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December 17, 2009

書談:香西秀信『論理病をなおす!─処方箋としての詭弁』

Ronribyo■『論理病をなおす! ─処方箋としての詭弁』
著者:香西 秀信 著
出版:筑摩書房(ちくま新書)
発行:2009/11/09
定価:735円(税込)
ちくまHP

なかなかおもしろかったです。
詭弁という悪い印象しかないんですけど(まあ、普通そうだよね)、人間は詭弁を行う生き物だ、という香西さんの言には目から鱗です。

詭弁と論理は見分けがつかないというか、利害関係によって、どちらにでもなりうるというのが結論でしょうか。

例えばよく携帯電話を買ってくれという小学生がいます。
父「なんで、小学生に携帯が必要なんだ」
子「だって、みんな持っているもん」
父「みんなって誰のことだ」
子「A君も持っているし、B君もC君もそうだよ」
父「お前はみんなと言ったが、3人じゃないか。携帯など必要ない」
よく行われる会話です。
ここで香西さんは、父の言い分が間違いであり、詭弁だといいます。
この子にとって、携帯電話を持って話すとしたらA君とB君とC君なのです。もう彼らが持っているということは「みんな」持っているに等しいのです。隣りのクラスが例え全員持っていたとしても、彼には「みんな」持っているということにならないのです。

最も、父はうちの子には携帯はまだ早いという教育方針(あるいは家庭の経済優先順位に)があり、それを説くよりも、小学生の携帯所持はスタンダードではない、という実状を示した方が諦めがつくだろうという判断からこのように言ったのでしょう。まあ、だから、詭弁なわけだが。
-----------
次の例は日常でも、我々のやっているディベートにも役に立つ思考です。
X高校の生徒が万引きで捕まったとします。近所の人々は、あの学校はがらが悪いから、レベルが低いから、などと非難します。で、これが1人だったら、それはあまりに過度な反応でしょう。では、5人だったら、10人だったら、、、、どこの時点であの学校は、と認定?するのが妥当なのか。これは人によって異なるでしょう。

また、それは偏見であって、そのようなことで学校の評価をするべきではない、という議論も成り立ちます(これは別の章の事例だったかもしれない)。そうであったとしても、盗みをする生徒が毎年何人か出るような学校に自分の子供を行かせたいか、となると別の話です。
--------------
日本人論、国民論の著書にも容赦なく切り込んでいきます。アマサイは会田雄次の本、昔何冊か読みましたが、『日本人の意識構造』の事例は、興味深かったです。

ある夫婦が、欧米からの留学生を滞在させます。夕飯は奥さんが必ず彼の食生活に合うものを作ってあげています。あるとき、そこの母親、おばあさんが亡くなってしまいます。それで、その夫婦は、法事やら親戚の対応に追われてしまいます。奥さんは、このような事態であるから、留学生は当然外食でもしてくれるだろうと思っています。しかし、彼はいつものように帰ってきたけれど、食事ができてないので怒り出します。その後、この夫婦と留学生の関係はまずくなり、彼はその家を出て行ってしまいます。会田氏はここから、察する文化とそうでない文化があると結論づけます。

香西さんは、この例だけで民族性を断定するには無理があると言っています。さらに、国民論(日本人論)はこのような端的な例で語られ、読む方も納得してしまう、とも指摘しています。

まあ、アマサイもそう思うのですが。この青年だけが、「空気の読めない」人間だったかもしれない。この奥さんも赤の他人を置いているのだから、「すまないけれど、こういう事情で」と言うべきでしょう。

ですが、会田氏は「日本人のように"察する"という文化を持っているのは、他にないのではないか」と仮説を立て、例えばこういうことがあるだろう、という事例を出しただけではないかと思うのです。この留学生の話は実在したのかもしれませんが、会田氏の都合がいいようにモディファイされた可能性が大きいです。ここで、他に○○ということもあるし、××ということもある、といくつも例示する必要があるでしょうか。会田氏は、幾つかの仮説を立て、日本人論というものを構築したかっただけではないでしょうか(アマサイもこの本を読んだはずですが、内容は覚えていないですが)。

しかし、香西さんもたぶんそれは認識しているでしょう。それこそ、1つの特殊な事例で結論を導き出すことは著名な書物でも行われている、という『詭弁』を使ったに相違ないです。

全体として、かったるい、そんなのちまちま言わなくても、というところもあるのですが、世間で言われている論理的と「理論上」の論理的というのは大きな隔たりがあることが理解されます。これを読んだからと言ってで議論がうまくなるとか、詭弁に騙されないという効用はあまり見込めませんが、議論学入門の1つとしては案外最適です。

★本書が手元にないので、記憶している範囲で書きました。記載を湾曲しているところが発見されましたら後で直します。★

目次
序章 馬鹿だから詭弁に騙されるのではない
第1章 詭弁なしではいられない
第2章 曖昧さには罠がいっぱい―多義あるいは曖昧の詭弁
第3章 弱い敵を作り出す―藁人形攻撃
第4章 論より人が気に喰わない―人に訴える議論
第5章 一を教えて十を誤らせる―性急な一般化
あとがきにかえて―語学の達人に学べるか?

わら人形論法(straw-man)という言葉を覚えただけでいい気なっている『論客』さんは読んだ方がいいね。。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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