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July 14, 2009

続・字幕翻訳の世界

戸田さんの名前が検索上位になっていたのは、『笑っていいとも』に出ていたからなんだね。
リチャード・ギアつれて。これも彼女の心遣いだと思うよ。
私の話なんか若い人は面白くないだろう。映画俳優連れて行った方が喜ばれる。
いや、単に『HACHI』のキャンペーンなのかな(^^;)。

で、前回の続きだけど、

文学作品の映画化で字幕によって損なわれる場合がある、というなら、やはり、オリジナル言語で聞け、ということになると思う。

先の批判にはこのように述べている。

だから理屈をこねながら「韋駄天」などという言葉を使っているのではないか? 誰もこの言葉が「現代向け」とは思わないだろう? こんな言葉を使うくらいなら「ストライダー」のままのほうがまだずっとましだ。大体「若い人には判らない」ことを覚悟しているなら、「馳夫」で何故いけない? それに、字幕にルビが付けられるなら、何故"「馳夫」という名が読めるかどうか"心配する必要がある?

語るに落ちた、とはこのことである。
映画は映画本体で楽しむべきなのに、なぜ、原作「翻訳本」の訳語にこだわるのだろう。

※批判者は「読み」を間違った解釈、狭義な解釈をしている。ここでは、ルビの問題ではなく、「馳夫」が、この物語の意味ある人名であるところ(翻訳で用いられた)訳語である、ということが観衆に瞬時に理解でない、ということなのだ。高速ランナーをそう呼ぶことがままあるのか、あだ名のか、判別できない。私も翻訳者であったなら、「馳夫」は使わないだろう。ストライダーなんてのは、おまぬけさんでしょう。韋駄天は妥当である。

必ず聞く言葉がある「そんなに字幕が嫌なら英語で見ろ」と。当たり前だ。極端なことを言えば、原作をヨレヨレになるほど何十回も読んでいるファンならば、それこそ台詞が一言も入っていなくても全部話を理解できる。だが私はこの日本語字幕署名運動に協力した。(中略)そして次は他の観客のために。この映画を見る全員が、この映画の本来の意味、正しい物語を知っているわけではない。そういった人々が「映画字幕」のせいで物語を誤解し、駄作だと勘違いしてしまう。これは勿体なさ過ぎるではないか。戸田奈津子の字幕のためだけに。

映像から原作の雰囲気を感じ取ってほしい、それは当たり前だ。
しかし、感じ取られるようにせねばならない、
これは反則だ。
文章、あるいは漫画の原作と映像化とは異なるものと、考えるのが、「鉄則」だ。それではあまりにあまりなので、どれだけ、どこの部分をくみ取るかということだ。

『指輪物語』は名称、言語が重要なアイテムである。

じゃあ、映像化時点で、損なわれてるじゃないか。

戸田奈津子氏はこれらの抗議活動については、「そういう事が起こっているのは知っているが、自分はインターネットをやらないので何を言われているかは判らない」と雑誌の取材に対して答えている。(中略)この翻訳問題には必ずついてまわる誤解、「マニアが小うるさく騒いでいるだけ」「字幕の制約を理解せず表面的なことだけを言っている」があるが、
戸田さんはインターネットをやらないという「信念」を貫くべきだろう。どの作品にも、熱烈なファンがおり、それは、心のそこでは映像化をよく思わないものだ。字幕という脆いインターフェースをつつくのは誰にでもできる。

憎むべきとしたら、戸田さんを採用した配給会社だ。
個人攻撃は、そのような文学作品を好む人たちにはフェアな行動なんだろうか。

戸田さんレベルをこき下ろすのは、天につばするものだ。
そのうち、誰も有名作品の字幕翻訳をしなくなってしまうだろう。

しかし、この批判者、字幕翻訳の特殊性を全然わかってないな。

----------------
戸田さんは、ラブロマンスや叙情的な作品の字幕を得意とする。
この言葉は、日本の同じ世代が言うというどのように置き換えられるのか。
それについて、たいへん勉強されている。
そのうまさ、批判者に言わせると演出、が戸田字幕の需要を高めている。
----------------
解釈を入れないで、翻訳ができるものなら、やってほしい。
それは不可能だということがわかるだろう。

これは、実は字幕だけの問題、文学作品だけの問題ではない。

有名ば学術書、啓蒙書、では必ずと言っていいほど出てくる。
違うことを言っているようだが、同じなのだ。
翻訳者は解釈していけない、という。
中山茂HP:翻訳論:クーンの翻訳について
中山先生の訳でなかったら(例えばM上Y一郎さんとか)、ここまで、『科学革命の構造』は、読まれなかったろう。

●まとめ:アマサイの言いたいこと

・字幕翻訳は、映画画面に字を映し、それを音声で意味を取ったかのように、瞬時に理解されなくてはならない。
・その訳語は、現代劇なら今日的な言葉で、100年以上前であったら、その時代に使われたであろう言葉で、現代人が理解しうる範疇の置き換えなくてはいけない。
・字幕翻訳には、時代背景や当該専門分野を調べる時間はほとんどない。
・字幕翻訳は、映画の分野別に専門翻訳を請け負うシステムにはなっていない。
・字幕翻訳は、その原作翻訳本をひもとく必然性はあまりない。
 原作→翻訳
 ↓
映像化
 ↑
ここに字幕をつけるから。
・字幕に限らず、解釈を入れないで翻訳はできない。

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