズの鑑訳もされとるでの。
ウェブ2.0にはむろんいいところがたくさんあります。一般ユーザーに開かれた平等で民主的な世界がウェブ上に出現したような感じもします。しかし,そもそもパソコンやケータイを扱えない人は参加すらできないことや,検索サイトで上位表示されない情報は無きに等しい扱いを受けてしまうことだけを見ても,完全に平等な世界とは言いがたい。私もウェブへの期待を共有していますが,ウェブというフロンティアを舞台にした経済的グローバリゼーションの一環だということは,しっかり認識しておくべきです。
今のインターネットが機会均等、平等社会の実現、などと脳天気なことを考えている人はいないと思う。検索エンジンなんてバリバリ恣意的だろう。ところで、ウェブ2.0って誰が言い出したんだ?1.0と2.0の差異が全く不明確である。ええ、一応、その定義するところは知ってますよ。ネットユーザは単なる使用者に甘んじることなく、ブログやSNSなどで主体者になっている、みたいなことでしょ。でも、ブログは従来のHP、SNSは昔のパソコン通信会議室のそれぞれバージョンアップと思われるのだが。
http://e-words.jp/w/Web2022E0.html
結局、おお!これは違う画期的な技術じゃ、というネット制作者の発言を示してるだけじゃん。それに群がるユーザを制作者(基幹ソフト製作やプロバイダ)が、うまく利用しているだけに過ぎないんじゃないの。
しかし,玉石混交の情報大洪水の中から,機械的な検索アルゴリズムによって真に大切な玉を選び出せると信じこむのは,いささか楽観的に過ぎるのではないでしょうか。さらに言うと,集合知仮説のほんとうの問題点は,各人の主観とは別に世界というものが客観的に存在し,大勢で討論すれば客観的真実を正しく記述できるという,安易な考え方が広まることなんです。
(中略)
今日,われわれを取り巻いているウェブの中には,こうした「機械情報」が氾濫しています。そこに客観的な世界が正しく記述されているように皆が信じているのです。しかしほんとうは,各人にとって意味内容が異なる記号が列挙されているだけで,それらを寄せ集めても客観的な知になるとは限らない。誤解やデマが広まる恐れもあるんです。
この前後にチャップリンの『モダンタイムス』の話が出来くるのだが、工業革命もIT革命の根っこをするところは全く同じ、という意見にアマサイも賛同する。
ウェブ上にある知というのは,いわゆるknowledge(知識)なんですね。それはもちろん社会生活を送るうえで大切なものですが,われわれが生きるためにほんとうに必要な知とはwisdom(知恵)なのです。知恵はそれぞれの人の内部で育まれるもので,「機械情報」よりむしろ,「生命情報」と直結しています。人間や動植物も含めたすべての生命が,情報と不可分であることは,DNA情報を考えればすぐわかるでしょう。本来,情報というのは人間の内側にあるもので,生命を構成している大事な要素なんです。
そうやね、知恵は活字にはなっていない、もしくは活字のまま活用はできないものなのでる。インターネット上の情報など何を言わんかである。
特許検索はいくらでもできる。だが、新特許、発明は、人間様が、うんうん唸りながら知恵絞り、手を動かして実験することでしか、できないのである。
なんか、当たり前のことだと思うだが、この当たり前のことがわからない奴らが多すぎる。
だから「この特許を侵害しない発明はどうすればいいか」って聞いてくる馬鹿が生まれてくるのだ。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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