クロード・レヴィ=ストロース死去

ttp://www.cinra.net/news/2009/11/04/140357.php
フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが死去、100歳

恥ずかしいのう、読売と毎日はレビストロース死去と書いてあったぞ。おそらく、Claude Lévi-Straussが何者か知らなかったのだろう(フランス語の音を正確に表記しようとしたわけではなかろう)。信じられんな、こげな著名な学者の名前さえもわからん者が新聞社におるなどとは。
レヴィ=ストロースの思想を手短に書いてあるHPはなかった。まあ、そう簡単に語れるものでもないが。
上村芳郎さんという大学の先生のページがよいかもしれん。

1960年代以降フランスで生まれた現代思想の一潮流。フランスの人類学者レビ・ストロースは,ソシュールに始まり,イェルムスレウらのコペンハーゲン学派やヤコブソンらのプラハ言語学派において展開された構造言語学や,数学,情報理論などに学びつつ,未開社会の親族組織や神話の研究に〈構造論〉的方法を導入して,構造人類学を唱えた。やがて1962年に公刊した《野生の思考》は,これまで非合理的なものとされていた未開人の〈神話的思考〉が,決して近代西欧の〈科学的思考〉に劣るものではなく,象徴性の強い〈感性的表現による世界の組織化と活用〉にもとづく〈具体の科学〉であり,〈効率を高めるために栽培種化された思考とは異なる野生の思考〉であることを明らかにして,近代西欧の理性中心主義のものの見方に根底的な批判を加えた。それは大きな知的反響をよびおこし,《エスプリ》誌の〈野生の思考と構造主義〉の特集(1963)をはじめ,多くの雑誌がレビ・ストロースと構造主義を論じて,〈構造主義〉の時代の幕明けとなった。

アマサイが構造主義を知ったのは、ご多分に漏れず、放送大学である。渡邊二郎先生の講義。文庫になってます。
構造と解釈
橋爪大三郎のはじめての構造主義 も読んだ気がする。


じゃあ、構造主義について何か語ってみろだと?!
そんな10数年前の話だ、覚えているわけなかろうっ!!
(逆切れ)
いや、いや、哲学を学ぶ意義とはだな、いろいろが思考体系があるのだなあ、と知ることが大事なのであるよ。HPや啓蒙書をひもといて、ああ、そうだ、こうだった、と思い出せるのがよいのである。入力していたら、どっかのメモリに少しは残存しているでしょ。
欧米とは異なる文化圏の親戚構成をなぜ、哲学・思想に適用しようとしたか、非常に不思議なのであるがな。
そのような文化圏でも高度な思想があるということを主張したかったのかな、クロードおじさんたちは。

書店で彼に関する本を見て、この人まだ生きてるのか、もう100歳じゃないの、とつぶやいたのは、ついこないだだった。

構造主義、またブームになるかな。

放送大学ではレヴィ=ストロースとヴィトゲンシュタインが人気でした。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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09後期科目『生命環境科学Ⅱ』

09後期科目『生命環境科学Ⅱ』
放送大学院選科としての選択科目です。先日印刷教材が届きました。地学とリンクした生物学といった感じですね。もう環境生命科学Ⅰは、高校で習う延長のバリバリの生物学って感じで堪えられそうになかったのでⅡにしました。先学期とったのは宇宙地球科学だったのでそれとの繋がりもあるしね。

分子生物学が一番アマサイの志向に合っているのですが、それは学部の方に独立してあるので。結構難しいらしいです。

前回の轍は踏まないよう、教材の半分を早めに読もうと思います。

主任講師
星 元紀 (放送大学教授)
二河 成男 (放送大学准教授)
-目次-
1 生物にとって環境とは何か
2 原始地球環境と化学進化
3 生命の起源とRNA
4 極限環境での生物の生存戦略
5 細胞の出現
6 分子状酸素の増加
7 真核細胞の出現
8 多細胞生物の出現
9 発生の場としての細胞環境
10 生物の大進化と地球環境
11 寄生
12 内部共生と進化
13 環境とゲノム
14 生物集団の個体数変動
15 生物種間の相互作用と進化

シルバーウィークももう終わるね。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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大学受験参考書

kikulogで山本義隆さんのツリーができています。


Yamamotobuturi私も駿台受験シリーズの物理入門を読んだことがあります。放送大学に入ってからですけどね。物理をちゃんと復習したかったので。これだけじゃなかったと思いますが、駿台の物理参考書は微積分使って、説明してましたね。高校物理は、どうしていまだにああなのかよくわかりません。微積分使うと難しくなると思っているんですかね。数学の修得状況も合わせないといけないですけど。

Sinsetunabuturi
アマサイのときは、『親切な物理』上下巻が定本だったんですが、あんなの読んだ人いるんですか(^^;)。

ファンの方の証言によれば1000ページあるとか。
『親切な物理』のその後
『親切に』書くには、この量が必要なんだそうです。

まあ、そうでしょうけど。物理を受験科目にするには教科書では間に合わないでしょうね(アマサイは物理取れなかったんで当時の教科書は知りません)。で、きちんと勉強というとどの参考書も厚いし、字がびっしり。参考書ってそもそもそういうものだけどさ。あれじゃあ、物理とる人いないよね。

今みたいなカラフルなやつもあったんでしょうかね。

わかんないのは、最近生物をとらないで医学部行く人が多いらしいということです。暗記ものが多いからだそうです。何しに大学行くのって、感じです。

物理は好きなんで今でも勉強しますけど、化学はモチベーションがないので、しないですね。おもしろとは思うんですけど。放送大学院・自然環境科学プログラムに化学系の科目あるんですけど、ああ、高校化学から復習しないと、と思うと選択する気になれないです。

なんて書いてたら、いろいろ勉強したくなりました。

勉強はいつでもできますけど、生徒・学生という肩書きのときに、たくさんやっておくことにこしたことはないです。

知識が蓄積していくとその学問の階段の上の方までいけますから楽しいのですよ。見晴らしがよくなるんですね。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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講演会:鈴木光司×竹内 薫「自爆する思考」

第127回 新宿セミナー @ Kinokuniya
『知的思考力の本質』刊行記念講演会
鈴木光司×竹内 薫
自爆する思考 知的思考力をどう養うか

行ってきました。お二人の対談本発刊記念だったんですよね。
本は買わずにきたけど(^_^;)

初め鈴木光司さんにはあまり興味はなかったので(エッセイは読んだことあります)。
お話は面白かったです(ただのハッタリおじさんではないようだ)。

若いときは、間違いは誰でもする。その失敗に目をそらしていたのではダメで、それをよく分析し、次回は同じ轍を踏まないようにする。
よく言われることですが、「それが論理的思考というものだ」という帰結には結構目からうろこでした。
---------------
今の日本がよくないのは、政治家、行政府が論理的に考え行動しないからだ。

らい病予防法なんかが良い例。
らい病がなんの害もないことはわかっていたのに、この悪法を排除しなかった。何か変えると責任を問われるから。担当部署の人間はただじっとして、任期を待つだけ。次期担当者も同じ。その間にどれだけの人が無意味な差別に苦しんだか。

今の政治家は、世の中が複雑系であることをわかっていないのではないか。ここを押せば、こうなる、ということは一切ない。問題解決のためには、詳細に分析して根気よくその障害を取り除いていかなれけばならない。
-------------
日常生活は、固定すべきルーティンワークと変革すべきチェインジ(チャレンジ)の部分にわけるというのは、興味深い話でした。

『リング』『らせん』『ループ』はロジカルな小説とお聞きしましたので、読んでみますね。

竹内さんと鈴木さんが仲良しというのはブログでしっていましたが、なるほどねえ、持っている知識領域は違うけど方向性は同じだったのねん。

やはり機会があれば、いろんな人のお話を聴きに行くべきなのねん。今回は思わぬ収穫がありました。

『知的思考力の本質』も買いますです。はい。


で、サインをしてもらったのは、こっちの本。荒野さんことGripenさんはいらしたので。Toumeininngennshomei


鈴木さんの方が竹内さんより年上なんですねえ。いや、なんでもありませんhappy02。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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ドナルド・キーン

ニュースヘッドラインに

「日本文学のキーン氏、、、」
と見えたので、

ああ、ついに旅立たれたか、と思ったら、

外国人初の文化勲章受章ということでした。
すんまへん「(^^; ) すんつれいしました。

【文化勲章】「紫式部さんに伝えたい」とドナルド・キーン氏

2008.10.28 12:02

 文化勲章受章の喜びを語る日本文学研究者のドナルド・キーンさん 「自分のような外国人が文化勲章をいただくのは大変な驚き。でも、非常に光栄なことで喜んでいます」

 今秋は自らの日本文学研究の端緒となった「源氏物語」の千年紀。節目の受章は「何かのご縁ですね」と笑う。

 1940(昭和15)年、たまたま手にした源氏物語の英訳本に感動して「将来は日本文学者になろうと決意しました」。太平洋戦争のさなか、海軍の語学将校として日本語を学び、源氏物語の原文に触れた。

 「美しい散文的な言葉にひかれ、思いやりに包まれた平和な世界があることに心を奪われました」と振り返る。

 戦後40年以上にわたり、1年の半分は日本で暮らしている。三島由紀夫ら数多くの文人と交流を深め、万葉集から現代までの『日本文学の歴史』を25年の歳月をかけて完成。米国の名門、コロンビア大学にはドナルド・キーン日本文化センターを開設した。いまも教壇に立ち続け、日本の古典文学を教えている。「古典文学を知ってこそ、自分の国を知ることになる」が持論。「優れた古典に親しめる機会を増やす取り組みに力を入れていきたい」

 受章の喜びを伝えたい人は?

 日本文学を世界に広める“水先案内人”は、満面の笑みを浮かべた。

 「紫式部さんに、一番に伝えたい」

なんか最近の人は、キーン先生のこと知らないらしいですね。
もう80歳を過ぎておられるので、マスメディアには登場することは少なくなりました。アマサイがキーン先生を知ったのは、おそらく伝説の英語教育番組『百万人の英語』ですね。國弘正雄先生がRead and Thinkというコーナーでネイティブの書いた論説文などを取り上げおり、その中でもキーン先生の著書があったのではないかな。それ以前に70年代、80年代は結構テレビに出演していたので、そちらが先かもしれません。

何れにしろ、ドナルド・キーン博士を知らないなんて日本国民は居なかったと思いますね。日本文学と日本文化を世界に啓蒙してくれた大恩人です。

昔NHK教育テレビで市民大学講座という45分番組があったころ、キーン先生が、日本文学者との交流をお話してくださいました。

ほとんど実際に会われて何度も対話された方々なので、非常におもしろかったですね。また、月並みですが、日本人と違う、米国人の日本観ですから、ふむふむ、外人はそのように受け取るのか、というのも興味深かかったです。

やはり、三島由紀夫は世界的人気作家なのであるなあ、とも思いました。

その番組の内容は書籍化されているはずですが、ちょっと見あたりませんでした。


これは近い内容かもしれません。
D_kheen■『思い出の作家たち-谷崎・川端・三島・安部・司馬-』
著者:ドナルド・キーン
訳者:松宮 史朗
価格: ¥1,575 (本体 : ¥1,500)
出版: 新潮社
発行:2005.11
bk1


昨日はNHKで源氏物語の発刊までの経緯をやっていました。
源氏は古い物語ではなく、その後1000年の間あらゆる時代のあらゆる国の人々を魅了したと解説されていました。
アマサイも日本人として読まなくてはと思うのですが、どうもねえ、のめり込めないです。でも、やはり読まないとね。

とにもかくにも、

ドナルド・キーン先生

文 化 勲 章 受 章

お め で ど う ご さ い ま す 。

( *゜▽゜)/°・:*【祝】*:・°\(゜▽゜* )

お聖さんももらったっとった。てか、まだもらってなかったのが不思議であーる。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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情報法のお勉強

放送大学院『法システムⅢ-情報法-』の試験報告をしていなかった気がするが、、、って誰も関心ないか?

試験方法は択一式。試験は記述式の方が安心である。自分の知っていることをつなげてかけばいいのだから。択一式はかえってこわい。『複雑系システム』のときのように、教科書の内容を空で説明できるくらい理解していないと回答が難しい試験もあったりした。

今回は拍子抜けするくらい簡単だった(はず)。教科書を一読してポイントを押さえていれば満点も夢でないかもしれない(たぶん)。

「防衛省では情報漏洩に対してなんたらかたら」
おそらく、教科書には、まったくふれていない(かつ間違いだろうと思われる)選択枝もあり、もうちょっと問題も工夫してつくってほしいなあ、と思ったくらいである。

教科書、印刷教材には文句も言ったけど、この科目取ってよかったですよ。知財プロフェッショナル・メーカー勤務かとしては、知っておくべきことばかりでした。情報法を教えてくれるとこもそんなにないしね。

試験前は心配だったので、また一冊私的参考文献を購入しました。

Web20law
『Web2.0インターネット法-新時代の法規制-』
著者:高田 寛
価格: ¥2,940 (本体 : ¥2,800)
出版:文眞堂
発行:2007.4
bk1
目次:インターネットと法/インターネット上の名誉毀損・企業批判/プライバシー権とパブリシティ権/サイバーポルノと青少年保護/電子商取引/ネットビジネス/インターネットと消費者保護/サイバー犯罪/個人情報保護法/電子署名と電子認証/プロバイダ責任制限法/デジタル著作権/ビジネス方法の特許/裁判管轄と準拠法/ADRと裁判外紛争処理
当たり前ですが、情報法、サイバー法の教科書って書いてあること共通してますね。電子商取引とか個人情報保護法とか。結構、研究は進んでいるのでしょう。しかし、まだまだ一般市民には下りてこない分野です。うむ、領域が広いですからな。この本は判例も適度に載っていてよかったです。著者の高田さんは、エンジニア出身で社会人大学院等で法学を学ばれたようです。
『情報法入門』の作者の方も似たような経歴で生粋の法律家ではなかったと記憶しています。
まあ、分野的に情報系エンジニアが法律を学んで記す、というのは順当な方法でしょう。

アメリカの文献の引用が多いとこをみるとやはりこの分野も米国が進んでいるようです。日本もネット大国なのですから、法学研究もがんばってもらいたいものです。

情報法の先駆的な教科書には『デジタルコンテンツ法』という大著があるのだが、分厚い上に上下巻である。なかなか読めまへん。

サイバー法の中核にあるのはやっぱり知財でした。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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放送大学院科目『法システムⅢ-情報法-』

某産総研の方が香ばしいネタを教えてくれたのだが、アマサイの力量では処理しきれず、記事にするのは断念した。その方も、内輪の恥なので、、、とおっしゃっていましたし。えっ、どげなものか知りたいですと。6月2日の文化とか科学のネット記事で探してください。

さて、放送大学大学院、いつものように一学期一科目計画、今回は『法システムⅢ-情報法-』をとりました。トピックはこんな感じ。

1 情報法の概要
2 憲法上の諸原則
3 情報倫理
4 放送制度
6 情報公開
7 個人情報保護
8 行政情報化
9 データベースサービスとコンテンツ
10 電子商取引(その1)
11 電子商取引(その2)

12 知的財産法(その1) 特許法、著作権法、不正競争防止法などの知的財産法は、情報の財産的価値を保護するための法として捉えることができる。この観点から、知的財産法が、どのような目的で、いかに設計されているかということを概観する。

13 知的財産法(その2) デジタル化、ネットワーク化の進展に伴って、知的財産法に関する新たな問題が次々に生じている。個々の論点につき、国際的動向も踏まえて検討する。

14 情報の刑法的保護 情報を刑法でどのように保護するかについては、国家機密、財産的情報、個人情報など、その性質に応じた議論が必要である。現行法における情報の刑法的保護を概観した後、将来のあるべき姿について検討することにしたい。

15 インターネットと刑法
インターネット上の様々な不正行為に対して、既存の刑罰法規をどこまで適用することができるのか、適用できない場合にどのような刑罰法規が新たに設けられたのか、今後設けられるべきなのか、といった点を検討することにしたい。

レポートの範囲、8章まで、全然おもしろくありません(^^;)。ネットの仕組みくらいは書いてありますが。法律の教科書ってどうしてこんなにつまんないんでしょう。これを取ったのは知財法があるからです。たった二章分ですけれどね。

今までは仕事で仕方なく勉強してた知財法、特許法ですが、最近面白くなりまして、やっぱり知財専門家としてはこっちで学位に取ったろうかなとか思います。心変わりではなくて情報学とのからみでね。

情報法もやり方を考えればもっと楽しくなるんじゃないかな。ちょっとね、ガクモンをおもしろくする、親しみやすくするってのに挑戦したいのであります。

おお、まずはレポートをささっと出してしまわねば。

学部科目の『知的財産』はまた別個言及します。人気ブログランキングぷちっとな。【押す】≪コメントはここ

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訃報:渡邊二郎先生

うーむ、なんということじゃ、渡邊二郎先生が亡くなられておった。

渡邊 二郎(わたなべ じろう、1931年10月15日 - 2008年2月12日)は日本の哲学者である。東京都出身。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授。専攻は、西洋近現代哲学。ドイツ哲学の研究者。ドイツ観念論・実存主義・ハイデッガー等についての研究がある。1991年7月から1995年6月まで、日本哲学会の会長を務め、1996年から1999年まで、日本シェリング協会の会長を務める。1963年、東京大学より博士(文学)。

1958年、東京大学大学院人文科学研究科哲学専門課程博士課程単位修得退学
1958年、成城大学文芸学部専任講師、その後同助教授を経て
1964年、東京大学文学部助教授
1978年、東京大学文学部教授
1992年、東京大学名誉教授
1992年、放送大学教授
2001年、放送大学名誉教授

アマサイの放送大学の卒論の、あれはなんというのだ?審査主官?なのだ。副官は当然指導教官の伊藤(勿康)公一先生であーる。で、テーマは「トーマス・クーン『科学革命の構造』」じゃ。問答はもう忘れてしまったが、伊藤先生が論文の具体的内容に触れられ、そのあと渡邊先生の質問段階になった。

「アマサイさんは、クワインについてはどう思われますか」

「はい?ク、クワインですか?(英米現代哲学のテキストに確かそんな名前があったな)」

「そうです。アマサイさんは、クーンのパラダイムをずいぶんと評価されているようだけれども」

「(だって、それがテーマなんだし)」

「別にクーンの考えが画期的なんではなくて、それ以前にクワインが提唱した枠組み理論の焼き直しではないんでしょうかね」

「(え、そんなこと言われてもクワインはそんな勉強してないからわかんないよ、それに私のテーマじゃないし)はあ、そうなんでしょうか」

「やはりね、哲学理論というのはね、急に出来上がるものではなくてね、つまり、カントを中心とする、ドイツ哲学が、うんぬんかんぬん(哲学の基礎のご講義)」

「・・・・・」
(以上はあやふやな記憶に基づいて)

身も心も痩せるとはこのことである。かなり憔悴して教室を出た。卒論面接は、結構しぼられるとは聞いていたけれども、論文の範囲外のことを聞くって禁じ手ではないのか。まあ、それは私の認識であって、渡邊先生にとっては、範疇なのであろうが。

略歴にあるように、渡邊先生は、ドイツ哲学が専門であって、分析哲学については放送大学に着任してから、あるいは、その直前に研究なされたらしい。なんで、その先生に「英米現代哲学-分析哲学を中心に-」なんて科目を担当させるのか、よくわからんが。(当時の)文部省放送大学設立部隊の人脈の問題なんだろうが。つーか、学生の間でも、渡邊先生は分析/科学哲学は嫌いなんだよ、ってのがもっぱらの噂で、そのテキストもあまり肯定的には書いていないのだ(のちにそのテキストはちくま学術文庫で発刊されたがまもなく品切れ絶版になった。やっぱり、問題があったらしいな)。

Kouzoutokaishakuとなんだか、お世話になった先生を悪く言っているようだが、渡邊先生には感謝しているのだ。その英米哲学のテキスト(『構造と解釈』という科目もありました)はコンパクトにその要旨がわかるものであり、きちんと、原典の引用が詳細に書かれている。アマサイはその教科書をじっくり読んで現代哲学の要諦を学んだ(だったら、クワインだってわかるだろう、というつっこみは止めてね)。学年が上がってくると、放送授業を聴いている間がないので、スキップしてしまうのだが、この授業は自分の卒論に関わりがあるので、ちゃんと録音テープを聴講した(だったら、クワインだってわかるだろう、というつっこみは止めてね)。

そして、それまで、理系バカ(いや、バカでもないんだが)だったアマサイにとって、日本を代表する哲学者の一人と言葉を交わせたことは、特筆すべき体験なのだ。それにあのような質問をされたのも、アマサイ達学生を哲学専攻足りうる一人前の学徒として認めているからであろう。

その恩人が亡くなられたのはやはり寂しい。天国に行っても、ドイツ哲学の講義をなさっていることだろう。

---------------
どっかに書いたと思うが、放送大学は教養学部のみで、一応通常の大学で学ぶ学科がほぼ網羅されている。と言っても、リソースに限界があるので、理系の専門実験や演習のような講座はない。アマサイは物理を専門的に勉強したかったのだが、そのときは、物理学者たる先生が専任としていなかった(その後、物理の先生も専任になった)。ゆくゆくは、一般大学の研究室と連携して、卒業研究なんかもと言われていたが、いつになるかわからない。なら、いっそ、放送大学でしかできない勉強、前から興味があった、科学史、科学哲学で卒論を書こうということにしたのである。そのころは、草創期でもあり、とても融通が利いて、自然の理解(理学部みたいなもん)専攻のまま、哲学の教授に付いて科哲の論文を卒論として認めてくれたのだ。まあ、かっこよくい言えば、物理と科学哲学のダブルメジャー?科哲の先生、伊藤公一助教授がいらしたのが、なんともラッキーだった。

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情報学のお勉強 その2

今期の放送大学大学院選科では、
『情報化社会研究('05)-メディアの発展と社会-』
というのを登録しました。
文系(社会学)の情報学、中身は一般にメディア論と呼ばれているものらしいです。
中間レポートが先日返ってきました。
教科書の中にあるテーマ2つ選んでまとめて自身の考察を書け、と言うお代でした。
一応「A」をもらったのですが、いつものように講評に納得がいきません。
(A○が最高評価です)
自分の考えの書き方がよくない、みたいなことが書いてありました。
(これから受講される方がここをみつけて参考にされるのはよくないと思うので、わざと具体的に記しておりません)

でもですね、400字でその事項の背景を記してさらに自分の考えを書くってかなり困難ではないかと思うのですが(中間レポートの記述式では上限800字と決まっているようです。それ以上の文字数を指定されたことはあまりないような気がします)。
なんか、この添削をされた先生の考察の方が浅い気がしました。エスペラントは結局、欧米人にしか有効でないということでしょう、とかコメントしてありました。アマサイはそんなこと言っていないし、そんなこと結論じゃないのに。英語が準共通語化しているが、いろいろ問題があり、エスペラントの方が見込みがあるってなことだったのになあ。なぜわからんかな。だから、社会学って、社会学専攻の人って嫌いです。哲学の出来損ないと思っています。

もっと深い考察をしていかないと社会学が情報学に貢献するのは無理です。

まあ、先生方も本業業務の他に短期間に大量の採点をしなくてはいけないのでたいへんだとは思います(授業担当講師の他にレポート・試験採点要員の先生方がたくさんいらっしゃいます。そりゃ、全国ネット通信大学/大学院だから当然でしょう)。

Jouhoshkai
印刷教材(教科書)にページ制限はないはずなんで、もっと書き込んであってもよいと思うが。柏倉先生がフランス文学専攻なのでフランスのメディア論を知ることができるのが良い点である。まあ、それを見込んで選択したのだが。

章別 目次 + 執筆者

1 コミュニケーションと伝達(放送大学教授) 柏倉 康夫

2 時間意識の変容  同上

3 話し言葉の復権  同上

4 印刷・書物・電子テクスト  同上

5 拡大する映像世界  同上

6 ラジオの過去と現在  同上

7 絶え間なき通信の時代 (東京経済大学教授) 吉井 博明

8 放送規制の展開  (上智大学准教授) 音 好宏

9 放送メディアの現状と課題  同上

10 コンピュータ・ネットワークの開発思想 (関西大学准教授) 喜多 千草

11 だれもが使えるコンピュータの誕生  同上

12 情報の画一化と社会 ― 戦争報道の現実 ― (放送大学教授) 柏倉 康夫

13 文化と情報経済 (立命館大学アートリサーチセンター客員教授)武邑 光裕

14 デジタル社会の著作権 同上

15 情報化社会の行方 柏倉・吉井・武邑・音 共同執筆


こんなことここに書いて大丈夫かいな、と思わないわけではない。今日も人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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本郷とか、駒場とか

Nancyfuhirosik
昨日のカンブリア宮殿、東大総長の小宮山宏さんが出ていた。東大総長、そもそも歴代の人もあまり見たことないんだが、結構まともな人だと思った。学者人生には変わりないが、エンジニアリングマインドを持っているからかなあ、と思った。
※図はナンシー小関ソフトで作りました。

同じ総長でもこの人はお馬鹿さんです。学者としては優秀なのかもしれませんが、自分の専門以外のことは、飲み屋でのぐだまきです。

番組で出た世界大学ランキングで東大は16位だそうです(NewsWeekに載ったやつ)。結構高ランキングですね。私の記憶しているのは、これです。100位以下では計測方法うんぬんは言えませんが、十位代ならいいんじゃないでしょうか。
しかも、唯一非アングロサクソン圏の上位保持校だそうです。
知財はねえ、がんばってます、あそこは。
なりふりかまっていません。とにかく金、です。これ以上は言及できない。
(^_^;)

こんなの気にしないで、いっそ、世界大学ランキング、日本で作ったら?と思いますね。

まあ、そりゃ、どうでもいいや。

小宮山さんの言葉で一番気に入ったのは、
環境学サークルの学生から、調査領域を広げるか、専門性を高めるかで悩んでいる、どうすればいいかという問いに対して、

「いろいろ言及する批評家はいくらでもいる。そんなのものは意味はない。そんな中途半端だったら、たこつぼに入っていた方がまだましだ」
というお答え。

ただの馬鹿より専門馬鹿の方がまし、ということですね。

学長とか学部長が専門馬鹿では困りますが、近年、専門家、それ一筋の人をないがしろにしているような気がします。

こういう当たり前のことを言える人は偉いと思います。

ところで、小宮山さんの名前を検索していたら、東大広報部のページにあたり、

『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』の著者のページにあたりました。

そうですね、なぜ、一応って言うんでしょう(^^;)。
まあ、アマサイは関係ないんでどうだっていいですが。

ここは、総長も卒業生も在学生もフラットに掲載されているのがいいですね。さらに、学内の靴屋さんとか、東大受験参考書を書いている人も並列に載せているのもおもしろいです。

東大だけでなく京大、阪大、早稲田、慶応も世界に名がとどろくよう、がんばってください。

でも、中小企業に金だけ出させる知財戦略は止めなさい。

アマサイは弱小私大出身なんで別段。。。今日も人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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イノベーション、野口悠紀雄氏の講演

昨日はここ野口悠紀雄さんの講演を聴きに行ってきました。一応仕事です。

●知的財産を守る大切さをエリー・ホイットニー(Eli Whitney)を例に
 ホイットニーは、18世紀の発明家で紡績機械(綿繰り機)が代表的な発明である。彼は本発明の特許をとっているにも関わらず、あちこちの工場で同じ機械が使われ、彼の人生の多くの時間がその特許侵害調査に使われた。そんなことに煩わされなければもっと多くの発明ができただろうに。

●百科事典の行く末
 ブリタニカ百科事典は有能な頭脳を統合して作られた人類の遺産ともいうべきものである。それが、MicroSoft社がエンカルタという二流の百科事典をCD-ROMで電子化したというだけで、一気に経営危機に追い込まれた。しかし、そのエンカルタもWikipediaというネット無料百科事典の出現で需要は低くなった。

●広告をつけるというビジネスモデル
 昔ラジオの役目は電話が果たしていた。相手がわかるので料金が取れる。無線は不特定多数に配信されるので、ビジネスにならないと考えられていた。そこで、番組の合間、合間に広告を流すという手法である。これでその後のラジオ(そもそもradioは無線のことなのだが)放送が成立した。このビジネスモデルはテレビ、現在の検索エンジンに受け継がれた。

●勝ち組になれない製造業?
 企業の一人当たりの時価総額は、グーグルやヤフーと、電機・自動車などの製造業に比べると100倍近い差がある。これが、せいぜい、5,6倍なら統計の取り方の違いとも疑えるが、3桁ともなると動かしがたい客観性ある数字ということになる。これが、個人の給料格差に反映し、国別のGNP比も構成している。

なんて感じの話でした。どれも野口さんの本に書かれていることでしょう。エリー・ホイットニーのことはアダム・スミスの『国富論』に載っているらしいですね。「E・ホイットニーを知っている人も知らない人もいらっしゃるでしょうが」と前置きをされたのはそういうことですね。経済の学徒には既知の事例なのでしょう。経済学部の人間が全て『国富論』を読んでいるとは思えませんが。

今現在、知の所有権は保護されていないと野口さんは少々お怒りです。自分は書物を書いて、あるいは、大学での講義、一般講演会で収入を得ている。そういう古典的な媒体は非常に危うい状況である。例えば、本のタイトルとか表紙は、書物にとって非常に大切だと思われるが、タイトルをまねされても文句をいう術がない。

タイトルまで知的財産保護したらエライことですが、言わんとしていることはわかります。チーズがなんたらかたら、っていう本のバッタもんが流行って問題になったことがありますね。ベストセラーの装丁を真似て分野も同じようなものだったら、不正競争に相当するでしょう。でもね、野口さんほどの有名人で肩書きも立派であれば、まねっこしても、おこぼれ程度しか得られず、本家に損害を与える度合いもたいしたことないと思いますが。
(アマサイも一応気を遣って講演の↑要約も大したこと書かないわけである)

小説以外の活字文化で収入を得る、知識を切り売りする人々には、なかなか難しい世の中であることは、認めます。

新しいビジネスモデルをうまく取り入れた企業が、生き残れると野口さんは言っています。また、今の日本の現状は日本人の新の実力に応じていない。。。その後の弁が微妙なのであるが、日本人はかならずや、今の不遇な環境を乗り越えるであろう、という結論だと思う。

でも、ものづくり日本の製造業がダメダメならば、これからどのようにしたらいいんでしょうね、ってことを少しでもご教示いただきたかったわけですが。

とは言え、時間を作って足を運ぶ価値はありました。冒頭のお偉いさんたちの挨拶には閉口しました。まあ、6つくらい後援団体がありましたから仕方ないんでしょうが。今日も人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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ソシオ・メディア論@『総合情報学』

昨日は、情報学の参考文献を求めてジュンク堂池袋本店へ。1時間くらいで済まそうと思いましたが、3,4時間さまよっていました。本屋でゆっくりできるのは久しぶりでしたので。

で、表題。

NTTコムウエア

 「ソシオ・メディア論」という言葉を僕が最初に提唱したのは、1996年初頭に出版した『20世紀のメディア①エレクトリック・メディアの時代』(ジャストシステム)での巻頭論文でした。1冊の本を責任をもって編むのははじめての経験でしたが、巻頭に全体を束ねる論文が必要だろうと考え、そのなかで一種のキーワードとして掲げました。  そこで言っている「ソシオ・メディア論」というのは、メディアやメディアの社会的な影響を、従来のように技術の進化に軸足を置いて考えるのではなく、ダイナミックにうごめく日常生活の網の目の中で見ていこうという考え方です。

ぐぐると同じ人の名前が出てきます。水越伸・東京大学大学院情報学環教授の造語のようですね。

 僕があえて「ソシオ・メディア論」という言い方をしたのは、特別な意図があったからです。大きく分けると二つあって、一つには従来、メディア研究というと、技術論が先行して社会という網の目のうごめきに着目した研究は非常に少なかったこと。技術論が8割方を占め、僕らのような考え方は2割といった比率です。これは日本に限りませんが、僕はあえて誰もやらない分野をやろう、逆サイドに走って旗を立てておく必要があるのではないかと考えたわけです。  もう一つの意図は、僕らが社会のうごめきの中にいる以上、僕ら自身の考え方や分析の視点も、そのうごめきの中に飲み込まれながらやるべきだという自覚を表明したかったことです。

印刷教材には以下のような図で示しています。

「SocioMedia.vsd」をダウンロード

『総合情報学』123頁

テクノ・メディア論が技術から社会へ向いているものに対して、ソシオ・メディア論は社会から技術に向いています。テクノに対して、文系のメディア論と言われる所以です。

メディアリテラシーの考え方にも通ずるものがあります。

まあ、取り敢えず、人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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メルロ=ポンティ入門

先週はひさびさに朝カルにも行ってきました。
メルロ=ポンティの言語論   11020331 
講師: 中央大教授 加賀野井秀一

アマサイの哲学知識と哲学的思考方法は十年ちょいと前に卒業した放送大学によって養われました。放送大学は英米、独の哲学の講座が多いので、フランス哲学はあまり知らないのです(現象学とか構造主義の講座はあったけれども)。いつかは、ちゃんとした先生から習ってみたいと思ってました。
(哲学文献の読み方というのは身に付いているはずですが、やはり講義を聴くのとそうでないのとでは大違いです)

メルロ=ポンティが好き、というわけではないですが、言語論、とあるので、これにしました。アマサイがやっていたのは英米の分析哲学、言語哲学に属するものでしたので。

加賀野井先生に対しては全く知識がありませんでした。検索をするとフランス哲学者の訳書・解説書や言語学のご著書が出てきます。

7階の講義室のあるフロアをすたすた歩いていくと、張りのある声が聞こえました。
(失礼ながら)
「おお、この講義は当たりだぞ」
と思いました。

どの教科でもクリアでハキハキとしゃべる先生は、優秀な方に違いないです。我が哲学の師・伊藤(公一)勿康先生もそうでありますから。

教室に入るとソシュールとメルロ=ポンティの言語学の比較を話しておられました。
(アマサイの会社は退社定時が遅いので、クラス開始6時半には間に合わないのです)
先生が黒板にパロールとラングとお書きなりました。
おお!めちゃくちゃ懐かしい!
ソシュールを読んだときに出てきたぞ。
と何気ないことに感激してしまったアマサイである。
どうやら『メルロ=ポンティコレクション』の中の「言葉について」を読んでいるらしい。
Pontycollection
目次
・言語について(表現としての身体と言葉 言葉の問題)
・身体について(問い掛けと直観絡み合い―キアスム)
・自然について(自然の概念)
・政治と歴史について(プロレタリアから人民委員へ歴史の理論のための資料
・個人の歴史と公共の歴史における「制度」)
・芸術について(セザンヌの疑い)

次回は別の文献を読みます。
この講座の先輩、ぼう犬さんが毎回、講義のポイントを記録しておられます。

アマサイは予習としてこれを少し読んでいきました。

Kumefrancephilo
■『現代フランス哲学』
著者 :久米 博
価格 : \2,520 (本体 : \2,400)
出版 : 新曜社
発行 : 1998.2
bk1

やっぱり、辞書を引き引き、原著が読めるくらいのフランス語力はつけたいよねん。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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漂流好きな人たちなんだと思う

博士、漂流 国策で急増、狭い就職口

苦節12年。理論物理学専攻のAさん(44)は来春、やっとある大学の准教授になる。博士号を取ったのは96年で、大学の教員募集に手を挙げたのは100回を超える。この間、給料が出る研究員だったのは5年半だけで、しかも期間限定の「任期付き」。残りは大学に在籍料を払って研究の場を確保する立場だった。

う~ん、要するに学者ってそういう仕事なわけでしょ。身一つでいろんな研究室渡り歩いて、うまく嵌ったら定職につくみたいな。それでいいじゃんねえ。Yoikoさんの発言と重なるが(*)、芸人なわけですよ、学者ってのは。高名な落語家に弟子入りしても、真打ちになれるかどうかは自助努力だよねえ。○○亭に入門したらからって師匠がなんとかしてくれるわけないよねえ。ここで引用されている博士さんたちは、国とか企業とか大学とかが博士持ちに仕事を与えるのが当たり前みたいな言い方だよね。文科省の博士倍増計画が良いのか悪いのかわからんが、取得後、仕事がないのは契約違反だ、なんてことありようがない。

*だからYoikoさんのここで意見は、アマサイは全面的に賛成で、山形のなまはげ姐さんの発言の方がピントはずれと思う。

それにこの44歳のAさん、記事は「やっと」と書かれているが、40代で準教授になれるって理論物理学者として幸せだと思うが。この人、素粒子物理学者じゃないのかなあ。素粒子は公募定数の100倍以上の人が来るって門外漢のアマサイでも知っていることなんですけど。研究室に入るとき出るとき言われたと思うけど、就職は保証できないよって。

「博士の就職難は、大学などにこだわって企業を敬遠するから」とも指摘される。が、藤倉さんは「企業には距離感がある。大学の研究室の情報は入ってくるが、企業は何をやっているかわかりにくい」と話す。

「何をやっているのか」の何を指すのかよくわからん。HPに会社の業務内容は書いてかるし、もちろん現在進行形の研究は教えられませんよ。ヒミツであるからにして。本気で就職を考えているなら、担当者に会いにいけばいい。君は結局自分で動かないで勝手に距離感を作っているのだろう。まあ、博士だと聞いただけで、面接を断るとこもあるかもしれないが、それ退くようじゃ企業でやっていけないよ。学卒のお友達は、何度もチャレンジしていたでしょう。ああ、理系、特に東大なんかはボス教授のコネで宛われた会社に行ってただけかぁ。はいはい、確かに企業人のわたくしと、博士さまの君とは距離感を感じますです。

文科省の三浦和幸・大学振興課長補佐は「米国では博士が企業や起業などで活躍しているのに、日本は研究者志向が強い。大学院も研究者にしかなれないような教育をしてきた」。

理系博士になったらなんで、研究者にならないといけないのか、アマサイはわからんです。文系博士(単位修得済み退学も含む)は、就職困難ての周知されているので、翻訳業したり、企業でIT担当者になったりするのは結構普通。一時期でも自分の専門を極めたというのは幸せな人生である。そうできない人の方が多いわけだから。能力とかじゃなくて、いろんな事情で。

ああ、でもこういう人たちってなんて後退思考なんだろう。国が博士を増やすよ~って言ってくれているんだから、よっしゃ、それを元手に自分で会社起こしちゃうぞ、とか、ヨーロッパの研究室全部回っちゃる、ブラジル当たりで研究室持っちゃる、とか、さぁ、考えることいろいろあるじゃん。

普通、資格みたいもんが増えると自分の自信になると思うんだが、この人たちはむしろ、自信をなくしてるみたいだ。でもプライドだけは無意味に高いんだろうな、きっと。

大丈夫、博士数の増減と科学技術力は比例しないから。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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玲於奈チルドレン

日経の江崎玲於奈さんの回が終わった。

最後の方には、筑波大学の学長をやられたいきさつが書かれていた。今は芝浦工大の学長である。今現在の江崎さんは、教育者としての提言が多く見られる。

そういえば、その前は長く読売新聞の特別論説委員の肩書きを持たれていた。「ニューヨークから」というタイトルのコラムは長く連載されていたし、単行本にもなった。アマサイは文庫本になったそれを、ノーベル物理学賞受賞者の文化人の言として、ありがたみを持って読んでいた。それを通して、国際的をキーワードとした、21世紀にあるべき科学技術を思索していたような気がする。ちょっと、オーバーかな。ああ、やっぱり江崎さんはアマサイの人生にも少なからぬ影響を与えている。

はて、江崎さんの受賞は、それに先立つ、湯川・朝永両博士の意味合いと異なるものではないだろうか。江崎さんは長くアメリカで研究したこともあるが、半導体という産業に直結する成果であったせいだろう。

素粒子物理学も物性物理も自然の探求には違いない。江崎さんも技術というより科学のつもりで研究してこられたようだ。しかし、素人であろうと、物理をかじったものであろうと、この両者を一直線上におくのは違和感を感じることであろう。

江崎さんの流れをくんだ研究者はたくさんいるはずなのに、それが1つの流派?みたいになっていないのは残念である。いや、それはアマサイの偏見かもしれないけれど。

玲於奈チルドレン、と言われる者がいるとすれば、今の現役研究者・技術者の全てがそうなのかもしれない。

アマサイは玲於奈チルドレンです。


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デイビッド・ヒューム

科学哲学や科学論の本を読んでいると必ずデイビッド・ヒュームの名前が出てくる。
例えば、このような記載である。

帰納法が妥当な論証でないことを指摘したのは、イギリスの哲学者D.ヒュームであった。彼は「Aが起こればBが起こる」という帰納法に基づく因果的知識には正当な根拠はなく、原因と結果の結びつきはわれわれの「心に習慣」にすぎないものと考えた。科学理論を構築する基板である帰納法が蓋然的な結論しかもたらさないということから、ヒュームは科学知識の確実性を疑い、最終的には懐疑論に達したのである」
野家啓一『科学の哲学』2004年放送大学出版会

イギリス経験論なんて古くさいなあ、なんて思って、面倒でちゃんと読まないんであるが、大事なようである。ガリレオとニュートンの話したら、すぐ論理実証主義の飛んでくれよな、なんては科学哲学の学徒としてはダメである。
>自分

「ヒュームは人間の本性を探究する方法として、ニュートン流の自然科学のやり方を用いる(ただし、ヒュームはまた、自然科学と人間の本性の学との差異に自覚的でもあった)。つまり、経験(実験)にもとづいて原理をつくり、経験(実験)による検証をつうじてこれをより確かなものへと鍛え上げてゆく、という方法である。これは、言葉の上でのみ言える、あるいは想像のうちでのみ言えるような雄弁的な諸説に対抗するための武器である。」
「哲学の劇場」ヒューム『人性論』の書評

まっ、科哲に限らず、現代の科学を考える上で大事なわけです。

『人性論』って文庫なのになんでこんな高いのかと思ったら4冊になっているんだぁ。読めまへん。

今日経でヒューム『人性論』が『やさしい経済学-名著と現代』で連載しているのである。まあね、経済学と経験論が無関係であるはずはないわな。
ちなみに本日は「ゲーム理論と経験論」
人間の理性が先天的と考えるのが観念論、後天的と考えるのが経験論としている。氏か育ちか、ってどこでも言われるような気がするが。
「1990年代に入って、ゲーム理論の基礎となる意志決定において、ヒュームの考えを踏襲する理論が誕生する」んだそうである。さすがに新聞の1コラムでそのリンクを詳細には書けない。ヒューム入門はじめの一歩と言ったところだろう。

日経とっている人は要チェックである。

ウィキペディアより
「デイヴィッド・ヒューム(David Hume、1711年4月26日- 1776年8月25日)は、スコットランド・エディンバラ出身の経験論を代表する哲学者であり、歴史学者、政治思想家。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ヒュームはそれ以前の哲学が自明としていた知の成立根拠を問い、人間本性がなにかについての知に達することが原理的に保証されていないと考える徹底的な懐疑論を打ち立てた。 主著は『人性論』。
後世のドイツ哲学のイマヌエル・カントは「ヒュームは哲学を独断論の浅瀬に乗り上げることから救ったが、懐疑論という別の浅瀬に座礁させた」と批評している。」

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「ゆとり」の果て

寺脇研がジュンク堂でミニトークショーをやるらしい。

大丈夫なんか( ̄▽ ̄;)
文科省時代の彼のやり方に反対しておる大勢の人たちに袋叩きになったりしないんか。
まあ、著書サイン会も兼ねてるであろうから、金出していちゃんもんつけにいく人はあまりいないであろう。

著書は、格差社会がなんたかたらというものである。リンクなんか張ってやんないよ。彼の推進したゆとり教育を推進するならば、格差社会が無くなるというものであろう。読んでないけど、そういう内容じゃないとおかしいし。

何度書いているけれど、教育にゆとりというのは必要である。しかし、教科内容を大幅削減することがゆとりだとは考えられない。総合学習という観点はよいと思うし、生徒がみんな100点取れるなんてすばらしいではないか。

が、しかし、文科省はそれに対してスローガンを掲げただけで、方策は何も提案していない。教科書を薄くするとなぜ、生徒が勉強するのか、総合学習やってくださいね、でどうしてそれが現場でできるのか、まったく理解不可能である。スローガンを実施すべく綿密なノウハウを提供するのが文科省のお仕事である。現場に丸投げって、官僚の仕事全然してないじゃん、っていうことが問題ってわかってますか、寺脇さん。

あの人たちの考えはみんな同じで、在職中に、国民があっと驚く企画を打ち上げればいいわけである。
ほんと、驚いたよね、教科内容3割削減って(^^;)
あとは、現場でなんとかしてくださいね、なのである。
現在進行中の科学コミュニケーターのプロジェクトも同じなのである。
あんなニーズもシーズもないことよくやるよね。

文科省内に期限付きで何十人か現行教職員を入れて現場との意志疎通をはかるとかできないのかねえ。できないんじゃなくて、しようと思わないんでしょう。自分たちの利権が小さくなっちゃうから。

これも以前書いたけど、
文科省は解体して、職員は全部外注したらどうでしょうね。

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平和行動の人・湯川秀樹

ラストメッセージ 湯川秀樹

湯川秀樹の平和行動をまとめた媒体というのは今まで無かったのではないか。

感動した。

何か初めは、ラッセル卿とアルバート君とは昔から仲良しだからなあ、サインしようかなあ、どうしようかな、という雰囲気であったが(これはアマサイの空想ですので)、アインシュタインの死によって世界平和を真剣に考えたようです。

ラッセル・アインシュタイン宣言

「私のような浮世離れした研究をしているものであっても、科学者として社会への責務を果たさなくてはいけない」
初めからそう思っていたのではなくて、先の大戦を体験し、その一番の打撃が広島・長崎への原爆投下であり、それは自分の物理学の研究と少なからず関係があるという、ほんとに科学者としてプリミティブな考えが発露となりました。

「湯川は物理学だけに没頭できる日が来るのを願っていた」
いかようにでも、解釈できますが、やはり世界平和なくして、(浮世離れの)科学研究をやっている場合ではない湯川博士の人間主義的哲学でしょう。

時代は湯川博士の運動とは、真逆の方に進んでいきます。核開発を止める国などどこにもありません。

今現在も"成り上がり者"のアメリカ合衆国の「ご威光」に振り回されている軍拡競争です。

それでも湯川は叫びます。
「核爆弾は絶対悪」
「国連強化の元、全加盟国の一斉軍縮」
(後年は世界政府設立の運動へと変わっていく)

「そんな難しいこと言うてへんのやけどなあ。簡単なことなのになんでみんなわかってくれへんのやろ」
関西弁を交えた湯川のつぶやきには、その優しさとも人々の心に響きます。

湯川は病をおして最後の活動を行います。
湯川・朝永宣言

核が現存する以上、廃絶は現実的ではない、共存を考えるべきだという合理主義が大半である時代、湯川と朝永は、共存は不可能、全廃しか人類の生きる道はないと説きます。国の利益を背負い、会議の参加者が宣言のサインを渋るなか、ある映像を流します。原爆下の日本の生映像。参加者は初めて原爆を恐ろしさを知ることとなり、全員が湯川・朝永宣言にサインをします。

湯川の愛弟子の多くが、彼の物理学の精神だけではなく、平和追求の心も継いでいることに安心感を覚えます。しかし、彼らさえも高齢者です。この運動は日本人全てが担うべきことでしょう。

真にラッセル・アインシュタイン宣言が実現する日が必ず来ると信じています。

日本に湯川・朝永両先生がいらしてほんとによかったです。今日もランキングぷちっとな、お願いします。【押す】
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金八先生を求めるわけではないが

昨日のプロフェッショナルは中学の英語教師・田尻悟郎氏

授業はエンターテイメントと言いきるところにちょっと違和感を持った。ゲームやクイズだけじゃねえ。でも、彼が「英語は難しいぞとそのまま出すこともできるが、敢えてそれを糖衣で包むことによって誰でも飲めるようにする」という言葉を聞いて納得が言った。
田尻さんは単に遊びで授業を行うのでなく、それに生徒が熱中する術を心得ている。させるのではなく、そのように導くのである。

そんな田尻さんも挫折があって今がある。
若い頃は、生徒になめられまいとスパルタに徹していた。英語教育では満たされない情熱を部活の野球指導に注ぐ。そこでもスパルタだった。県大会で優勝するまでになるが、生徒から思わぬ反撃をくらう。

「僕らががんばる原動力は先生への恨みです」と。

地元の島根に帰って一からやり直す田尻さん。それで出会ったネイティブの英語補助教員の生活に根付いた指導方法に開眼する。

こんな先生がいればなあ、と誰も思うような方であった。

アマサイは教育システムうんぬんをいうより良い教員を育てる大学の教育学部を作るべきだと思うのです。うむ、しかし、それも教育システムの一環であるか。また、情熱的な若者でも、キャリアを積んだ年輩の教師であっても萎えてしまうのが今の教育システムであるのだなあ。


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科学は宗教と対立するのか?

Akumatenshibon『ダ・ヴィンチコード』より『天使と悪魔』がおもしろいらしい。
と思って売り場に行ったらまた便利な本を見つけてしまった。
『天使と悪魔の「真実」』 (竹書房文庫)
題名はちょいといかがわしいが、著作に出てくる事項の解説本である。ダヴィンチコードではたくさん出ているけれども。

ここに「宗教と科学の対立」の項がある。
アメリカ人(欧米人)ってまだ「対立」してんのかよってちょっと不思議である。
科学は宗教(キリスト教)から生まれたから、なんておっざっぱな根拠を持ち出す人がいるが。
というより、科学と対立している部分で儲けて既得権を持っている輩がいるからだろうな。
信仰を守る、とか言っている人は踊らされてるだけだな。
(この辺は別所で詳細に書いたんだけど、問題ありそうなので割愛)

ここでもドーキンスおじさんは
「一部の信仰者は、わかりもしないのに、科学にけちをつけてくる。頼むから、科学の進歩の邪魔をしないでくれ!」
と怒っています( ̄▽ ̄;)

ポーキングホーンみたいに物理学から神学に転向した人の問題提起なんて、宗教VS科学の構造を持たない日本人には共有できなんですがねえ。
http://www.bk1.co.jp/product/1690644

書けば書くほどまとまらなくなるのでこの辺で切り上げました。重要な問題だとは思ってますよ。「人気blogランキング」アップにご協力ください。【押す】
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『総合人間学』試験終了

先に述べた総合人間学だが今日30日、試験だった。
問題は明かさない。以下雑感。

流れ的に、実存主義者、キルケゴール、ニーチェ、ハイデガー(彼自身は実存主義ではないと言っている)が大事かなと思った。カントなんて今哲学専攻者以外が学ぶ意義ってあるのかな、と思った。たぶん、偏見でしょうが。

一番気に入ったの、これからも読んでみたいのはハイデガーである。それはたぶん一番現在、21世紀に近いだからだろう。

キルケゴールは一度婚約解消したくらいで独身主義者になっちゃって、「死に至る病」とか言って短絡的だし、

ニーチェは神は死んだって言っているわりには、晩年おかしくなっちゃうし、

ということは関係ないわけだが、
哲学なんかやってもろくな事ないんじゃないか、と世間には印象つけていると思う。
二人とも非常にいいこと言っているんだけれども(って言い方もなんだな)。

人間学だからしょうがないけど自然科学のからみがでてこない哲学史ってどうもね、つまんない。デカルトくらい出てきてほしいもんである(少し出てくるけど)。やはり、哲学だったら、分析哲学、言語哲学がおもしろいなあ。教養学部なんだから、大学院の方にも科学論とか科目をおいていただけませんか?
>放送大学御中

今回使った教科書以外の本

・竹田青嗣『自分を知るための哲学入門』ちくま学芸文庫
・西研『実存からの冒険』ちくま学芸文庫
通俗書ですが、こういうの読んどくと理解が全然違います。大学(院)だからって見栄は張らない方がよいのです。

・モーリス・デュピュ『ドイツ哲学史』文庫クセジュ
意外に適当な通史が新書、文庫ではないんです。

・細川亮一『 ハイデガー入門』ちくま新書
・オリヴィエ・コーリ『キルケゴール』文庫クセジュ
は買ったまんまなので暇をみて読みます。

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最新恐竜学

ほぼ同業者ほど恐竜好きではないのだが、サイエンスゼロでやっていたので、何気に見ていた。

首がえらいでっかいアンバランスでよく立って動けるなあ、と思っていたら骨の空洞があるわけね。

ああ、これNHK特集で見たなあ。遺跡の骨を輪切りにするところは初めて。肋骨、2メートルくらい、を電動ノコギリで輪切りにする。地中に長いこと埋まっているから土が入り込む。考えてみれば不思議である。それを削り取ってまたつなぎ合わせて透視するとラインが見える。これが酸素を運ぶための通路になっている。おおっきい体を駆動するにはエネルギーがいるので、大量の酸素を取り込むということらしい。

恐竜があそこまで巨大になった理由として、そのときの地球のちょー温暖化で説明していたが、そうなんかなあ、とちょいと疑問である。

* * *

以前、ダイエットの番組で青汁だけで生活していた女性を紹介していた。健康であるし、体調不良もほとんどないということだった。誰もが不思議に思ったのが、その方がどちらかというとふっくら体形であったことだろう。野菜だけだったらやせるのでは?

それに関して、栄養学者が「青汁だけしか摂取しないと、体がそこからすべての栄養素を取り込もうとするので通常食生活者以上のもの吸収するようになる。牛が草しか食べていないのに容積が大きいのはそのせいだ」と説明していた。

ふーむ、人間でさえも、食物によって体の機能を変えることができるのか。

* * *

恐竜展は一度行った方がいいと友人に言われたことがあるが、未だ実現していない。

誰か一緒に行きませんか?

サイエンスゼロ、次回も恐竜特集らしい。

すぬーはまたそのうち登場します。とりあえず、今日は人気Blogランキングにぷちっとな、しておいてください。宜しくお願いします。【押す】
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小学校英語必修提言について

いろいろ騒いでいるがアマサイは反対である。

なぜなら、

他の教科の時間が減るから、
もしくは英語を学ぶに十分な時間は宛われないから
である。

小学何年生からはじめようと計画しているのかしらないが、8,9歳なら、一応の日本語の読み書きはできるし、もう一つの言語を受け入れる脳の領域は残っているだろう(脳科学でなんというか知らないが、「赤ん坊は習わなくても日本語/英語を覚える」っていう力がまだ残っているのではないか。もちろん、赤ん坊のようにはいくはずないが)

つまり、10歳未満から外国語を学ぶこと自体は反対ではない。現行小学校の授業数は20年前より確実に減っていて(土曜日登校がなくなったんだから当たり前である)、どこに英語の時間つっこむんじゃいって話である。土曜日を英語の日にして毎週授業を行うなら別である。やった方がいいかもしれない。

小さいうちから英語をやると日本人としてが、アイデンティティっていう人いるけど、日本人だらけの日本国に居てどうして日本人として自覚が無くなるのだ。だとしたら、元々アイデンティティなんて存在しないんだろう。なんか、それが正しいような気がして、怖い。
(まあ、アイデンティティというのは「他者」がいてこそ、育つのだから、日本では持ちようがないかもしれん)

それにしても、日本語力の減退が叫ばれているのになんで文科省は何もしないだろうか。(回答はここにすでに書いてあるが)

新しい科目、つまり英語、を導入して効果が全くない、なんてあり得ない。なんらかの効果はあるだろう。文科省はそれを狙っているのだ。

漢字の読み書きができない子が増えることも、九九ができない子が増えることも、

だってさぁ~、

小学生がABCソングを

みんな歌えるようになるんだから

いいじゃな~い

で全部オフセットする、

そんなばかげた言い訳を奴らに許さないためにも小学校の英語必修科目は絶対許してはならない。

・東京新聞
5年生からを想定しているみたいですね。

* * *

ところで柳田先生のとこにトラバしたせいかずいぶんアクセス数が上がった。

でもさ、ここに来たら、

ぷちっとなしていってくれよ~

30分後くらいにアマサイブログに10点加算されます。そういうするとアマサイ@家主はうれしいのです。

君たちに何ら不利益はなかろう。
( ̄▽ ̄;)

あんまり言うとセキララのおっさんみたいに下品なブログになるからこれくらいにしようっと。

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哲学的人間学

(昨日ココログのメンテ延長のためアップしそこねた)
放送大学大学院修士選科生でとったのはこれ。印刷教材は
柏原 啓一『総合人間学('06)』

そして、今回のお題(通信レポート指導)は、
「○○について、次の哲学者から一人選んで論ぜよ」
というものだった(レポートの問いを公開するのはまずいと思うので、改変してあります)。

私は、専門研究書から啓蒙書まで参考資料の多そうなカントを選んだ。一応修士のレポートに新書版はまずいと思い、そこそこ詳しく書いてある、円谷裕二の『近代哲学の射程』を元に書くことにした。同じ放送大学の教材なので文句は言われないだと思う。元々の柏原先生のテキストだが、カントについては2章分書いてあるが、ボリュームがなく、そんなに詳しくはない。

ここでふと考えたが、レポートの主旨は指定テキストに基づいて書けばいいということなのだろうか。 だとしたら文章要約能力しか試せないことになる。もちろんカントの原著『純粋理性批判』を読んで答えればいいのだが、そこまで要求はされていないように思う。本テキストは近代哲学(から若干現代まで)の人間学をまんべんなく記載しているので。

迷ったが、最初と最後は柏原先生の言葉を記載し、あとは円谷先生の著書を引用しますと断ってまとめた。

おお、今回はぎりぎりじゃなくて、ちゃんと郵送したぞよ(今までは締め切り当日幕張本部まで「飛脚」したんだよ)。

哲学思想関係はこれしかなかったけれど、科学哲学もちょっこっと出てきて私の志向には合っていた。

読んどくといいもの
●カント 世界の限界を経験することは可能か
 (シリーズ・哲学のエッセンス)
著者:熊野 純彦
価格 : \1,050 (本体 : \1,000)
出版 : 日本放送出版協会
発行 : 2002.11

このシリーズなかなか良いと思うんだけど、バカにする人多いよね。読んだことあるのか、そういう人。ちゃんと原著をニュアンスを残して書いていると思う。こういうのが書けるのがほんとの哲学(教育)者じゃないのかな。

でも、熊野さんは円谷先生のカント研究書をクセのあると書いていた。参考文献に上げているのだから、けなしているわけではないが。
哲学者同士って他の分野より激しい軋轢がある気がするのだが。
(以下激しく自己規制。。。)

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ドゥーガル・ディクソン

「アフターマン」や「フューチャー・イズ・ワイルド」で有名なサイエンスライター、ドゥーガル・ディクソンが来日していたらしい。

インタービューの中で子供たちが科学に興味を示さなくなっている、ということに関して、
「最先端の科学の研究はどんどん専門化していて、一般の人々がほとんど理解できない状況になっています。そのことから、人々が科学者に対して不信感を抱くようになっているのではないかと思います。
 サイエンスライターとして、そのギャップを埋めるのが私の使命だと思っています。最新の科学の成果をわかりやすい形で人々に示すという私の仕事は、とても意味があると自負しています。」
と答えていました。

高度細分化が大衆から科学を引き離している原因の一つと思われる。やはり仲介役は必要だろう。科学者本人たちにそれを託するのは酷である。科学技術コミュニケーター/ジャーナリストの活躍が期待される。

なんか、みんなパソコン・ネットワークの解説者になるような気がしないでもないんだが(そこが手っ取り早い就職先だから)。無いよりまし、という事態よりは大きく上回ってほしいものである。

って書いていたら、こげなニュースが。
金沢大 8学部を3学域に再編
「入学時に学部よりも枠組みが緩やかな学域に所属することで、その後のコース選択を弾力的にできるほか、これまで2学部にまたがっていた学問領域も学域として取り込めるメリットがあるという。」

全部一括領域にしちゃったらなんかまずいのか?


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大学の「学力」

先日、a女性科学者のスペース2における「博士号、の意味2」に対して応接室で意見を述べました。
私の言いたいことを大学関係者の方がスマートに且つ的確におっしゃっていたので、引用することにします。

■「大学の教育力こそ問題」城西大学理事長 水田宗子 日経2月27日29頁

もう題名からしてそのままである。日本の教育問題は大学にかかっている。

「私は、学生の学力の低下を大学以前の高校、中学、小学校での教育や家庭教育のせいにする、そうした大学人の姿勢や見解は間違っていると思う。」

「偏差値の高い学生を入学させ、優秀な教授をそろえ、多額の国庫補助金で運営される国立大で、学生客基礎知識や能力をきちんと持った人材に育成しようとせず(あるいはできず)、それを他人のせいにするなど、社会は納得するだろうか。」

これは私もゆとり教育(2002年度指導要領導入)のときからずっと言っていることである。「算数ができない大学生」とか大学の教員が本書いてどうするよ。自分たちは教育能力ありませんよーと公言しているだけじゃん。
また、こういうのにそうだ、そうだ、と賛同する、ニセエリートもおかしいんだよね。

「問題は、学生の質の低下である以上に、大学の教育力の低下なのであり、大学が教員の教育力の育成を怠ってきたということなのである」

「大学は学生を選別してきたほどの厳しい基準や評価で教員を採用してきただろうか。大学教員は大学院という研究者養成のためのコースで専門分野の勉強をしたが、学生にものを教える方法も技術も人間教育も受けてこなかった」

「大学はまた、企業が採用した新人を戦力として養成するほどの努力を払って、採用した教員を育成し、教育機関として責任感を持って教育力向上のための研修や評価を行ってきただろうか」

大学の理事長が言っているのだから、こんな確かなことはない。
私が書くとR白書ブログ常連のねちっこいおじさんに糾弾されちゃうけどな。

大学サイドの方はこういう認識を共有し、教育を根底から変えて言ってほしいものである。
大学サイドというのは、経営・運営・事務方も含むが、多くは教員を指す。大学教員というのは小中高と違って独立した研究員、一城の主的要素が強いから、考えを共有するって難しいだろうね。

最も、上記スペースの管理人たるsachiさんは、
「自分としては、教育”する”側の方に「もっとちゃんと教育しませんか?」と投げかけた」
とおっしゃっているので、水田さんや私の考えと大きく異なるモノではないだろう。

でも、それにしちゃぁ、論旨が途中でずれてるよ、お姉ちゃん。

本記事は他にも有益なことが言及されているので是非お読みください。

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手に負えないお馬鹿な文系教授

セキララのおっちゃんの実物に会って、30代中盤にして、生え際がアブナイのではないかと心配してあげているアマサイである。

さて、科学技術の振興に対して、絶対こういうこと言う人いるはずだと思っていたが、あまり見かけなかった。私は↓以下の記事が初めてだったので、備忘録としても記載しておく。

・日経新聞1月10日 佐々木毅「経済教室」
日本政府の高等教育に対する投資水準が相変わらずOECD諸国中最低水準であることを考えると科学技術の予算の扱いは際だっている。特に高等教育を受けている若者の中で大多数を占める文科系の学生たちへの配慮との格差は歴然している。実際、政府のイニシアチブによって始められた法科大学院に対する国の支援措置にしても、先の科学技術の予算に比べれば「ささかや」の一言に尽きる」

このあと、経済・産業重視ではならないとか、お上を崇めるパターナリズムであっていけないとか、持論が延々と続き、締めくくりは高等教育の投資水準を先進国並に高めるべき、で終わっている。

ああ、これだから、文系はなぁ困るよな、と文系不要論ブログの人みたいに思ってしまう。

そもそもOECD諸国の水準とは何なのか示されていない。具体的な資金の量なのかGNPに対する比率なのか、後半ぐだらないことをぐだぐだ述べるならば、ここにきちんと資料を提示するべきである。何せこの比率を根拠としているのだから。

それに、理系と同じ金を文系に投じなくてはいけない理由が明らかでない。どう考えてても、器具、装置、材料を使う科学研究の方が法学研究よりも、ゼロが最低でも2つ、3つつくほど金がかかるのではないか。

佐々木先生は、政治学がご専門だそうだが、どこにお金をかければ、研究振興になるんでしょうねえ。

東大総長をやり、私大(学習院)でのうのうと教授職についているならではの戯言ですな。

タイトルが「社会変革の基礎」とか「文科系知識の重要性増す」とか書いてあるんですが、何れも、その内容は書かれていない。

まあ、こんな人に原稿を頼む方も頼む方だが、学歴社会のトップを走ってきてこの程度のことしか書けないとは情けない。

そんなことより、総長を務めた東京大学が世界大学ランキングのずっーーと下の方であることを問題にしてくださいよ。佐々木先生。

なんか書いていてむかついてきた。

---------

この記事先に紹介した坂村さんの記事とともに、ここ一週間日経の同欄で「日本復活の進路」と題して、主に科学・技術・産業をテーマにしているらしい。

ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏も6日に書いているのだが、科学技術全般のことをまんべんなくつつがなく書いておられたのであんましおもしろくなかった。ああ、sachiさんとこの理事長さんなんだなあ。そりゃ、立場上全部「可」になること書いておかないとね。それとも、もう名誉職になったから守りに入ったか。

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子供の選択肢として科学者

アンケートとか統計というものはtabula rasa(白紙状態)で行うなんてあり得ない。なんらかの意図に基づいて、所望の結果を得られるように行うのである。

学力調査なんて、年々子供たちは阿呆になっているということを結論づけるためにやっている。これは主に、近年のゆとり教育の批判、改正の根拠のためであろうな。

で、最近一部で話題になっているこの調査、一体なんのためであろうか。

理科大好きでも科学者イヤ 中3男子56%・女子81% 2005年12月10日

「その結果、理科については「面白くて他の教科より好き」が33%、「面白いがもっと好きな教科がある」が32%、「面白くなく嫌い」が33%と三分された。」

6割くらいのお子達が、理科を気に入っているらしい。よいことではないか。
今までの統計では、多分、見られないことである。

ところが、「科学者になりたい」との回答はわずか34%(男子44%、女子19%)。男子の56%、女子の81%は「なりたくない」と答え、前者の回答との食い違いが目立った。

うーむ、学校理科と職業科学者とは繋がらないのかもしれないな。

で、当の科学者さんや学者さんの意見でこのようなものを見つけた。
「まぁ、なにも科学者にならなくても良いと思うのです。科学に興味を持ったまま、大人になって下さるなら。」

「まず第一に、科学者になりたいと思う中学生が多い必要はまったくない」

おっしゃることは、その通りなんだけど、それが科学、科学者の問題点なんと違うかい。普通、野球の好きな子は野球選手、車の好きな子は、運転手とかメカテクニシャンになりたいって思うよね。後者の学者さんなんか「このうちの大部分が科学者になりたいにも関わらずなれずに終わることになる」なんておっしゃているわけだが、そんなこと関係ないんだよね。これは進路指導じゃないんだから、実際なれなくても良い訳だよ。

問題は野球好き⇒野球選手のようなラインが、
理科好き⇒科学者になぜならんかということであるよ。

プロ選手を前にして、お子ちゃまが、
「僕野球は大好きだけど、選手にはなりたくないんです。練習がきついし、選手生命は限られているし、後の生活がたいへんですから」
とか言ったら、どうよ。
そうだねえ、普通に大学出てサラリーマンになった方がいいね、とか言うかねえ。建前としてそれはありだと思うけど、まず、後に大きくのけぞってこけるでしょう。

しかし、科学・学術業界の方は、
別にいいじゃん、趣味でやってれば、
とおっしゃる。

なんか科学というものの根源があるような気がするよ。

「このような高尚なものは、皆がやる必要はない、高校の理科ぐらいで満足しておきなさい。年に何人か優秀な人間というものがいる。その者たちにまかせておけばよろしい」

違いますか?科学者、研究者の皆さん。

と考えると上記の統計はなかなか価値あるものではないかと思ったりするのだ。

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最新科学技術は小中高で教えるべきか?

Kimballさんの応接室でのお話
(余談力、だと  投稿者: Kimball  投稿日:12月 5日(月)22時27分15秒)
に刺激されて表題を考えてみます。

私は教えた方がいいと思いますね。最新科学技術。
理科とは別立てにすべきなのは当然として、でも、何をどの学年で教えるかが問題ですね。総合学習ってその点便利だと思うのですよ。
「携帯電話でどうしてはなせるのか」
「クローンって何」
「宇宙旅行は可能か」
なんて、どれでも好きなの、何でもつっこんで好きなことをやればいいと思うのです。

最新科学技術学習のポイントは、
ブラックボックスで事を済ませない、
ということです。

テレビだって、パソコンだって、中身を知らなくても使える。
もちろん、開発者じゃないんですから、詳細はわからなくても、ポイントだけでも知っておくべきなんですよ。

科学的思考、論理的思考を育むということです。

「死んだ人間も生き返ることがある」なんて答える子供を増やしてはいけませんよ。(これは思考の問題だけじゃなくて、超常現象への「憧れ」みたいのもあるとは思います)

(正しい)知識を与えるというのは、受動的行動ではなく、能動的行動を産むと思います。世の中すべて理屈があるのだな、とわからせることです。
マイナスイオンで健康になるとか、
ビタミンCをお肌に塗って若返り、
なんてことは本当だろうか、と疑問を持つ習性をつけます。
(『水伝』なんて生徒からつっこみがきます)

やはり、それは科学を学ぶことが一番だと思います。
通常の理科は、理科でよいと思う。問題を解くという行為も重要だから。

基礎学力、と言われる部分はしっかりやって、時代に応じて変化するものに対応できる。現代の学校教育に必要なのは、
ソリッドとフレキシブルの兼ね合いと思います。


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高校物理

薫日記より
Kさんによれば、物理学の本が敬遠されるのは、高校時代に物理の授業で「トラウマ」を植え付けられた人が多いからだそうで、そういえば、同じような話を鈴木光司さんのパーティでも聞いたゾ。

を読んでいんすぱいあされました。

アマサイは、高校で物理を取っていない。取得希望者があまりも少なく、開講できなかったのだ(アマサイは、都内のあんまりお利口さんでない某私立女子校出身です)。学校側も一人、二人のためにコマをつくるのはいやだったらしく、貴方のためだけに開講するんだから、ちゃんと勉強しないさいよ、みたいな通常ならありえない圧力をかけてきたので、物理修得はあきらめて、大学受験は化学で乗り切ることにした。こっちだって十代の乙女、ムサイ物理教諭と一対一の授業なんていやに決まっとるわい。無事大学に受かったあとの春休みに高校物理は、少しやった。

しばし、回想してみるに、高校のとき、物理Ⅰ、Ⅱを取っていたら、アマサイは今のように物理好きになっていただろうか。確率のとしては、半々である。高校の科目の中で一番手間がかかるのが物理のようか気がする。予習復習に大量の時間が必要となり、当時の私にそのようなパワーがあったとは思えない。しかし、他方で大抵力学から始めるから、あの運動方程式の解法のコツが習得できれば、おもしろくて、光学、電磁気学まで一気に学習できるだろう。

ああ、そして、アマサイは物理科に進んで、でも頭悪いから、希望するであろう研究業につけず、悲観主義全開になって、求職活動はできず、ニートの先駆けになっていただろう、
てなこともないが。

妄想はともかくも。

現行の高校物理が悪いかと言えば、そんなことはないだろう。
(私が高校生であった時代を想定している。改訂が何度もあったと言っても、内容が多少薄まった程度で、量子力学が単元に加わったとか、電磁気が無くなったとか、ドラステックに変わったわけではないでしょうから。)
理系に進む者は、しっかり、章末練習問題などを解ける力をつけるべきである。

しかし、文系、例えば、日本文学とか希望する者、にもそれをやれというのは酷なような気がする。
じゃあ、文系には『物質をめぐる冒険』を教科書として、教養的なものを教えればいいのか、と言われれば、違う。
じゃあ、文系には負担を少なくして、単元を少なく、あるいは小さくすれば、いいのか、と言われれば、益々違うような気がする(教科書が薄くなる=やさしいではない)。

例によって、例のごとく名案は浮かばない。

多くの理科教員が検討しているであろう、科学史、あるいは科学史的アプローチは有効なのではないかと思う。

理学部、工学部に進む者以外が知っておくべき、物理とは、
公式の意味とか、
物理固有の概念(真空、圧力、場など)
ではないか。だったら、問題を解くという作業をしなくても養えるものである。

しかしながら、物理学上の発見だけを羅列する、粗悪な通常の歴史学習の二の前を踏むのではないかという懸念は多々ある。


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環境工学のレポート

先に述べたように、アマサイは放送大学大学院科目履修生(所謂院生ではない)として「環境工学」を履修している(一学期一科目計画)。
やはり、中間レポートが期日に間に合いそうもないので、幕張の本部まで届けに行った。
会社が終わって埼玉県某所から秋葉原で総武線に乗り換えてとことことこ。本部着いたのは21:30を回っていた。まだ修学課の人がいるのというので、渡しに行った。ふっ~。それからまた総武線でとことことこと家に帰る。

今回のお題は、自治団体のゴミ収集を調べるというものだった。なんか小学生の社会科の自由研究みたいでしょ。事実、区のHPの循環型社会for Kidsという資料でデータ収集はだいたい可能であった。それだけではなくて、ゴミ収集における問題点と解決方法を述べよ、という文章題もあった。まあ、一応修士レベルの科目だかんね。

アマサイは、2つ解決例を出し、一つは、家庭ゴミ収集有料化を提案した。そうそう、こないだのディベート合宿の論題である。パソコンに資料が残っていたので、適当に見繕ってレポートらしくした。即行30分ぐらいで書いたにしてはまあまあだろう。回答を2つ書くなんてなかなか偉いぞ!>自分

なーんて、満足して、帰りの電車の中で印刷教材を読んでいたら、
はた、
と気づいた。

これ、

環境、工学、

だよね、

だったら、

収集有料化ってのは、

あんまし、工学には関係ないんじゃないのぉーーー

がっくし、

もう一個の回答はちゃんとエンジニアリング的アプローチでした。

※課題をそのまま明かすのはまずいと思うので、着色してあります。また、次学期が同じ内容とは限りません。

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研究者が科学啓蒙書を書くこと

科学史家の伊藤憲二さんのブログにリンクしてあった池谷裕二さんのページ「研究者が科学啓蒙書を著すこと」に対する賛否諸々を興味深く読んだ。

アマサイには、この問題提起がそもそも驚きである。
企業研究者なら、いざ知らず、私立・国公立大学の教員、旧政府管轄の研究所の研究者であれば、科学啓蒙書を書くのは当たり前で義務ですらあると思う。
市民の税から幾ばくかの金を得て、研究が成り立っているのだから、自分の持ち分野を世に問うことは当然であろう。まさか、研究論文さえ書いていれば、研究者としての使命を果たしていると考えているわけではあるまい。
一体なぜこのような自明な命題を否定する人がいるのであろうか。
うーむ、伊藤さんのコメントを踏まえ上記ページをつぶさに読むと、主に反対意見を述べている人は、池谷さんの同業者、若手研究者という可能性が高い。

>要領のいいタイプの人間の存在自体が迷惑だ。
(自分は研究で手一杯なのに、なぜそんな時間があるのだ)

>引退したら本はいくらでも書けるはずだ。
(論文もそんなに書いてない奴が生意気だ)

いやはや、やっかみ、嫉妬ばかりではないか。
研究者の世界もなかなか難しいんですね。

若手に単著というのは難しいと思うので、共著でもいいし、科学一般誌の解説記事でもよいと思う。是非、専門誌読者以外を対象に発言をしてほしい。

やはりね、科学研究自体が象牙の塔にしまわれているんだよね。単純に研究者が悪いんじゃないと思う。どこでも風通しはよくしていかないと。

また
KAGAKUSANKAKU
のトライアングルをだね、形成していくことが大事だよ。うむ。
この構図はあるんだけどね。科学ライターの層が薄いし、研究者と市民との行き来があまりにも無いのが問題であるよ。

(言い方はめちゃ悪いが)余剰理系博士をうまく活用していけば、このシステムが正常に動くんではないかとアマサイは考えている。
かんばれ!博士さんたち!

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環境工学。

薄々分かってはいたが、そろそろ放送大学大学院のレポートの準備をしなくてはいけない。準備とはまずテキストに風を通すことである。テキストが送られて1ヶ月あまり、きれいなままである。

アマサイは全科生ではなく、科目履修生で、1学期に1科目しかとらない。他の勉強の兼ね合いがあるので、そっちが落ち着けば全科生になりたいと思っている。

で、今期は『環境工学』。前回は環境マネジメントだった。ちょっと重なる部分もある。たまたまHPを見たら「主任講師がえらんだ授業関連の参考文献」なる表があった。年鑑みたのもあるが、購入しやすいのもある。

『地球白書 2003-2004』レスター・ブラウン編著 ; エコ・フォーラム21世紀日本語版監
『地球環境を考える』渡辺正編;石弘之, 鈴木英夫, 鈴木基之共著
『環境経済入門』三橋規宏著 (日経文庫 ; 851).
『環境保全・創出のための生態工学』岡田光正, 大沢雅彦, 鈴木基之編著.
『貧困との闘い』 / 世界銀行 [編]
『環境リスク論 : 技術論からみた政策提言 』中西準子著
『バイオアッセイ水環境のリスク管理』鈴木基之, 内海英雄編

『環境リスク論』なんかは持っていてもいいだろう。前回環境経済学の本も買って置いたので役に立ちそうだ。

テキスト(2003年発行、鈴木基之著)目次には、上水下水処理、バイオマス、有害物質対策、循環型社会、資源化手法、地球温暖化と工学の対応などが並んでいる。なるほど環境工学だなあ(^^;)当たり前。

環境科学なんてあんまり好きじゃないんだけど、私の知りたい知識を含有しているし、流行だし。教養学部の修士だから、なんか院なのに、広く浅く(はないだろうが)みたいな感じなんだよね。でも、同じように思った『環境マネジメント』も結構ためになった。やって損はない。っていうか、単に単位を取るだけじゃなくて、自分にプラスになるから履修しているわけだが。今度は工学的手法なので、より身近であろう。

ところで、私の学生証はどこにいったんだ?学習センターのビデオ見られないじゃないか。

* * * * *

snoopy05111001

うちに二番目に来たすぬー。つり下げひもがついていたが、とって自由にしてあげた。『ミニすぬ』と呼ばれている。ピンクというか肌色がかったのが特徴。母からにせものスヌーピーと言われて怒っている。だから今でも文句を言わず、アマサイの部屋にいる。

snoopy05111002


かぼちゃをかぶってみました。去年のハローウィンです。画面には見えませんが、ライナスがかぼちゃ大王に会おうと潜んでいます。

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科学啓蒙と研究

森山さんの記事1記事2に刺激されて書きます。

森山さんは、
研究者がウェブ日記を書くことには賛成だ。だけど、最近のウェブ日記あるいはブログが、いわゆるアウトリーチになってるのかというと、どうにも疑問だ。(中略)
日々のずっこけ日記とか愚痴日記も確かに面白い。けれど「あなたがやってることの本当の面白さってそれですか?」と聞きたくなるようなブログが多い。自分の研究をゼロから一般人に説いてみる、というのも良いんじゃないの、と思うんだけどどうだろう。

と書いておられる。

うーむ、自分の研究をゼロからって、かなり困難ではないか。
っていうか、そういうの興味持っている人どのくらいいるんだろうか。
(森山さん=サイエンスライター、とか私=特許屋さんとかを除くとごくわずかかと)
市民が知りたいのは、そこまで細分化科学ではないく、もっと手前の科学であろう。
量子力学が現実にどのように応用されているか、
タンパク質が人体にどのように作用しているか、
つまり、自分が研究している分野の上位概念を啓蒙すべきであろう。
いや、もっと手前、物理とは、化学とはのレベルかもしれない。
まあ、そこまで、下がるというか、上がるというか、
行ったなら、科学業績としては認めずらいですな。
みんなでやれば怖くないじゃないけど、
学会全体でそういうのを促進する、そうするべきじゃないかな。一人でちまちまやっているだけでなく。
ここで批判したように、学術団体が欠落しているのは、啓蒙能力なのだ。科学研究だけじゃなくて、市民の科学知識育成は自分たちが担っていると意識が全然ない。
「最近科学離れじゃのお、学力低下だのう」
と研究者が言っていたとしたら、
それは、あんたのせいだろ、
ってことなのだ。

で、また、森山さんはこうも言っている。
思うに、いま科学離れなるものが言われるに至った理由の一つには、科学者なる人がいったいどんな人なのかさっぱり伝わっていないことがあげられるだろう。
それはさ、研究自体じゃなくて
ずっこけ日記とか愚痴日記
でいいんじゃないかな。
こういう人たちが、ノーベル賞とか、紫綬褒章とか、京都賞とか、(←私でも知っているのを列挙)取ったら、めちゃくちゃ親近感わくよ。そういえば、子育て日記の合間に書いてあった、小難しいことが評価されたのか、すごいなあ、と。
そういう、近所のおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さん感みたいのが、科学あるいは科学者に欠けているってことですよ。
その業績だけでは、それを行った人の人となりが全然わかないのが科学の不利な点だと思う(スポーツとか文学とか芸術に比べ)。
だから、この人とかこの人のブログは非常に意味がある私は思うわけだ(おもしろいというのはかなり重要だ)。

そして、そして、科学啓蒙という点を取り出してみると、
サイエンスライター、科学解説者、科学技術コミュニケーター
肩書きは何でも良いんだけど、そういう人たちの質と層の拡充が非常に大事なわけですたい。
だから、森山さん、竹内先生、これからもがんばってください。


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理系の現在と未来

埼玉県某市所在の研究所に勤務で、最近複数一般誌にグラビアが掲載されている国生さゆり風ゴージャズ姉さん、要はsachiさんなんだが、のブログ記事にいんすぱいあされて書いてみます。また、そこにトラックバックされているJosheph Yoikoさんの記事も参照します。当該記事、ブロガーを批判しているわけではありません。念為。

●ステレオタイプは避けられない。

私の理解が正しければ、
「とある女性ブロガーが、母親を毒殺しようした女子高生日記(実物は警察によって封鎖)を引用し、
その女子高生が化学に強いことに言及している(これはそういう報道があった)。
このブログを読んだ人々が、
・理系の人間(研究者等)は、このように科学知識を悪用している輩が多いんではないか、
・また人間を研究対象にする場合、感情を持ち込まない、平気で残酷なことにできる人間達
と誤解しはしないだろうか。」
ということをsachiさんは心配している
とのことである。

少ない事例で、ラベリングを行う、ステレオタイプを構築してしまう、ということを危惧されているようである。

だが、誤解する人間はどう説明しても誤解する。それは仕方がないことである。
ステレオタイプは避けられない。しかし、それが極端であれば、同調する人も少ないからたいした問題ではない。
また、ステレオタイプは、誰でも持つし、それは別に悪いことではない。
例えば、丸刈りでサングラス、頬に傷があり、ラメ入りスーツを着ていると、とある筋の人ではないか(すいませんねえ、想像力の乏しい例で)、と勘ぐるのはまずいことだろうか。そりゃ、話してみれば、ごく普通の市民かもしれないが、公共の場では、取り敢えず近づかないのが知恵ではなかろうか。

ラベリングとかステレオタイプという思考方法にまどわされていないだろうか。
つまり、少ない情報で何かを決めつけるのはよくないと。
こんな複雑社会に生きていて、接触するあらゆる事象を解析してから、結論するのは可能であろうか。
この場合、一般市民が理系研究者というものを理解するために、いろんな情報を収集して、ああ、そうか私の見解は間違いだった、研究者というのはこういうものだったのか、と結論づける必要があるだろうか。そうする人が、増えるのは望ましいし、研究者なる人はその情報源となるべくOut reachを行った方がよいとは思う。しかし、それを受け入れない、ステレオタイプを抱く人を困ったものだと批判するには当たらない。その人にはその人の世界があり、ステレオタイプはその人には有効に働いている。

この場合は、ステレオタイプやラベリングを一方的に悪であるように批判する方が問題であると思う。

●博士の進路

私自身は、学部卒であるし、当該テーマの統計情報を持っているわけではない。しかし、理系博士の就職難というのは、そんなに問題なんであろうか。文学博士、哲学博士はまず就職口ないというのはよく聞く。その比率が、理系と文系でそんなに違うものなのだろうか。文系博士は就職難対策は取られていないようなのに、なぜ理系博士には何億も投じて、対策をとる必要があるだろうか。博士は増えても、研究所や大学のポストは、それほどないのことは既に自明である。だったら、何かのフリーランスになるか、企業に就職するしかないではないか。国が先導して博士増加の音頭をとったのだから責任があると、いうなら、大学に院生も対象にした就職課を作ればよい話である。学部生にだって、大学側の窓口は補助であって、就職できるか否かは学生の責任である。

この件は、何を前提として対策をとられているか、全く不明瞭である。

●余談
>だってさ。
>手塚治虫だってビートたけしだってB'zの稲葉だって
>あんがーるずだって
> ”理系”出身なんだぁっ!!!
sachiさん、私の阿部ちゃんも中央大理工の理系です。こういう事例列挙の場合、稲葉くんの次、ちい兄ちゃん(福山雅治)の前にに阿部寛をいれてください。
お願いします。(*^_^*)

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なんたら学会はいらない。

昨日、3日を境に、
「国際物理年に参画しています」
の記載を止めます。
もう2005年も終わってしまうし、文化の日は区切りとしてふさわしいと考えました。
別に何か協力したわけではなく、一市民として楽しもうとしただけですが。

しかし、日本の物理関係、理科教育関係or出版団体の取り組みは失望しっぱなしでした。理科離れ、学力低下を憂いている上記関係者は、本イベントをいくらでも活用できたはずです。何か上記団体内で盛り上がっているだけで、全くほとんど市民に働きかけようとしない。その姿勢が、理科離れとか、文理の格差とかを作っていると思う。全然それ気づかないみたいなんだよね。なに考えているんだよ、こいつら。

もっと関係団体で連携をとれ。文科省とか企業に後援するように根回ししろ。

お前らなんかに何も期待しない。今までも期待してなかったけど、これからも期待しないよ。特に、日本○理学会のばやかろーめ。

影響力は全くないけど、私は一個人として自然科学の理解と普及に努めていくよ。

* * * *

クオリアおやじが、テレビ番組のMCをやるらしい。

茂木健一郎クオリア日記
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2005/10/002.pdf

そうか、見てやるぞよ。

『「脳」整理法』はオヤジの著書にしてはよく書けていたから、そのうちこのブログに感想を書いてやる。ざまーみろ。
(ほとんど八つ当たりである)

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盛者必衰の理

吉川英治先生の『新・平家物語』サクサク読んでいるはずであるが、頓挫してしまっているアマサイである。
その代わりではないが、
■マンガ古典シリーズ『平家物語』全三巻 横山光輝
を読みました。その前に
■同シリーズ『吾妻鏡』竹宮恵子 も読んでいるのだが。

前者は琵琶法師の口伝?を元にしているので、そのまま劇画に起こすと現代人に伝わらない。横山氏は「数多くの女性や武者が出てくるが、エピソードが走馬燈のように消えてゆく」と述べている。吉川先生はじめ『平家物語』の骨子として、自分流の新・平家物語をつくるしかないのであろう。『平家物語』のみならず、現代作家が古典を新たに書くというのは、そのようなおもしろさ、長年愛読されたものに自分で命を吹き込みというのが醍醐味なのであろうか。

自らも歴史大作を手がけている横山氏であるから十分に鑑賞に耐えうるものであった(とむ影さんが本シリーズの『源氏物語』はおもしろくなかったと書いておられたので期待しなかったのである)。

ところで、なぜ、平家だけが「盛者必衰」の代表格になってしまうっているのであろうか。傲り高ぶるというが、平家以前の権力者も無茶なことをしているのではないか。物語では木曾義仲が都で暴れたとき、平家の世の方がまだよかったと言わせているではないか。当時の民衆は貴族の振る舞いを直接見ることはあまりなく、酷いことをしてもわからなかったのであろうか。

上がるのも早いが落ちるのも早い、というのが顕著だった、それは確かである。地下人(じげにん)という貴族の護衛官にすぎなかった武士が天皇の外戚になるまで上り詰めたのだから、その過程に人々は目を見張ったであろう。町工場が世界企業になるよりもすごいって感じ?どちらかという民衆よりだった(そうなのかな)武家がそこまで行ったなら嫉妬、やっかみも当然あったであろう。それが『平家物語』創造の原動力なのか。

でも、結構藤原氏の扇動があったんではないかな。武家台頭で一番割を食ったのは摂関藤原家でしょう。源氏は、関東に行ってくれたからそんな恨みはないだろうが(むしろありがたいくらい)、平氏は京都を占領して、福原に遷都しようとまで考えていたのだから、完璧に公家の天敵でしょう。

うーむ、しかし、琵琶法師みたいに勝手に諸国をうろついている奴らなんか扇動できないか。井沢元彦『逆説の日本史』になんか書いていなかったかな。

平氏と『平家物語』はまだまだ疎いアマサイである。もそっと、研究?が進んだら披露することにしよう。

いや~私が3位なんておこがましい、と思っていても、
人間贅沢なもので、3位になると次は2位になりたくなるものでござんす。『人気blogランキング』引き続き応援お願いします。1日1回、ぷちっとな。【押す】
(気まぐれセキララ助教授が再び[自然科学]に全力投球してきました。混迷を極める上位争奪戦どうなる、どうなる、って誰も興味ないよね)
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JBDF20周年記念イベントのご案内

わたくしが長年在籍している
JBDF(日本社会人ディベート連盟)が20周年を迎えました。以下のようなイベントを行いますので、お近くにお住まいの方は是非お寄りください。
1部の方は、ディベート未経験・初心者の方にもお楽しみいただけると思います。
お友達等お誘いあわせの上ご参加くださいますようお願いいたします。
いえ、もちろん、二部のパーティもご参加ください。
ディベート界で有名な松本茂先生、瀬能先生もいらっしゃるので、お話しできると思います。

このブログから知った人は本名を記載してくださいね。ハンドル名で申し込まれても対処できん(^^;)。アマサイブログを見ました、と書いていただければ、事務局のメールの他にわたくしの愛のこもった、個人メールもお送りいたします。えっ?別にいらないってか(--;)

・JBDF-HP
http://www.geocities.jp/jbdfjp/(新サイト)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3902/(旧サイト)
←アマサイのリンクに入っとるよん。
--------------------------
■□■JBDF20周年記念イベントのご案内■□■


【ご挨拶】
日本社会人ディベート連盟(Japan Business-people Debate Federation:略称JBDF)は松本茂先生(現:東海大学教育開発研究所教授)がSony Language Laboratory/ソニーランゲージラボラトリーにて『英語ディベート入門』の講師をされていた時の受講生らが先生を顧問としてむかえ1985年に創立した勉強会です。以来、ディベートを通じて英語力や論理的な思考力を養う事を目的とする社会人が集まって活動を継続しております。おかげさまで、本年、JBDFは創設20周年を迎えることができました。つきましては、以下の内容にて記念行事を開催いたします。現JBDF会員、OBの皆様、そして、ディベートや英語学習にご関心をお持ちの方でしたらどなたでもご満足いただけるようなプログラムを企画いたしました。ぜひ、皆様、お誘いあわせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。

【日時】 11月23日(水・祝) 開場12:30- 開始 13:00-
【場所】 Sun-mi 高松7丁目店 東京都中央区銀座7-13-20
        http://r.gnavi.co.jp/p109600/index.htm

【第一部】
 ① 特別講演 
   松本茂先生(東海大学教育開発研究所教授、JBDF顧問)
   テーマ「社会人とディベート(仮題)」
 ② 英語モデルディベート
   Resolved: That all public elementary schools should introduce English in to their curriculum.
  (すべての公立の小学校は英語を必修科目として導入すべし)
JBDF会員による肯定側2名、否定側2名、立論2つ、反駁2つの形式
   司会:瀬能和彦(日本ディベート協会理事、JBDF顧問)

【第二部】
  懇親会およびJBDF会員によるインタビュー
 (テーマ「JBDF20周年を振り返って」)
  *立食パーティー形式で行います。

【参加費用】
 1部、2部参加 5,000円(1部のみ参加  1,000円)

【申し込み方法】
 ●JBDF20周年記念行事申し込み専用URL
 ●メール
  うまくいかない場合、上記JBDFのHP記載のメールアドレスへ
  
【第1次締め切り】
 11月6日(日)
 ※まあ、過ぎても多分大丈夫です。

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代理母とPGD/ディベート論題

このブログ、ディベーターが何人読んでいるかわらんが、前置きなしで、今期JDAの論題
「日本政府は, 代理出産または着床前診断を実施するために必要な法的枠組みを整備すべきである。」
ちょっくら話します。

我がJBDF、緑が丘でも類似論題をやりました。
「日本政府は, 着床前診断を実施するために必要な法的枠組みを
整備すべきである。」
つまり、着床前診断(PGD)だけってことやね。代理母は何回かやっているので。

私も珍しく緑が丘で2回連続して試合しました。緑が丘はJDA大会に比べ、簡易版的な形式なので、さほどたいへんではないのです(最近すっかり先輩づらしたアマサイは、パートナーの方にリサーチを依存する場合が多いです。いや、よくはないのだが)。

デベラボで試合も見て、ジャッジもどきもしましたので、知ったかぶりして書きましょう。

不妊治療のいうセンスティブなテーマを扱っています。肯定側は、PGDや代理母で子供がもてますよ、だけでは、この論題の試合をしたことにならない。否定側も同様に危険性だけを叫んでも難しいでしょう。なぜ、そこまでして産む権利を確保しなければ、いけないか、また、これらの医療行為をした場合に全体としてどういう問題が起こるか、を堀下げなければいけません。反駁のステージで権利と生命倫理の対立構造になるといいかなと思います。

否定側としては、代理母あるいはPGDの全廃カウンタープランが有効かと思います。見た範囲では、少ない数ですが、あまり実践されているチームはなかったようです。

代理母及びPGDの成功例、実験結果は各種出ています。当然ですが。データの数値でなけでなく、どのようなサンプルか、どのような実験・プロセスを経たかに注意する必要があるでしょう。最新資料の方がいいのですが、「肯定側は2005年3月の資料ですが、否定側は6月の資料です。否定側の資料の方が優れています」とか不毛な議論は避けてくださいね(^^;)。

私は当日、ディベータと反対側にいますので、よろぴく。
みなさんがんばってください。

■参考資料

○はじまった着床前診断
 大谷 徹郎編著 遠藤 直哉編著
 出版 : はる書房
 発行年月 : 2005.6

○「危機にある生殖医療への提言 」
 -ジェンダーバラエティー 着床前診断 精子卵子提供 代理出産 -
遠藤 直哉著
 出版 : 近代文芸社
 発行年月 : 2004.7

○遺伝子医療と生命倫理
貝谷 久宣編 日本筋ジストロフィー協会編
 出版 : 日本評論社
 発行年月 : 2001.4

○「不妊治療は日本人を幸せにするか」(講談社現代新書)
小西 宏著
 出版 : 講談社
 発行年月 : 2002.4

○先端医療のルール 人体利用はどこまで許されるのか (講談社現代新書) 1581
 樺島 次郎著
 出版:講談社
 発行年月:2001.12/

○『法学新報』111(5/6)2005年1月
 只木誠「着床前診断をめぐる諸問題」

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哲学する科学者たち

なぜ、昨日あんなことを書いたかというと(『科学研究は何ためか』)、『日経サイエンス』11月号「質量の起源に迫る」に以下のように書かれていたからだ。

ニュートンは『プリンキピア』の中で質量を初めて定義した。以降200年余りの間は、科学者にとっても、このごく基本的な定義で十分だった。科学とはまず、ものの働きを記述することによって進歩すべきもので、なぜそうななのかという理解はその次にくる話だからだ。しかし科学の進展に伴い、近年では質量の「なぜ」が物理学の研究テーマとなってきた。質量の意味と起源が理解すれば、既知の素粒子とその相互作用を記述する素粒子物理学の「標準モデル」を完成し、拡張できるだろう。

科学とはHow or Whatを問うものであって、Whyは問わないものだったのだ。
ホーキングの近著『宇宙のすべてを語る』でも「宇宙がどうしてそうなっているかは科学の問いではありません」と述べている(「神がどうしてそのようにお作りになったのか」という文脈なのだが、Whyの問いと同等であると考えて差し支えないだろう。後日修正予定)。

しかし、研究が宇宙の起源とか、究極の素粒子とかになったら、どうしてそのようになっているかは、次のステップに進むのに必須要件となってしまった。最近の科学書を読んでいるとそのことはなんとなーく、わかっていたが、明言してある記事は初めてみた。

だが、それは近年の物理学の現象なのだろうか。科学者というものは、皆Whyを追求しているのはないだろうか。科学の場合、HowもWhyも研究方法は変わらない。

下記理研のお兄さんは、そういう背景があって、哲学という言葉を持ち出しのではないか。または、研究者はそのようなWhyを持ちづけるべきだという、それこそ哲学をお持ちなのかもしれない。あるいは、困った質問をされたので、苦し紛れかもしれないが。

18世紀は科学者が哲学者から分離したが、21世紀は科学者が哲学者になっていくのかなあと思った次第である。

(ちょっと整合性のない文章になっちまった。まあ、アイデアメモといったところで)

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科学研究は何のためか

すごーく前に理化学研究所の一般公開に行ったことがある。
そのころ、お金はなかったが暇はあった。
(今はお金は少しあるが、暇は無くなった)
毎回行きたいと思っていたが、それっきりだ。

多くの研究室がオープンになっていて、若手の研究者の人が丁寧に説明してくれていた。全部は回れないので、興味のある地学系・物理系の研究室を見ていった。

あまり見学者のいないところに入ったら、お兄さんがこれ幸いと一所懸命解説をしてくださった。どうやら、できたての地球の大気分布を研究しておられるようだ。内容はわすれてしまったが、そのその当時、やっと少し大気の様子がわかってきてなんたらという気体が多いということが判明したらしい。これは画期的なことだと強調していた。

私には根本的なことがよくわからなかった。研究の目的がわからなかったのである。

「えーと、それがわかると、なんていうんでしょう、地球の始まりとか、宇宙の始まりとか、生命ができる条件とか、そういうこともわかってくるんでしょうか」

「いや、それは、また別の研究なんですよ。そうではなくてですね、我々が住んでいるこの地球がどのような状態であったか、つまり、この世界がどのようにしてできたか、それは我々の存在意義にもかかってくることなんですよ。つまり、哲学です。そのような哲学的意味を含んだ研究なのです」

「・・・そうですか。ご説明ありがとうございます。」

******

どうもエンジニアリング出身の人間のせいか、
「で、そいつは何の役にたつんですかい?」
と聞きたくなってしまう。

宇宙の起源とか生物の起源なんか人類史上有益な研究のような気がするが、「原始地球上の大気が人間の哲学上大事である」と言われてもピンと来なかった。そんなことに税金使っていいのかよ、みたいな。今ではそういうふうには考えていないが。この昔のアマサイ理論を適用するならば、脳科学は医療のため、何か脳に障害があるのを改善するためだけに存在することになってしまう。誰もそのようには考えていないだろう。うん、アマサイもそうは思わないです、はい。脳を知るということは、人間の存在意義を問うために重要なことなのだ。

******

(昔お兄さんだった)理研のお兄さん、失礼な質問をして申し訳ありませんでした。今は非常に有意義な研究だったと思っております。でも、よかったでしょ、かわいい女の子のお話できて(^^;)。


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科学技術立国のための提案

あの恥ずかしい数値目標、まだ生きていたのか。
科学技術基本計画:ノーベル賞受賞者30人程度輩出を

田中さんのコメントはそつがない(編集者が操作しているにしても)。
講演を聴いたことがあるが、話がうまい。
実績もあのようにすばらしい。
日本一頭のいい(smart)科学者ではないか。

ところで、科学技術立国・日本をうち立てるために良い案がある。

一つは、日本で科学論文雑誌を作っちゃうことだ。
NatureやScienceみたいな。
これは私のオリジナルアイデアではなく、朝カル竹内塾(英語科)で出た話である。
付属項としては、日本語版と英語版を作るということ。日本は翻訳文化が成熟していますから、専門に特化した翻訳者を雇えば、なんてことありません。
日本語←→英語の翻訳は楽勝です。
NewsWeekのアメリカ版、日本語版のような関係になる。日本語版が主となる。

どちらの言語で書いても受け入れられるようにする。
日本人にとっては、翻訳するタイムラグが消滅する。
(特許の国際出願における翻訳と同じような利益が得られる)
日本の理工学部に留学してくるアジアの人々にも有利である。
(こういう人はだいたい英語もできるのだけれど)
日本の科学技術レベルは元々高いのだから(そうでしょう?そんなんでしょう、科学者の皆様)1,2年のうちに国際レベルになるであろう。
そうしたら、欧米科学者の投稿も増えるであろう。
Scienceはアメリカを、Natureは欧州を、そしてこの提案はアジアを拠点とするグローバル雑誌なのである。

ステップ1:アジア共通科学論文雑誌を目指す。
ステップ2:グローバルレベルを目指す。
ステップ3:No.1科学論文雑誌を目指す。

ステップ1には、戦後処理未解決が関与し、新たなる日本帝国主義、情報操作の助走であるとこじつけられないとも限らない。まあ、そこんとこは、科学者の皆様、うまくやってください。

ステップ2には、Japが作ってる雑誌なんかに載せられるか、という偏見、障壁はあるでしょう。これは、第2の提案が解決の一端となります。まあ、いずれにしろ、そこんとこは、科学者の皆様、うまくやってください。


第2の提案というのは、外国人研究者を大幅に受け入れましょう、というものです。まずは利根川進博士に帰国してもらいます。南部陽一郎さんとか、あと名前しらないけど、頭脳流出しちゃった研究者、取り敢えず呼び戻します(外国人じゃないけど)。貴方の研究室、研究所を作りますって言ったら来てくれるんじゃない?その人たちのコネでノーベル賞受賞者、いや取った人より、取りそうな人がいいですね、呼びましょう。研究層が充実します。文科省が言っているノーベル賞30人にも達成できます。

科学研究がより発展すれば、その波及効果で理科離れから離れられます。ええ、そうですとも、絶対に。

おお、完璧な政策だぁ~
だめっすか?


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理系女性の未来(2)

育児休暇について掲示板に書き込みました。
アマチュアサイエンティスト応接室
ご興味のある方はご覧ください。
先に述べたRationale5さんへのお返事です。こちらでもよかったのですが、お答えは別途書きますと明言しましたので。

いや、しかしですね、女性研究者がそもそも少なく過ぎますよ。
男女共同参画白書 平成17年版
第1部 男女共同参画社会の形成の状況
>序説 科学技術の進展と男女共同参画
>第2節 科学技術分野での女性の活躍の現状と可能性
>1 女性研究者の活動実態
女性は最低でも○%雇うべし、って法律作るのが先です。
最初はいろいろ問題起こるだろうけれど、そんな2,3年のことにかまっていられません。10年、20年、それ以上先の日本国がこれでは悲惨です。

女性研究者の実態を知りたければこの方のブログを見よ!
a 女性科学者のスペース
ご本人曰く、無駄に姉御肌、だそうです(^^;)。

・参考URL
育児・介護休業法

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訃報:朝吹登水子さん

フランス語翻訳で有名な朝吹登水子さんが亡くなられた。88歳だったそうだ。
・日経On Line

サガンは読んだ記憶がないが、ボーヴォワールはそこそこ読んでいるので親しみのある翻訳家である。
・紀伊国屋BOOK WEB

フランス⇒高級、おしゃれ、知的レベルが高い、進歩的
という幻想を抱いている私にとっては朝吹さんは
高級、おしゃれ、知的レベルが高い、進歩的な人である。人と成りは存じ上げないが、これは幻想じゃなくて真実のような気がする。
(フランス語翻訳者はみんなそうだと思いこんでいるのでやはり幻想か)
調べてみるとご自身の著書もあるようだ。読んでみよう。

日本にいながら外国の文化を知ることが出来るのは翻訳者さんのおかげ(+外国映画の配給会社)。
その第一人者である朝吹さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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CGの世界にようこそ

現時点で10代であったなら間違いなくコンピュータグラフィックの道を志していただろう。10年前、ビデオゲームですでに「三次元ポリゴンでぐりぐり動く」と言われていたのでその時でもよかったかもしれない。私が10代であったころ、CGっていうのは幾何学模様を描くもの、といった感じだった。いや、よく知らないんだけどさ。コンピュータ自体それほど身近なものではなかったから。理系=コンピュータ、と思われるようになったのはもう少し後の話。

今は通常のパソコンでもかなりことができるらしい。「スキージャンプ・ペア」という作品を作った人は自宅のPCで作ったのではなかったかな。私もバイトしまっくて機材に投資していたことだろう。そんな生活が私にとっていいのか否かは今は判断しようもない。

ちょっと昔、いや一昔か、アスキー出版から出ていたCGシリーズはよく買っていた。CGツールの入ったFDと教本が一体となって4,5千円で売られていた。その当時ソフトは本屋さんで買うものだった。電器店にある万単位の本格派ソフトは購入できなった。当時は、NECPC-9800シリーズが主流だったから、その後継機を持っていれば、立派なPCユーザーだったのだ。「対応機:98シリーズディスクトップ」と書いてあるのに98ノートで動かそうとしていたころが懐かしい。

全編CGというのも普通になってきたし、現映像とCGを組み合わせて仮想空間を表現している映画も多い。いずれ俳優もすべてCGでできるなんて言われたがすでにそうなっているんじゃないだろうか。なーてね。

新作映画には必ずと言ってもいいほど新技術が使われているようだ。CGには物理学の知識も欠かせない。
『スター・ウォーズ エピソード3』には「サブサーフェイス・キャスタリング」と呼ばれる技術が採用されている(※1)。
「物体に入射した光が内部散乱を繰り返した後に再び表面から外部に出ていく現象をいう。通常のCGでは、光は物体表面で反射・吸収されるか、内部を通過して二度と表面には戻ってこないと仮定しており、こうした質感を作り出すのは極めて難しかった」

なんとなくはわかるが、実際にはどういうことだろうか。記事には「映画ではヨーダが逆光で照らされているシーンでは、耳の後ろから差し込む光が皮膚の薄い部分を通してほのかに浮き出してくる」と記されている。

そんな細かいとこまで見ているのはプロだけだと思うが、そういうのを知ってみるとまたおもしろかもしれない(DVDを買ってからでよいと思うが)

『マダガスカル』では漫画的な動物がリアルに動いて見えるようバルーン・ボリュームという身体の各部分で局所的に体積が一定に保たれるようにするアルゴリズムを使っている(※2)。これは実際に『マダガスカル』を見たのでなんなく理解できる。タオル絞るようにねじった形態をベースで肉の盛り上がりを表現しているとのことだ。

画像処理の勉強は多少しているので、CGの敷居は低いし、物理シュミレーションと思えば、物理学の勉強にもなる。
今更専門のCGクリエータになるつもりはないが、ぼちぼち勉強していきたいと思う。

※1『日経サイエンス9月号』
※2『CG WORLD 9月号』

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正常性バイアスを崩せ!

別に好きじゃない、と言っていた
『世界一受けたい授業』だが、http://www.ntv.co.jp/sekaju/
先日も見てしまった。
天海祐希が生徒として出ていたからである。
(こないだの『メレンゲの気持ち』見逃しちゃったしね)
さすが今季ドラマの「女王」
アップで写っている時間が他の人より長かったです。
教頭役、くりーむしちゅーの上田晋也、
「それで天海くんはその怖い先生を演じるとき、どう役作りをしているんですか。
.....ああ、素ですか(^o^)」というつっこみよかったです。

という本来の視聴者と異なる見方をしておったのだが、

■ 広瀬弘忠 『日本人に警告! 生存力! ~人はなぜ逃げおくれるのか~』

 この講義は非常によかった。ためになった。

広瀬氏は、災害心理学というのを研究している方である。
災害時になぜ人は逃げ遅れるのか、
なんと、警報がなっても、煙がもくもく出てきても、波がそこまで来ていても、
人(特に先進国と言われるとこに住んでいる人)は災害、と思わないんである。
安全神話の中に生きているので、大したことない、訓練か?なんかの間違いだろうと思ってしまうのだ。
ひえ~恐ろしい。
それをちゃんとした実験を見せてくれるから、よりわかりやすい。
そういう行動を正常性バイアスというのだそうだ。
ちょっと揺れたくらいで部屋を飛び出しちゃかっこ悪いという心理も働くらしい。

私たちは兎に角パニックになるなと防災訓練等で教わってきた。
(非常口に人が押し寄せ人災が起こると言われてきた)
ところが、むしろパニくる方が身を守るためにいいのだ。
火がそこまで来ているのに、落ち着いてどうするよ、ということらしい。

心理学なんてバカにしている私であるが、これは大いに取り入れてよいものである。
(うーむ、心理学を質の悪い哲学という考えは改めねばなるまい。少し。)

で、他のご講義は、

■『藤沢晃治先生のわかりやすく伝える技術』
まっ、偉いですよ、こういうことをレクチャーするというビジネスモデルを考えたのは。
えっ、誉めてます、誉めてます。

■『青島広志先生のクラシックを10倍楽しく聴く方法 パート2
クラシック想像力活性法』
へんなピアノおじさんと思っていたら、芸大の教授!しかも首席で卒業。
お話の内容より、それに驚いちゃったよ。

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Aha!な科学

別に私はおもしろい番組とは思わないのだけど
『世界一受けたい授業』
7月16日分の録画が残っていたので見た。

◆湯本 博文 先生:
 『100円サイエンティスト 湯本博文先生の作って遊ぼう!大人の科学!! 』

これは非常におもしろかった。
100円ショップで買ってくるような多種多様な品物が置いてあって、生徒役のタレントがその中から無作為に選んで(前もって決まっていると思うけど)湯本先生がそれを使って実験するというものだ。

○アルミホイル・釘・磁石・電池
⇒電磁モータの原理をプレゼン

○コショウ缶・針金・スチールウール・風船・トング・テープ
⇒内燃機関で動くおもちゃ

なんかはほんとアッと驚くしろものであった。
ティーパックの茶葉を抜いて、パックだけ燃やし、その灰が中に浮くというのも、単純ゆえにアハ体験も一塩である。

だが、能書きをいうから科学であるものの、一種の芸、エンタテイメントと言われればそれまでである。科学実験は手品と紙一重なのだから仕方がない。

この分野の第一人者が米村でんじろう氏であるわけだが、彼の仕事を評して、あれは遊びだ、サイエンスではない、という人がいる。それはそうで、彼は科学で遊ぶというのがテーマなのだ。難しい公式や原理は忘れても、あの実験楽しかったよね、というのが残ればいいというのが彼の仕事の主旨である。

あんなものだけが科学と思われてはたまらない。プロの理科教師たちはそう思っている、そう言いたいのだろう。それは私もわかるんだけどさ。じゃあ、理論派のみなさんは何かアクティブに科学啓蒙をやっているのかい?せっかく米村さんたちが科学エンターテイメントなる分野を確立しようとしているだからさ、理論派のみなさんも協力したり、それに便乗してもいいから、遊びの奥にある科学する心を伝えたらどうなんだい。

でも、この作業を仕事、ビジネスにしちゃった米村氏は並々ならぬ才能の持ち主だ(「どうなるか自分でもわからないまま教員を止めた」とおっしゃっているが)。


えーと、それでなんで好きでもないこの番組を録画したんだっけ。

◆ 『最先端脳科学が解き明かした頭を良くする方法!
  茂木健一郎先生の「アハ体験」のススメ!! 』

ああ、クオリアおやじが出演したから一応見ようと思ったのだった。
ええ、なかなか良くできた授業でしたよ。
誉めてつかわす。
(さすがにテレビ慣れしているね)


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日経サイエンス

『日経サイエンス』を毎月取ることにした。最新科学を確実に一定量仕入れたいと思ったからだ。それなら、原雑誌である"Scientific American"の方がより最新だし、本格科学雑誌である"Nature" や "Science"が望ましいでろう。しかし、当然ながら英語は外国語だから理解が劣る。私の英語力だとフリーの時間を全部使って読めるか読めないかである。

また、どうしても、物理(/化学)や地学に偏りがちな傾向を是正し、生物関係もある程度分かるようにしたい。それには一般誌がよいのだ("Scientific American"は素人向けのポピュラーサイエンス誌なんだねえ)。

さっき読んだのは「変化する物理定数」。ジョン・D・バロウが自著『宇宙の定数』のダイジェストを書き下ろしたという感じ(本論文はJ.K.ウエブとの共著)。bk1

私はこの科学上の定数、なんで定まった数なんだ?と不思議でならなかった。条件が変わってくれば定数が変化するのは当然であろう。ここでは微細構造定数というのがカギなのである。詳細は本誌をごらんあれ。

一般向けといえども科学者が実際にやっている難しい、ことなのであるから、すらすら読めるというわけではない。

ブログを始めたころにも日経サイエンスについて書きました。ここ

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環境マネジメントの試験

放送大学大学院選科の表題の科目の試験を受けてきました。
うぅー、中間レポートを出してから全く勉強できんかった。つまり、試験の出題範囲となるらしき後半(9~15章)1週間切っているというのに見てもいないという状況なのであーる。15章までなんとか読み終わったのが試験開始10分前、最悪である。対策も何もあったもんじゃない。
唯一の救いは、印刷教材持ち込み可なこと。
予想はできたが、地球温暖化の章で、米国が京都議定書に参加すべき根拠、その対策を問われた。
「独りよがりの考えではなく、教材から数値等を引用すること」
と明記されているのは、好感が持てた。
研究というのは、そういうものだから。作文するんではなく、参照文献を明らかにして自説を論じるのだ。
教材は充実しているというか、ただ読むだけでもしんどかった。
うーむ、もうちょっとちゃんと勉強したいなあ。環境マネジメント。
一応投問に答えて解答用紙を埋めたが、
たぶん、良くてぎりぎりC。
再試験の可能性もある。
自己分析するに、私が担当教官だったら、落とす、ような内容である。
いやはや。

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頼朝像は頼朝様でないの?

NHKの『新日曜美術館』いい番組なので毎回みたいが、TVを見る時間はなるべく減らしたいという理由でわたし的にカットになっている。

が、これは見ねばなるまい。
頼朝像、偽物説を扱っているのだから。
偽物というのは誤謬ですな。頼朝ではないく尊氏の弟足利直義であるという説があるということである。見てから時間もたっているのでおぼろげながらになっているが、

・現行頼朝像支持派
 鎌倉幕府成立後数十年後に書かれたとする。根拠はそのように伝わっている、という他にその時代に流布した中国の画法を取り入れている。さらに百年以上も時代が後になるとはまず考えられない。

・足利直義像支持派
 この時代は、原画を描いてそこから肖像画や木像彫刻をつくる。足利家の人々の木造像は頼朝肖像画に非常によく似ている。一方現行残っている頼朝の木造像は僅かに残っているがそれと肖像画は全く違った印象である。

ということらしい。細かい点は
米倉 迪夫 『源頼朝像-沈黙の肖像画』

を読むしかないと思う。

うーむ。私には似ている、似ていないは個人の認識による違いであって、それを根拠にすることはできないと思うが。米倉氏は「似ているでしょう、明らかに」と言っていたが、そんなこと言ったら、足利一族みんな似ているじゃんねえ(^^;)。

さらに米倉氏は「美術の手法ばかり強調されて、似ている、という誰しもわかることが見逃されてきた」と発言している。

なんかねえ、それを言っちゃおしめえよ、という気がするけどねえ。

ザンバラ頭で乗馬する足利尊氏もほんと違うという話だが、
尊氏さんはどうでもいいんで、頼朝様は、あの頼朝様でないとね、
と思う右兵衛びいきのアマサイである。

ありのみ01505さん他いろんな人がブログでこの話題を載せています。

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アジア共通教科書はできるか?

欧州では共通歴史教科書なるものが出版されているそうだ。編者の一人フレデリック・ドゥルーシュ氏のインタビューが新聞に載っていた。

どれだけの学校が採用しているのか、基本教科書としての位置づけられているのか、知りたい点はいろいろあるが、そのようなものが実際に出版された意義は大きいだろう。

欧州統合なんて絶対無理、というのが一般論ではなかったろうか。東西冷戦構造の崩壊と、米国やアジアに経済的に対抗しなくてはいけないという危機感が動機だろうか。

としてみると、アジア共通歴史教科書をできないのか、と誰しも考えるところであろう。
ドゥルーシュ氏も家永三郎氏や北京大学教授、ソウル大学教授らと提案したそうである。日本の出版社からは時期尚早ということでうやむやになったようだ。

うーむ。無理でしょう。日朝、日中の関係があげない具合だと。

っていうか、アジアってのは、確か欧州の地理学者が勝手にした「区分け」であって、アジアは1つという概念はないのではなかろうか。欧州はかつてローマ帝国という1つの時代があったわけで、そういう意味からは何か精神性の統合を保ちやすいのである。

このあたりはいくらでも議論があろう。

で、歴史が無理なら、数学や理科はどうでしょうね。国が変わったからといって四則計算やニュートン法則が変わるわけではない。アジアは概ね教育熱心なのであまり障害がないような気がする。

うーんと分厚いやつを作ってかなり学年の幅をもたせるようにすればいい。

あの日本の質の悪い絵本みたいな教科書は止めよう。
なんで、日本人は簡単→薄い教科書、なんだろう。
厚さと難易度は比例しないと思うが。
いいかげん気づくべきである。

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なんか違うと思うんですけど

はっしーさんが
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050716-00000020-spn-ent
の件について書いてね、とおっしゃるので。

これには賛否両論と書いているが、
どっちもおかしいでしょう。

真矢先生の理論
「日本で優遇されてるのは全体の6%。そのなかに入るには勉強して成績を上げろ」
はほんの局所的に適用されるものであって、一般論化できない。
仮に勉強していい学校入って、東大のことでしょうね、その中のどれくらいが国民を牛耳る側になれるのか、甚だ疑問です(東大入ってもどうやら搾取される側にいるらしい人と月二回お会いしているので。。。)。その6%の半分以上が有名校出身だというデータがあれば説得性も出てきますが、そんな現実はないわけで。東大行ったって大抵は会社員か官僚になるわけだ。それで高級官僚(事務次官?ですか)になれば、搾取する側になれるでしょうかね。国会議員、大臣になれば、搾取する側ですか?私はそんな気がしないんですけど。そもそも6%って何やっている人の数?

有名校の学歴が社会ピラミッド(私は日本にそんなものはないと思うのですが)の上にいく、アイテムにはなるけれど、パスポートにはなり得ないと考えています。
(この場合、東大より有名私立大の方が「強いアイテム」ではなかろうか)

真矢先生は正しいと発言する視聴者は何をもってしてそう言っているんでしょうね。

そして反真矢先生の方々。
いや、これドラマだからさ。たぶん、生徒たちが真矢をやっつける結末に進んでいくのでしょう。水戸黄門と同じで、悪さをしてくんないと印籠だせないでしょう。人権侵害の行為だ、放映するな、って言っている人いますけど、だから退治されるわけで。
真矢先生のことですから、完璧にはやられないと思いますけどね。

(天海ちゃんと同じ宝塚出身の真矢みきと同じ「まや」ですが、これはわざとでしょうか)

『ドラゴン桜』の桜木も真矢理論に近いですが、こちらは、東大バカにするなら東大に入れ、ブスとバカこそ東大いけ(芸のないやつは大学にいけ)という考えですから、まだ、加担できる考え方です。

しっかし、今頃、東大に入れば「持てる者」になれるって誰が信じるんでしょうね。

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1憶3千のマーケット

「我が国には、「技術力」だけでなく新しい事業をインキュベートする(孵化させる)だけのマーケットサイズもあるのです。アメリカは日本の約2倍の2憶8000万人の人口を擁しますが、可処分所得は、日本の方が大きい。中国の人口は、13憶と言われながらも可処分所得はそんなに大きくない。韓国は、4700万人で日本の40%にしかすぎませんし、ヨーロッパには、日本より人口の多い国はありません」
三洋電機社長・桑野幸徳 『日本にしかできない技術がある』片山修著より

そうなんだよね。1憶3000万人ってすっごい大きいと思う。狭い日本とかいうけど、それだけで1つの世界と呼んでいいほど大きな共同体だと思う。技術の世界だとまず日本で全部できちゃうでしょう、みたいな。桑野さんは液晶も日本がこれだけ大きなマーケットだから開発できたのだと言っている。日本の家庭の多くは買おうと思えば液晶テレビ変えちゃうでしょう(いや、もちろん家庭個々に教育費とか家賃とかいろいろ事情があるにせよ、ね)

単一民族・単一思考とか言われているけれど、そんなバカな話はないのであって、1憶もいれば、多種多様な考えがあるはずだ。それでも、アメリカなんかに比べれば、そんなにばらつきはないという意味だとは思う。だとしたら、国家として発展していく上で、単一うんぬんはむしろメリットであるはずだ。生産性を上げよう、リスクをとろうという動きになったらがーっとその方向に行って国、国民自体が豊かになるはずだ。まあ、人間はそんな合理的には動けないので、ネガティブな方向に行きがちで、それが先の大戦なのだけれど。

特にマーケットが大きくていいのは、言語、小説の世界である。日本語を話す人口は多く、言語別にしたら、世界ランキング上位になるそうだ。国連公用語にしようと提唱している人もいる。そういう方向性もいいかもね。日本語人口が多いために、多種多様な文学が読めるというのは利点である。さらに海外ものの翻訳もそれなりに入ってきている。本屋の棚では翻訳物は分が悪いっていうけどね。英語原語がほとんどだとは思うけれど、何ヶ国ぐらいものが市場に出ているのだろう。非常に興味深いことである。マイナー言語だからといって軽視することはないだろう。韓流ブームでドラマの原作やノベライズがこんなに本屋に取りそろうなんてだれが考えただろうか。

国際化とかわけのわからないベクトルでいくよりも、世界を日本に取り組むくらいの思考がこれからは必要であろう。

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トンデモ科学事始め@自分史

『失われた文明 一万二千年前の世界』(講談社現代新書)
http://www.bk1.co.jp/product/65116
アレクサンドル・ゴルボフスキー著
中山 一郎訳
が中学生のときに感銘を受けた一冊である。
とある秘密結社(*)で「お薦めの3冊」を発表する機会があったので、お薦めいたしました。
はたと気づいたが、
これってトンデモ本なんすか。
洪水、古代高度文明、神話は
トンデモ歴史書の三要素だそうで。

うーむ。子供でもそんな感じはいたしましたが、
紛らわしいです。そんなもの、講談社現代新書に入れないでください。
なんかロジカルに書いてあったようなので信じてしまった。
いえ、それ以来再読していないのでよく内容は覚えていないのです。

↓このサイトには結構まともに扱っていました。
http://www.spaceguard.or.jp/asute/a19/Special19H/Special19.html
ここがどのようなHPかはイマイチわからないのですが、

Gorbovski Aleksandr Al′fredovich
で調べるとロシア語らしきページがたくさんヒットするです。
読めへん。

私がトンデモ科学を好きな子供であったことは認めます。でも地球外生命(宇宙人)が古代文明を創造したとは信じてませんでした。もちろん、今も。

*秘密結社なので詳細を明かすことはできない。ただ猫に関わるネーミングであることは開示してもよいだろう。分かる人には分かる、分からない人には分からない。


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またもやゆとり教育について

日経に大きく教育記事が載っていた。
ゆとり教育→改悪教育推進の張本人と言われる寺脇研も久々登場(つーか私は1年ぶりくらいに紙面で見た)別に変な人ではないと思う。官僚として真っ当である。ただ彼の所属している文部科学省が異常なので彼も変な人に見えるだけである。。。

「学力が下がり子供の心が荒れ、家庭や地域の状態も悪化したのなら、ゆとり教育は失敗だったと言えるがまだそうではない。失敗しでない以上、責任はない」日経2005年7年10日

ね、官僚以外こんな言葉はかないよね。「売り上げが激減し、事業部を縮小し、大幅リストをやった上に会社更生法を適用されるような状態でなければ、失敗ではない。失敗でない以上、私に引責する理由はない」って会社社長が言っているのと同じと思いませんか。
そりゃそうだよね。文科省の打ち出しが悪くて、青少年の犯罪率が上がったって立証できないよね。つーかさ、そうなったらもう遅いじゃん。じゃあ、教育の成功って何?何か具体的に示してくださいよ。子供が心豊かになった、じゃわかりませんよ。なんていうと教育効果とは、数値や具体的記述で示せるものではない、っていう逃げ道が用意されているんだよね。

そんなこと議論したって仕方がない。現行教育の問題点は、文科省と教育現場が分離していることにあるのだ。現場の声は全然、指導要領に反映されないし、役人も現場は知らない(視察なんてお利口さんな学校のお膳立てした授業しか見ないんだし)。だから交流させればいいのだ。文科省の役人は、学校の教員を経験することを義務付け(2年くらい)教員には文科省に勤務できる枠をつくる。別に最善策ではないけれど、閉塞状態を改善することができるのではないか。

前も書いたけどさ、こんな前時代的なこと通用しているのは日本の文科省だけだよ、絶対。なんとかしろ。

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『二十歳のころ』より

こんなこと言うと失礼のような気がするが、「同志」を発見してしまった。
「二十歳のころ 吉川弘之にきく」

理Ⅰに入ってみると、圧倒的な時間が理科系の勉強に費やされることになったんです。それで、「こりゃ、かなわん」と思いました。それまで、ずうっと理科系に行こうと思っていたんです。それはそうだったんですけれど、「でも、これにはかなわない」と思ったんです。

そうなんだわ。私も毎日物理や数学に追い回される日常が辛かった。自分で志望したにも関わらず。そりゃ、まだ1,2年のうちは文系のものもあるにはあるが、全体としては微々たるもんである。
で、この後が凡才・アマサイと秀才・吉川先生との違うとこだが、

それで、理科系のことばかりを勉強するのは厭だと思ったので、「夏休みは文科系になろう」と決めたんですね。教養学部生の間だけだったけれど、夏休みになると、理科系の本とかは一切置いておいて、小説とか哲学とか、やたらにそんなものばかり読んでいたんです。それでなんとか文理の帳尻を合わせようと思ったわけです。

私はこんな高尚な考えはなくて、小説や新書本に逃避していただけなのであるが。

結構、いろんな人特に研究者のエッセイ、インタビューの類はよく読んでいるが、

いま教養学部にいる人には、人間として強くなって欲しいです。専門というのは、必ず人間を駄目にします。いや、そう言い切ってはいけないですね(笑)。けれど、専門というものは、人間をある意味で一つの歯車にしてしまうわけでしょう。そうなった時には、勿論歯車としての役割を果たさなければ、世の中に貢献出来ないんですね。でも、同時にそうであることを自分できちんと認識するだけの人間性を、持っておかねばならないし、持てるようであって欲しいです

ここまで言い切る人は初めてだ。

また「技術」に対する考えも同意できるものである。

それで、本郷に行ったら、また新しいショックを受けました。「工学というものは、なんてつまらないものなのか」っていうショックを(笑)。工学は、人間の精神と深い関係があるものなんです。恐らくどこの分野でもそうだと思いますが、漠然と大きな分野で見ると、何でも、「知る喜び」とか「発見の喜び」とかいうものに結びついているけれども、専門の細かいところ、深いところに行けば行くほど、そういうものから程遠くなっていくんです。

技術・工学というのは小手先のテクニックのお話じゃなくて、人間性に結びついていると思うんだよね。技術が分かれば、人間が分かるみたいな。それを自分なりに探求したいと思っている。
自分の考えは、間違ってないんだ、と確信できてとてもうれしかった。


これに関連するんだけど、藤原正彦氏のエッセイ『数学者の言葉では』
http://www.bk1.co.jp/product/304145
の中で米国での教え子ハナが、大学院に進学して「数学職業人」としての訓練に思い悩む話があるが、読んだ当時ハナと私の境遇が似ているような気がした(私は学部レベルだけどね)。


吉川弘之氏のインタビューが読めるページ
http://www.southwave.co.jp/swave/6_env/yoshikawa/yoshi01.htm
http://www.shakai-gijutsu.com/ronbun/interview.pdf

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学ぶことは生きること

いつも勉強していて偉いね、なんて言われる私である。ちっとも偉かないんである。本当に偉い人は学生時代ばっちり勉強して、それを活かす方向で生きているのである。学生時代ちゃんと勉強しなかったんでずるずる資格試験受けたり、放送大学なんか受講したり、朝カル行ったりしているわけなんである。

でも、まあ、勉強は好きやね。自分が着実に向上している感じがする。加齢してくると、図太くなって、試験に合格しなくてもそんなに落ち込んだりしない。そりゃ、受かった方がいいに決まってるけど、勉強した分はちゃんと自分に身についてるはずだから。大学入試や社内の昇進に関わる試験とは違うんである。TOIECの点数を届出たり、社内試験があるようなところだったら、止めていると思う。学ぶ自由を制限しないで、と思う。

話変わって、
最近物理学科に行っても相対性理論を選択しない学生さんが多いそうである。
[いろもの]前野先生の日記
(ここでみたのだが、検索かけたけど日付までわからんかった)

現役の学生さんもそのように言っているので、全般的傾向なんだろうな。
物理学科の現実

いろもの先生も、自分なんかは相対論とか量子論を勉強したくて大学行ったけど、(現状がこうなのは)しょうがいな、と発言しておられた。

ふーむ。しょうがないのだ。その人たちもアインシュタインの思想を勉強したかったに違いないが、実際に単位取れないで、卒業に響いたら何にもならないと考えているのだ。

私もそうなのである。あれほど憧れた電子工学だが、実際に入ってみると1教科「可」を取るだけでもえらい騒ぎだった。ああ、辛かったね、あのころは。私はどっか脳が壊れているんじゃないかと思ったのさ。クラスメイトと明らかに理解度に差があるんだもんな。

でも、今はその道で飯食っているわけである。それなりに勉強もしているし。同窓生でも専門の道に行った人はそうそういない。その点は私結構偉い(^^;)。こういうのが生涯学習というんじゃないかな。物理学科の学生さんたちもいつかは相対性理論を学習する日がくると思う。そういう意味からいうと、ガッコで習った専門は関係ないとも言えるし、あるとも言える。少なくともガッコ時代の成績なんかでその後の人生が決定しようもない。

古いOSに頼らず、自分というシステムをいつも最善にしておくために、日々更新する作業が勉強であったり、読書であったり、いろんな人と交流を持つことなんだと思う。

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レジ袋税雑感

緑が丘で久しぶりに試合をしたのでメモとして書きます。
論題は「日本はレジ袋税を導入すべきである」です。
知っている人は知っている今年度のディベート甲子園中学の部の論題。

私はFさん、Sくんと共に否定側。ディベータに復活したいなあと思っていたところ空きがあったのでほぼ飛び入り状態。
肯定側は、プランに"生分解しないレジ袋1枚当たり5円を製造者または輸入者に課税する"というプランクを入れてきました。網羅する範囲を狭め、使い方によっては肯定側に有利に働きます。しかし、試合後、顧問から「税を税たる認識をするのは消費者であるべきだ。製造者にかけてもあまり効果が見込めないのではないか」という指摘がありました。これは私もぼんやりそういうことは考えていました。生分解プラスチックを何らかの形で広める、ということはいいアイデアであると思います。

否定側はFさんの提案により、「全てのプラスチックレジ袋を廃止する」というカウンタープラン(CP)を持ってきました。うーん、残念、CPは甲子園は禁止されているので、同じ手は使えません。参考に聞いておいてください。

私、これすごい良いCPだと思いましたね。全廃CPは、○○を廃止すべし、王道CPで真っ当な試合が展開されます。CPはハンドリングが難しく、必ずしも否定側に有利とは限らない。3人でやるときは、3人ともCPの理解がしっかりしていないと墓穴を掘ることにもなりかねません。

さらにこのCP真っ当であるとともに、本論題の教育テーマである環境問題を考える、という意図にしっかりと合致している。私たちは社会人なんで中学生の教育的見地は考慮する必要もないのですが、大事な観点でしょう。実際、試合でもあんまり抵抗無く受け入れられました。緑が丘では、まだまだCP⇒ずるっこしいというイメージがあるので(^^;)、CPが理解されるということは重要です。K代表は「なんだかねえ」としぶしぶ否定側に投票されましたが(まだハンドリングできないのに、CP使いたがる人がいるということなのだが)。

プランに戻って、生分解、つまりバイオマスプラスチック(BBP)のことですが、使い方によってはよい議論ができると思います。ざっと、検索してもいいことしか載っていない。しかし、私はそんなはずないだろうと、ジュンク堂に行ったらありましたね。そのままの書名『バイオマス』京都繊維大学名誉教授・奧彬(あきら)著。
・BBPは、土に入れて消えてなくなるわけではない。
・BBPは、回収再生過程を経てこそ、意味がある。そのまま焼却するなら石油系と同じことだ。
・原料の植物はまだ限定されている。
肯定側に立てたば、これらをクリアしておけばいいわけです。
まあ、現時点ではBBPはレジ袋には向かない、とも奥先生は明言しているのですが。

この論題の眼目は、税をどのようにとらえるかは重要でしょう。環境を意識させるインセンティブとなるか、取れるところから取るという悪法なのか。そういえば、高校も炭素税という税問題でしたね。このTV番組で橋元弁護士が唯一有効なコメントが税とはなにか、というものでした。

レジ袋有料化が検討されているのはむしろ、本論題の理解を深めるのに有益と考えるべきでしょう。教室ディベート連盟では二杉先生がきちんとその点を解説されています。
中学生の部に参加される皆様へ

またスーパー、小売店側は元々レジ袋で儲ける必要はなく、有料で販売しなくていけないとなったら、定価1円でもいいわけです。サービス品ですからね。小売り価格をプランで固定するのは難しいでしょう。レジ袋の価格を上がるとバック持参が増える、というのは、小売店側にとってはメリットには成り得ないのではないでしょうか。

今回のためにゴミ問題の資料も読みたかったのですが、時間がなく、なにせ4日前に希望を出したわけで、手を付けられませんでした。先の奧先生の本と同シリーズである高月紘(ひろし)著『ごみ問題とライフスタイル』は良書だと思います。

簡単に書けるのはこんなところです。

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尾張名古屋は城で保つ。

先日の『プロジェクトX』名古屋城の再建でした。
これくらいなら十分かんどーできるんではないですか。
そうそう、水戸黄門や朝ドラのようにご当地の独自のエピソードを取り上げればまだまだいけるでしょう。

タワー物は、3つ網羅しましたしね。東京タワー、通天閣、名古屋タワー(?)

それに、「VHS対ベータ」や「トランジスタラジオ誕生」ほどインパクトはないけれど、エンジニアリング物ならネタに困らないでしょう。
次回のIH調理器具誕生秘話も結構期待しています。

しかし、疑問です。
空襲で城自体は粉々、石垣の石もダメならば、一から立て直せばいいと思うが。石垣を修復する意味はあるんだろうか。それに建築法によってそのまま木造の復元じゃなくて、コンクリートなら価値も半減すると思うんですけど。まあ、45分じゃ、その意義を伝えたくても伝えられないでしょうが。

そして、最後の少女の言葉が番組の半分を作ってしまった。

石垣の修復にあたった佐藤昭さん。娘の知子さん。
知子さんは小学生のとき社会科見学で名古屋城に行った。
教師は言った。
「この石垣は加藤清正が作ったんだ」
知子さんはすかざす言った。
「違います。石垣を作ったのはうちお父さんです。加藤とかいう人じゃありません」

うん、すごい、親父も偉いが娘も偉い!
そうだろう。橋やビルを造った人はいるが城を造った人は滅多にいない。
いい話じゃないかぁ~。

また、ここでも、日本の彫金、金属加工技術はすごいなーと実感させられる。もともと技術立国なんだなあ、日本国は。ITも中国やインドに負けちゃいかんね。


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そんなに認められたいか?

ポスドクに関連して。
みんなそんなに報われたいのかなあ。
ここでは主にお金のことですが。

知財関連の勉強会に参加していて(今はほとんど行っていない)違和感を持ったのは「企業内知財担当者から高給取りを」みたいなことを叫んでいる人が多いということです(表現はいろいろ違うけど金をもっとよこせ、ということ)。
いや、お金はほしいですよ、私だって。でも、高給取りになりたかったら、企業にいちゃいけません。ベンチャーでも自分で起こしましょう。知財で食べていきたいなら、資格を取って事務所を開きましょう。これでおしまいです。一点目はこのことです。

○評価されたいなら、報われたいなら、そういう場に行け、そういう場を作れ。

先の勉強会では出世すること、取締役になること、を報われると言っている人もおりました。うーん、なればぁ、と思います。なっている人いるし。

で、どうポスドクの話に繋がるかというと、
日本にいても職がない、っていうなら、海外に行けばいいんじゃないかな。日本の博士号ってそれだけの価値があるんでしょ。皮肉でも何でもなくて、(特に科学)研究したいんなら欧米を視野に入れるのは当然のことです。

日本で職を用意しろと言っているらの行動原理がわからん。

二点目についてはつらつら書いたんだけど、ちょっと内輪の話なんで問題ありそうなので止めました。要は成果主義のことです。
成果主義とか導入されているけど、どれほどその評価方法の精度が高いわけ?たぶんどこでもそれが問題になっているんじゃないかな。ああ、これでクレームが書けるか。

○どういう評価をされれば報われると実感できるのか、考えろ。

営業利益みたいにいくら売った、っていう数値が出ない部門は評価難しいですよ。これは誰でもわかると思う。会社の仕事って成果主義がとりずらいのがほとんどと思う。今は学校の先生まで成果を示せ、と言われているらしい。上長に「成果ってなんですか。それが生徒のためになるんですか」と言ってやれ。いや、私は言えないですが。

『理系白書』の話に戻ってしまうが、「社会的に認められる」とか変な言葉に惑わされないよう。社会とか世間って何さ。自分が直接対話できる人間たちの集団が大事なんと違うの。世間では、なんていうようになったらおしまいだよ。

結論:認められること、報われることがどういうことが定義付けをしよう。たぶん、今の組織では不満が募るばかり。自分が評価される場所を探すのが回答である。

大企業・公的組織にいる人って結局あまちゃんなんだよね。

と書いていたら、掲示板にKimballさんがいいサイトを見つけてくれた。
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/tjb/Vol1No4/TJB200212KS.html
良い仕事じゃん、研究者/ポスドクって。実力次第ってことだよね。
包丁一本さらし巻かなくても、身一つでどこでも行ける。
定職がない、悲しい、とか言っているのって日本人くらいじゃないの。
がんばってくださいよ。次世代科学革命のために。

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続・博士のたくさんいる村から

このブログ5/13「博士のたくさんいる村から」とか、掲示板で博士号、及びその取得者のことを批判したみたいな私である。
(批判じゃなくて、それは「博士村」の考えであって、それ以外の人はこう考えているんじゃないかな、私はこう考えると記したわけだが)
ポスドクの将来、ということなら、この方のブログをお読みになるとよい。
柳田充弘の休憩時間
この件に問題意識のある方は当然、毎日チェックしていると思うが。
柳田先生のお考えには賛同するし、私の発言と何ら矛盾するものではありません。
(問題にしている領域が違うから)

理系(研究)でもいろいろある、という言い方を私はしてきたが、先生の6月9日に記されている、

日本として、どの程度の数の国もしくは地方での税金でまかなう研究者が適切かは、当然そのリターンである経済的文化的工業的価値とかかわります。消防署員や警察署員や学校の先生がどれくらいの数必要か、そういう問題とはちょっと違います。」
は当然大きなポイントであろう。

・どこそこのメダカの種類・増減の研究、というものがあるとしたら、単純に見れば、生物学という学問の継承的意義、という感じがするが、それによって、地球環境のダイナミズムが理解されるならば、経済的工業的価値のリターンがある研究といえる。

・遺伝子の研究と言っても、それこそ「儲からない」研究室もあるが、基礎研究も含めて価値を計測できる。

・日本語研究、日本文学研究はある程度の規模を持ち、それが世界一でないとまずいでしょう。

・外国語研究者にこれだけ予算を割いているのに、日本人はちっとも英語が上達しない、という議論があったとしたら、それは間違い。数値計測できることだけが価値ではない。

柳田先生の言からいろいろ拡張してみた。

ところで、文系もポスドクってあるんですか。あるんでしょうね。
あんまり聞いたことないけど。

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科学コミュニケーションとディベート

科学技術コミュニケーター(参考:北海道大学養成講座
のニュースを見たとき、なんだかなあ、と思った。
悪いことではないけれど、文科省さんはなんかこれを切り札と思っているのではないか、だとしたら、違うような気がする。何が違うのかそのときはわからなかったけど。

『遺伝』という専門雑誌が科学コミニケーションについて特集したらしい。
2005年1月号
「市民が反対する原因は、遺伝子組換え技術をはじめとする生物学の知識の”欠如”にあるので、遺伝子組換え作物は安全であることがわかる”正しい知識”によってその”欠如”を埋めることで批判は弱まり、導入がスムーズに進むことになるのだと、ところが実際は必ずしもそうではない」(同誌32ページ)

ここで、科学知識が
研究機関→報道機関→市民
の構造で固定してあるかのようである(同誌には理想モデルとして四面体モデルなるものが掲載されているが、これもありえないだろう。矢印が双方向になっているなんてそんなうまい話はあるものか)。
他の知識、政治や経済の知識を得る場合はこのようなことはない。
TVや新聞、雑誌、書籍など市民の側がフレキシブルにアクセスして知識を得るはずである。敢えてなんたらコミュニケーターの必要性はないはずである。
科学技術コミュニケーター、別に居てもいいが、もっと別のことも考えるべきではないか。

で、気づいたのはディベート思考の必要性である。
ディベート論題で遺伝子組換え技術は、定番なので、上記の例はそのまま適用できる。
世の中には推進派もいれば、危険視して否定的な意見を公表する団体もいる。
(先の記事は、何を媒介したものを「正しい知識」と言っているのか?)
遺伝子組換え技術の是非を知りたければ、その両者の情報を集める。できるだけ多く、と言いたいが試合をするわけではないので、「多く」より仲間と吟味する方が大切であろう。その際にディベート思考、クリティカルシンキングというものが役に立つ。
その検討した結果を市民が適宜に吸収していけばいいのである。

もちろん、ディベートというものを学ばないといけないわけだが。
これからは、市民NPOのツールとしてディベートを考えてみてはどうか。

ところで、
齋藤孝さんがディベートを誤解しているとのことらしいが、

・西田直樹氏のブログ

齋藤さんにはまず、ディベートはわからないだろう。彼は、伝統的な国語学習法を強化、発展させようと思っているらしいから、ディベート・議論術とは全く交錯しない。しかし、ディベートを批判するならば、正しく認識してからするべきである。上記のブログから判断すると、まともな情報収集はしていないだろう。学者としては問題アリだな。

ディベートが万能だとは思わないけれど、ディベート技術を身につけると、是非を的確に判断できる賢い人間になることは確かである。

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『環境マネジメント』

今期はこいつを取りました。
さっき郵便局に行って、通信レポート速達にして送ってきたところです。
こないだの日曜日に初めてテキストに風を通した。。。
著者は岡敏弘、山口光恒、両先生

環境経済学+環境政策論みたいな科目です。そのまま環境マネジメントって呼ばれていますが。
レポートはLCA(ライフサイクルアセスメント)の投問に答えることと、ボモール=オーツ税の計算問題。これでいいんだろうかと疑いながら回答しました。
環境影響評価については、知財取引講習で特許評価というのを習ったので、その意味合いが理解できます。数値処理しているようですが、処理者の主観的価値観が入るので、そのまま信用はできないのです。

経済学を誤解している人が世の中には多いみたい。
経済予測、なんてのは経済占いと換言してもそう変わらない。
当たった、外れた、って普通に使うよね。
統計学とか難しそうな数学を使うから、その通りになるはずだと思っているらしい。そもそも、その数学をどのように適用するかは、その人の主観によるのだから。
当の数理経済学者は当然わかってやっていると思うが。
テキストでも「LCAの限界」って章があるくらいで。


なんでも、環境なんたら学ってつけるのは流行かい?!
と思っていたけれど、そうではなくて、それだけ、いろんな分野を総動員しなくては、環境というものはとらえられないのである。
自然科学がいくら定性・定量にすぐれていると言ったって、それだけではわからない。人間が生きている以上、経済も政治も関わってくる。もっと大枠な、哲学とか思想も環境を考える上では必要だ。
それだけいろんなエキスパートがいても
巨象を目をつむって数人で撫でているようなものであり、
(そういうことわざあったよね)
各々が違う感想を述べて全体像がわからないのである。
いやさすがに環境学は学際を越えて統合性を持とうとしているから、象の形くらいはなんとなくわかっているのだ。

そんなに楽しい科目じゃないけど、一社会人として、エンジニアリングの現場に勤めるものとして、有益な勉強だ。

前から読みたかった古林 英一著『環境経済論』も読むことにする。
bk1

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続・反「理系白書」

もう、ひとしきり怒ってしまったので、気が済んだし、私が意見をいってどうこうということでもないのだけれど、掲示板の方に「続」を書くと言った手前、書くことにする。

「理系白書」とはうまいタイトルを考えたものだ。
確かにそそられ?ますな。
普通に研究室訪問をしているのに、
普通に学校教育の取材をしているのに、
「理系白書」の取材班です、という何か新しいことをやっているように錯覚してしまう。まあ、手法としては悪くない。

毎日新聞さんだからあり得たのでしょう。
朝○とか○経とかに「理系白書」、それはへんだろう。

単行本の『理系白書』はそれなりにまとまっていて良書であるとは思う(私は買わないけどね)。
でも、本としては初めてではなくて、宝島の別冊かなにか先例はあったと思う。新聞紙上では初めてでしょう。こんなにたらたら連載するのもね。

もうこのへんで切り上げて別のコンセプトを始めたらどうか。
評判のいいコーナーらしいから止められないと思うが。

******

「理系白書」の記事はともかく、「理系白書ブログ」はひどいものだ。
(昨日のは名前を連呼して挑発的だったので、そういうことは避けることにする)

同じ引用であるが、
>・一方で、そういう人のがんばっている様子や生き方が、
>世間に出にくいために、世間では「理系は暗い」「理系は
>変人」「理系は社会性がない」「専門馬鹿」という先入観
>で語られがちで、これはいかにももったいない話である。
>(ここから理系白書が生まれました)
これは記者としてまずいだろう。

○今の仕事に取り組んでいるのは世論がそうだったからです、そうであってもいうべきではない。まるでその責任が自分であるのではなく、わけの分からない第三者にあるようではないか。

○これも繰り返しになるが、暗い、変人、社会性がない、どっからくるのか。

○そもそも括りが大きすぎる、いったい日本の人口の何割が理系のか。3割くらいとしよう、それらの人々(私もそうだけど)が、このような指摘を受けているのだろうか。世論という言葉でごまかさず根拠を示していただきたい。

○彼女の記載の一番の欠点は「理系」という定義を、ちょくちょく変えて、それを断りもなく、話をしていることである。あるときは研究者であり、あるときは学部生であり、あるときは企業人であり、またあるときは理系受験用の選択科目を選んだ全ての人だったりする。さらに驚くべきことは、理学部のみを語っていることもあり、理学部+工学部のときもあるのだ。これでは議論ができない。おそらく、なにか反論されたときの逃げ道を、意識/無意識で作っているのだと思われる。

○個人で作っているブログだから、そんな堅く考えなくてもいいではないか、という意見もあろう。だが、そんなわけはない。彼女は所属・実名を明らかにして、自分の所属するその会社の有名なプロジェクトに関するブログです、と明言しているのだから。

○別の箇所では社会リテラシーという言葉を使っているが、彼女はこの意味を知らないのではないか。どうやら、新聞記者というのは言葉を根拠もなくフィーリングで使用するらしい。

○社会人に面と向かって「貴方は社会性がない」などと言ってごらんなさい。ほとんど人権問題だと私は思うよ。不当に人を貶める言葉を平気で使っている。「社会性がない」というのはそういう言葉です。

○私は日常の業務から、うちの会社の開発部員はコミュニケーション能力が欠けている人が多いと思っている。これは単なる人間関係ではなく、自分の研究や自分の能力を話し言葉あるいは書き言葉でアピールするのが下手だということである。既婚者も多いし、友人だって普通にいるだろうし、全般的な対人間のコミュニケーションは問題ないであろう。おっと、彼らの多くは技術力はある、ということを言っておかなければ。私としては表現能力を少し磨くだけで、彼らの価値は上がるし、当社の開発能力も向上すると言いたいのである。ああ、表現能力だけ、ある、つまりはったり野郎は問題外の外である。

こういう限定的な文章であれば問題ない、

・うちの会社の
・私が接する開発技術者は、
・仕事上コミュニケーション能力が欠けている人
・が多い。
ということである。

これを
「理系はコミュニケーション能力が低い」
と言ったらどうなるか。
彼女はそのように言っているのである。

○「理系白書ブログ」に賛同する「理系」の人たちは、ブログでの問題提起と自分の環境の問題点を重ね合わせているだけだと私は思っている。よく見れば全然一致していないのに、
理系ってたいへんですよね、みたいな言葉に
そうなんですよ、学費だってばかにならないし、就職は不透明だし、彼女はできないし(?)みたいに勝手に反応しているのである。

○専門馬鹿に関しては、「専門馬鹿のどこか悪いのか。ただの馬鹿と違って価値がある。世の中に五万といいるただの馬鹿の方が問題であろう」ということだけ取り敢えず言っておこう。

○まあ、これらのことが些細なことだ、アマサイ固有の考えだと思うならそれでもいいと思います。理系白書と理系白書ブログを楽しめばいいんじゃないですか。理系白書もブログもあってもなくてもどちらでもいいものだから。

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反「理系白書」

理系白書、もう止めてもいいんじゃないか。
それぞれの記事はそれなりに(webでしか読んでいない)おもしろいが、「理系白書」とう括りが気に入らない。
案の定、元村氏のブログ(6月1日)
http://spaces.msn.com/members/rikei/
>世間では「理系は暗い」「理系は変人」「理系は社会性がない」
>「専門馬鹿」という先入観で語られがちで、これはいかにももっ
>たいない話である。。(ここから理系白書が生まれました)
あのう、どちらのお国にお住まいで?
世間?上記のようなことは私は聞いたことがない。
仕事では、毎日理系に会っている。
私生活全般、友人関係では、理系は2、3割か。
こう書くと私自身が理系人間が居るって認めてるみたいで腹が立つ。
暗い、変人、社会性がない、
それは全部あなたの偏見でしょう。
あなたの偏見を払拭するために、自分の職業を利用したわけでしょ。
一体、理系・文系の定義って何?
それを明らかにしてから取材をするべきですよね。
それも含めて記事を書いているんですか?だとしたらその探求心は全然記事に現れていない。

最近記事のタイトルは
「文理分け教育を問う」
だけど、教育問題をやっているだけだよね。理系白書たる意味はないよね。私は初めから「理系白書」だと思っていないけど。
壊そう、文理の壁 、
いや、この一連の記事自体が分離の壁を作ってるよ。

これだけ時間をかけて取材していれば、考え方も変わってくると思うけど、むしろ「理系は暗い、変人、社会性がない」っていう偏見を強めているんじゃないですか、元村さん。

>・研究には、周りが見えなくなるくらい没頭する集中力や粘り
>強さが必要で、いい研究者にはその集中力を兼ね備えた人が多い。
>・私はそういう特質、個性をすごいと思い、尊敬し、応援している。
>・一方で、そういう人のがんばっている様子や生き方が、
いや、理系だって、文系だって、それらに区分けされない人たちだって、研究者じゃなくたって、みんながんばっているんだよ。

それでも、認められたり、認められなかったり、誉められたり、バカにされたりするんですよ。いろいろなんですよ。
地に足をつけない新聞記者のようなエリートさんにはわかりようもないですな。

普通の科学記者に戻られたらいかかがですか。

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「情はあってもよいが、なくてもよい」

義経「わたくしは、家臣には情をもって接するべきと思います」
頼朝「家臣への情はあってもよいが、なくてもよい。情は必要だが第一ではない。私に従う者どもは、源氏にはゆかりのない御家人である。御家人が私に奉公を尽くすならば、その者達に所領を安堵する。私は、新しきもののふの姿、いや新しき国をつくりたいのだ」
(後半はうるおぼえ)

今回(第21話)の『義経』ひじょ~~にいいです。平安末期の政治状況、武将たちの思いの交錯が一気に見て取れ、密度の濃い内容になっています。
過去の大河ドラマでここまで当時の人々の心情を表現したものがあったのでしょうか。勉強になる番組であります。
これで、頼朝様の深き思想が理解され、悪役から脱することができるでしょう、
と右兵衛贔屓は思うのであるが、だから頼朝様は嫌われちゃうんだよね、
ともいえるなあ。
あれじゃ、血も涙もない人みたいだもんなあ。
判官贔屓がまた増えちゃうかな。

政子、あそこまで政治に口出ししてたのか、ってのがちょっと腑に落ちない。

中央志向の木曽義仲、
これ見ていると全然魅力的じゃないんだけど。
義仲も結構人気あるんだよね。
どこがいいのか。あのお馬鹿さんなとこがかわいいのか。

小池栄子がんばってるけど、巴御前、うざい。

でも、この時代、頼朝がいるから義経がいる、義経が活躍するから頼朝が光る、という気がいたします。光と影、政治上は頼朝が光だけど、大衆人気は義経が絶大だし。
コントラストがはっきりして、戦国時代よりおもしろいな。

バカ殿・宗盛、賢将・知盛もまたよろしい。
阿部ちゃん、素敵!

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やっぱり迷走していた。。。

先日の湘南科学史懇話会で普段会うことのない理科(物理)の先生のお話を少し聞いた。

「僕たちも文科省には文句言ってますよ。要望書だってしょっちゅう出してるし。彼らも現場調査なるものをするんですよ。そして、新課程を作成するときに、教師が教えるのに苦労しているとこを削るんです。または、この項目は中学校のときやってるでしょ、ってことで削るんです。
 理科というのは全学年を通して螺旋状を描いているのに、それをぶつぶつ短冊状に切る作業をしているんですよ。」

文科省が打ち出しがなぜ不整合なのか全て納得がいく。
あいつら救いようのないバカである。
エリートのあたくしたちが、庶民に行政指導してしんぜよう、とでも思っているのか。
お役所仕事が不合理なのは、いつの時代にも、どこでも同じである。
しかし、企業相手とか、農家相手とかになる省庁だと、人の心の機微とか世の中の流れとか関心を持たざる得ない。
ところが、である。文科省は、全然、そんなことを考えなくていいらしい。
虎ノ門のあの建物の中で整合性があればよいのだ。鎖国的官庁だ。
Dr.Tが「俺はカナダで博士号を取ったのに、文部省管轄下では認められない。学部卒と同じ扱いなんだ!」と怒っていらした。鎖国してるから、外国にも大学があるって知らないんじゃないのか。
(自分とこの職員を留学させているから、あることぐらいは知ってるか。。。)

迷走しているのは、文科省の役人のようだ。


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湘南科学史懇話会:5月度

http://www008.upp.so-net.ne.jp/shonan/home.htm

猪野修治さんが主催されている市民のための科学・科学史の勉強会。
私は2001年から断続的に参加している。
その道の専門家の最新研究の成果が、会場費だけで聞かせていただけるほんとにありがたい会である。

今回は高校の物理の先生・右近修治さんのお話
19世紀ケンブリッジのチューター制度が、現在の高等理科教育の基盤を作ったという主旨だ。
もうびっくりすることばかりである。
演習問題を解くという、物理(や化学)では当たり前にやっていることはここから始まった。それまで演習授業、演習コースというのは存在しなかった。ケンブリッジにも受験戦争が存在する。入学試験ではなく、学位取得試験である。多くの学生が学位をとれないまま大学を去っていくと超選抜試験なのである。

その当時は貴族や金持ちの子弟ばっかりだったので、そんな競争しなくても在籍してればよかったんである。暇つぶし?まあ、成人男子の遊園地、みたいなもん。あれ?今の日本の大学もそうか。

その対策のために、大学公認の個別教師(チューター)の講義を受けるのである。これは全く、大学受験予備校の教師や家庭教師のイメージそのもの。大学のガクモンではなく、試験にパスするテクニックを教授する。大学の講義はそれとは別にあるが、学生にとってはチューターの講義が優先である。これも学校の授業より予備校や塾を優先する現代の中高生とまったく同じである。

こんな話を聞くは初めてである。他に来られていた、学校の先生、ジャーナリスト、会社員、院生もみんな同様に興味津々のようであった。

これを正規の高校教員をしながら研究を進められていたのだからすごい。また、教えている側だからこそ、問題を発見できるのかもしれない。

こういう高レベル講演を毎回やっています。関東近辺の方、是非いらしてみてください。
・過去の講演をほぼ採録した懇話会通信というのが発行されています。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/shonan/backnumber.htm

右近先生の原稿は物理教育研究会の機関誌に掲載されています。
http://www.apej.org/

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迷走する理科教育

理科教育関係のMLに入っている。さすがに小中高の教員の方が多い。1日交わされるメールの数も相当なものである。
おかげでスパムメールが気にならなくなりました(MLの数の方が多いから)。

授業時間減少もあって、科学教育は迷走している、と感ずる(私がそう思っているだけかもしれないけれど)。

同じ項目でもこれは小学校で教えるべきもの、これは中学に行ってからでなくてはいけない、等の区分けが非常に難しい。そもそも科学というのは、中学用のものとかがあるわけではない。どれもそうと言えばそうだが、理科は一番コンテンツが多い上に複雑である。
また、これだけは知っておくべき、という閾値の設定も困難である。科学が進歩し、社会常識が変わってくれば、学校教育はそれを反映しなくてはいけないだろう。その一方子供が理解できる範囲が拡充するわけではない。小学校低学年では、感覚的に理解できること、即ち実験・観察が容易なものを盛り込むべきである。高校生になれば、微積分の概念を物理学の中で収得するのが当然となる。
※高校物理では微積分は使わないけど、概念として知っているわけだよね。

以前に、ここで、「これをやれ、と半ば強制することも必要」と書いたが、理科はそうではなく、面白がらせるということが重要な気がしてきた。動植物が好きでなくては、遺伝子の概念には興味がもてないであろうし、宇宙の果てはどうなっているんだろうと思いをはせない子に、ケプラーの法則を理解させるのは酷というものだ。また、そういうことに思い至らせるというのも理科教育の使命かもしれない。

うーむ、小学生の理科離れが現実に進んでいるとしたら、算数のできない大学生よりもよっぽど深刻である。

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学生は発明をするべきなのか。

した方がいいでしょう。
高校生発明家集団@韓国-朝鮮日報より-
この記事を読んでコメントしている次第です。
株の運営法を学ぶより、発明を考えた方がいいでしょうね。
(学校教育に株だなんて証券会社の陰謀としか思えん)
創意工夫、考える力を育みますし。
工業高校、高専にはよいでしょう。普通科はどうでしょうね。

また、大学は成果主義が導入されてしまったので、
(かわいそう。理学部なんて本来「儲からない」からいいのに)
工学部なんかは、卒研かわりに特許出願するってどうですか。
学校法人なんだから減免処置とられるよねえ。

小学校のとき、発明工夫展というのがあったのですが、今もあるのですか。
あれ、わけわかんなかったよね。
小学1,2年生に発明って言ってもわかんないじゃん。
みんな工作のつもりで出してたよね、夏休みの宿題に。

発明をからめて科学技術史を小学校から教えたらどうだろうか。
アルキメデス、フランクリン、エジソンなどは今学校で教えてないよね。
こういうの教えるのがゆとり教育だと思うのだけれど。
大学の教養課程の教科より創るのは難しいけれど、
知的財産立国なのだからやって当然でしょう。

朝鮮日報・日本語版なかなかおもしろい。
http://japanese.chosun.com/

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留学生受け入れ戦略

今週日経夕刊の連載には立命館アジア太平洋大学学長
モンテ・カセム氏http://www.apu.ac.jp/apuinformation/vol10/special/
知りませんでしたねえ。こんな人がいるとは。

1回目の一昨日には、
「日本が留学生受け入れの戦略がない」という言葉が掲載された。

目から鱗!そうだよね、戦略もないくせに外国人うけいれちゃいかんよね。
(今は少子化で学生が少ないというお家事情)
戦略というとなにやらいやらしいが、きちんとした目的とそれに沿った実践ということ。
米国大学の外国人受け入れの目的は明らか、と思う。
人材を世界に排出し、学校の名声を上げること。
地方自治が強いからアメリカ国家の威信とかあまり関係ないと思う。元々外国人が創った国だし(オザワセイジだっけか、日本人でも米国人でも関係ない、彼はニューヨーク市民だ、と言わしめたのは。国籍よりも居住地、市民であることが大事なんだね)。大学も自治・独立の精神が強い。

カセムさんは英語教育が遅れたことが原因としているが、そうではないと思う。
戦後思想から抜け出ることが未だにできないからだ。
大学の中には、日本で知識人を育成して、アジアを活性化、という考えを持つとこもあると思う。しかし、それをそのまま実践すると、大日本帝國の復活として恐れられてしまうだろう。戦後処理は、なし崩し的でまだ終わっていないから、中国であんな暴動が起きてしまうのだ(まあ、何かと暴走する人たちらしいけど)。

少子化対策とか言っていないで、日本人・外国人ともに、日本国内で国際理解を深め、アジアの文化、経済、産業を担う人材を創出するとかいう、でっかいスローガンで学生募集した方がいいんじゃないのか(「世界」からとかいうとちょっとうそっぽいから。もちろん欧米・アフリカからもウエルカムです)。

アジアの親日家が日本にくると反日家になって帰国するという現状をもっと重くみるべきだと思う。

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板坂研究室など

板坂先生、なかなかキュートなHPお持ちでいらっしゃる。
板坂耀子研究室
日本古典文学専攻のセンセーにITがわかるのか、とまたもや偏見をいだいておったのだ。
(だってさぁ、インターネットは学術向けに開発されたが、日本国内で研究が済むわけだから積極的にコンタクトとらなくてもねえ。研究者は日本国外にもたくさんいるだろうが)

タッキーの演技がへた、とは別に思わないが。
神木隆之介くんの演技がうまいことは認めざるおえない。)
アイドルといえども、彼のドラマ歴は10年近く、時代ものは初めてと思うが。
いろいろ試行錯誤しながら演じている彼と義経の世間知らずぶりがだぶっていい感じと思う。

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経済と科学

20世紀の最大の特色はそれが科学の時代であるということです。(中略)そのような背景を考えれば、学者や学生はもちろん、産業人も、セールスマンも、ジャーナリストも、家庭の主婦も、みんなが科学を知らなければ、時代の流れに逆らうことになるでしょう。

講談社ブルーバックスの発刊の言葉にこのように書いてある。
科学の時代は21世紀も続くだろう。しかし「みんなが科学を知らなければ」ということはどれほど主張できることであろうか。

近年科学はIT技術という言葉に集約されてしまう。IT技術を知る、というより使える、使いこなせるということである。パソコン、携帯はいうに及ばず、炊飯器、電子レンジという家電機器までマイコンを搭載した機材となってしまった。うちの母などは銀行のATMが銀行員の指導なしで使えるようになったのは、数年前である。先日は定期の買い方が難しくなったので、やってほしいと言われ、Suica定期券を自販機で発行した。
(これは科学ではなく、技術だとの主張は不毛である。科学と技術と科学技術とを境界にこだわるのは不毛な議論が好きな哲学者達だけである)

それだけではなくて、生命科学や環境科学も市民が学ぶべき科学ではあろう。しかし、こちらは、広く、深くなりすぎて、ほんの少し、表出したキーワードでしか、理解できなくなっている。DNA、遺伝子組み替え食物、オゾン層、ダイオキシンなどなど。

ブルーバックスが発刊された1963年とは明らかに様相が変わってきてしまった。

前出の言葉の科学を経済に置き換えると不思議なことに腑に落ちる。現代人が知らなくてはいけないのは科学よりもむしろ経済であろう。税金のしくみ、郵政民営化の利益・不利益、株式の購入、老後のための貯蓄術。
経済を扱っている本はどれもそこそこ売れているのではないだろうか。

日本でも株券の個人購入が普通になった今、経済というものは誰かが動かしているわけのわからないもの、ではなく、自分も経済社会の構成員であることが自覚できるようになった。

それに比べ、科学は、益々専門化し、市民の手の届かないものになっている。そして、当たり前のことではあるが、科学は経済なしでは駆動できず、経済の一つのトピックスに成り下がっている。

こんなことを考え、それをなんだか、ヘン、と思うのは私だけだろうか。
拝金主義が、科学や文化を隅に追いやっていると考えるのは安直であろうか。

昨日、本屋の各棚をぼんやりみていてそんなことを思った次第である。

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雑談、平家物語

板坂耀子著『平家物語』中公新書
でいろいろわかってきた。

1)悪人・清盛は『平家物語』がそのまま現代に伝わっているため。

2)作者不詳のうえ、いろいろな写本があるので、物語は多少不整合がある、
→だから後世の作家が新たな平家物語を作るのである。

3)テーマは「平家はなぜ滅んだか」の解答

4)頼朝があまり出てこないのは、3)のため、源氏に滅ぼされたのではなく、自ら衰退していったと描きたかった。

ということは、『波のかたみ』は『平家物語』を基盤としているので、時子の義経親子の感情は記されていないのか。これは『平家物語』本体を読んでみないとわからないが。

そうそう、古典を知るには、岩波文庫でなくてもよいとわかった。高校古典の副教材として売っているはずだ。案の定、現代語訳つきで600円程度であった。抜粋なのは仕方がない。全巻買っても読めないし。日本人なんだから一応知っておかないとね。

ついでにGeorge Sansonの「A History of Japan」全三巻まで買ってしまった。英文の詳しい日本史の本が前からほしいと思っていたのさ。

板坂さん(今気づいたが、板坂元の親族か?)は、いろいろとおもしろいことを書いている。

『平家物語』は史実とは離れすぎている、と批判したり、解釈を変えて翻案したする小説があったりするが、それはそれでいい。しかし、『平家物語』そのままの人物像を鑑賞するのも大切ではないか。(文意)

なんか目から鱗である。さすが、文学研究者だけあって、古典の読み解き方まで書かれている。

『平家物語』原典を強く勧める、古典応援歌でもある。

日本史愛好家の私としても『平家物語』の翻案小説さえも読まなかったのは不覚である。
NHK大河、様々、いや主演の義経タッキーが偉いのでしょう。

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博士のたくさんいる村から

博士(はくし)が100人いる村
今日見たらアクセス数がすごいですね。
まだ知らない人がいたら見てみてください。
オチがちょーブラックです。

なんか本気で怒っている人もいるらしいけど、ジョークでしょう。
えっ、あれが実体なの?

オーバードクターってなんか問題なんですかね。
これって、博士号をとったけど、大学や研究所に勤められない、って話ですよね。
だったら、企業に勤めればいいんじゃないですかね。
小中高の教員だっていいと思うよ。
論文は英語で書いているはずだから、専門分野の翻訳とかもいいんじゃないかな。
企業側からそんな偉い人はいらない、っていう話は聞くけど、
いろいろ応募したけど、落ち続けたっていう院生、院卒の人って聞かないな。
別に工学博士が営業やったっていいわけだし。
博士増えてもポストは増えないでしょう。子供減ってくし。

なんか、国が技術立国っていうから博士をとったんだから、就職まで面倒みろって言っているみたいで非常にいや~な感じがします。

まあ、お金はかかっているわけだし、元を取りたいというか、そこまでいったら研究業をしたいっていうのは人情だけど、発想の転換をしていかないとね。

受け入れ側としてはいやでしょうけど(^^;)
うちの部署なんか博士を受け入れやすいとこです(博士までとってそんな仕事、と言われにくい)けどね、実際はうっとうしいです、勘弁してもらいたい。
それで子供の学校に行ったら、担任が博士とか、うざいですなあ。

でも、何でも慣れですから。

大学とかに固まってないで、そこいらに博士がいるって社会、いいと思いますけどね。

専門馬鹿とか、使えないとかっていう批判も減って、いいとこ尽くめでは。

とか、学部卒のアマサイは思うわけです。
博士まで金を出してもらえる環境に嫉妬しつつ。


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NHK大河『義経』時子と政子

書く時間は無いけど、ネタはあるんよ。

昨日のNHK大河『義経』
清盛がいよいよ臨終。

夫人である時子に親族が詰め寄る。
「殿は何か言葉を残されませんでしたか?」
時子曰く、
「皆の者よく聞け。大相国様は仰せになった。この世に思い残すことは何もない。ただ、伊豆にいる頼朝の首をこの目で見ることができずにいることが無念である。大相国様のご恩に報いるために、頼朝の首打ちとらんがため直ちに出陣せよ」
一同、はははぁ~と伏せる。

うーん、これどっかで見たことある。
そうそう北条政子の承久の乱のときの演説じゃん。
「頼朝公の恩は海よりも深く、、、」
ってあれだよ。

時子もほんとにそう言ったのかなあ。平家物語に書いてあるのかあ。
何となく『吾妻鏡』を読んでから付け加えた気がするが。

でも、前にも書いたけど、平時子と北条政子は似ているよね。

渡哲也さん、清盛役ご苦労様でした。
素晴らしかったです。『西部警察』を凌ぐ代表作になったと思います。

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ETV『科楽教育のすすめ』続き

うーむ、昨日はなんであんなことを書いてしまったのか。単に番組の感想だけと思っていたのに。

この番組毛利衛さんがナビゲータのようになっている。
最後に江崎玲於奈さんとミニ対談をする。
江崎さんが
「科学というのは積み重ねというか、鍛錬が必要だ。絵や音楽と違って即座に創造性を発揮することができない。そこが科学が敬遠されている理由ではないだろうか」というようなことをおっしゃった。
毛利さんはそれに対して、柔らかくかつきっぱりと
「いえ、それは私は賛成できないんです。絵や音楽だって、基礎力は必要だし、子供であっても科学的な創造性は生まれると思います。芸術と科学は全く別のものだという考えこそが科学から離れていく理由だと思います」
と答えた。

ほっー!これはすごい重要な論点だ。1時間半の番組で一番価値ある部分といえよう。二人の日本を代表する科学者のコア的思想が表出した瞬間である。

どちらのいうことも(その裏にあることを考えれば)納得できるが、やはり毛利さん的科学論が日本にはかけていると思う。科学は特別なものだ。一部の人がやればいい。微分積分、熱力学なんて多くの生徒はする必要がないのだ、という極論になる傾向がある。

時間ができたら、絵でも習おうかな、ピアノを弾いてみようかな、と同じ感覚で、幾何の問題集をしてみよう、量子力学を勉強してみようとなる社会じゃないとダメなんじゃないか

小中学生の理科離れは、科学的知識、合理的判断からも遠ざけてしまう。
テストの国際比較なんてどうでもいいことだ。
彼らが私たちが数十年後にどのような老後を送っているのが問題なのだ。

ところで、毛利さんを学部長や学長にする大学はないのか。
科学館館長ももちろん価値あるすばらしい仕事だが、まだお若いのだから社会にでる若者を直接的に育成していただきものである。

派閥ばかりを重視して、力ある人を高い地位に置かないのも日本の大きな欠陥である。

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ETV『科楽教室』

ビデオにサイエンスゼロが二回分(男性アナウンサが前任者だから3月分)、プロジェクトXのたたら製鉄編がたまったまま。

ETVだけなんとか見る。
「新"科楽"教育のすすめ」

サイエンスプロジューサ・米村でんじろう氏、
ロボット工学者の古田貴之
の「楽しいかがくのすすめ」

でんじろう氏は「情熱大陸」とかにも出ていた。

古田氏のことは知らなかった。
この本にあっただろうか。
『知能の謎』(ブルーバックス) 認知発達ロボティクスの挑戦

私より若いに大学付属の研究所の所長とは大したものだ。
(自分を基準にするな、って感じですが)
ソニーやホンダもまっさおの二足歩行ロボットを5,6人のメンバーで作ってしまう。
二足歩行は数式に表すとものすごー複雑な方程式になる。
それが、人間が歩くときってそんな難しいこと考えてないよ、の学生の一言がヒントとなり、ブレークスルーが生まれる。

アトムでなく天馬博士にあこがれたというのはツウですな。
(この人の年でアトムを知っているんだ。ふーん、ガンダム世代と思った)

大学助手時代、院生の学力の無さに唖然。
誰でもびっくりするわな。学部出ているのに、物理も数学も知らず、工作作業もできないとは。
研究の傍ら、自ら作ったロボットを片手に出前講義にいく。
モチベーションが無いから理科や数学がつまらない。
ロボットという実体験をすれば、興味がわくのではないか、
ということである。

古田さんは、「早く将来の道をきめっちゃった方がいいよ」と語る。
私もそう思う。なんで決められないのかが私にはわからない。
今の子だけじゃなくて、私が学生時分の同級生もそうだった。
幸せだからでしょうね。
学校出たら何者かにならなきゃならないって切迫感がないから。
別に科学者や弁護士を志さなくても、なんかあるだろう、やりたいことが。
大げさなことじゃなくて、毎日楽しくまでいかなくても、辛いのはやだな、1日やっと終わった、ではない生活をしたい、だけで(進学するとかその後とか近い)将来が決まると思うのだが。

みんな裕福な家庭なわけだ。家みたいにビンボーで、親が早く働けとプレッシャーをかけるといいこともあるのだな。

学力低下、理科離れで、楽しい授業を、
とか言っているが、それも必要だけど、これをしないと前に進めないという圧迫感も不足しているのではないか。

物理なんて勉強してなんになるんだ、という訴えに、
楽しいからやってみようと同時に、
学校の単位になっているんだからやれ、力学ぐらい知らないと恥ずかしいぞ、
と非論理的なモチベーション?も持たせるべきではないか。

(ETVの感想続く)

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ロボット文化@日本

一応、これ、カテゴリ分けするとサイエンスブログである。なんとなく。

かなりの科学ネタを『サイエンス・ゼロ』に依存している次第である。

今回もそう。
ロボコン最前線、みたいなタイトルでした。
ロボットには興味ありありだけど。ロボコンはあまり。
やっぱり、学生さんとか、オタクなエンジニアしか出られないよね。
ビデオに撮ったけど見る時間もないし、と思っていたけど。
こりゃ、すごい(私いつもそう言っているね)

ロボットコンテストがこんな幅広く、高度だったとは知らなかったよーん。
大小80くらい大会があるそうだ。
ロボットにブロック運ばせるって、この前、高専の学生がやっていたと思うが、
同じよう競技を中学生がやっているぜぇ。
シーソー状の板を自分の方に傾くように、直方形と円柱状のブロックを積み、かつ相手のブロックを落とすという動作をする(いつも思うのだが、相手を邪魔する動作を求めるのはいかがなものかあ。それはメカニック的有意義なのだが、学生競技としてどうなのか)。

優勝した子は、お父さんと一緒に小学生の自分から大会に出ていたらしい(親子大会もあるんだね)メカをもってスタジオにも登場したのだが、いやーこまい細工ですな。うちのエンジニアはあんなの作れるのかなって思いました。あっ、失礼、メカトロニクス技術者ならできますね。私ができないだけです。すいません。

もっと、感心したのは二足歩行の大人部門。
えっ、センサ使って人工知能?!ロボット自身で傷害を検知して乗り越えていく。
すごすぎない?えっ、みんな個人でやっているの?
個人と言っても開発技術者だったり、ロボット工学の大学院生だったりするのだが。

でも別に驚くこともないんだよね。巷の書籍やパーツのレベルで確かにできるんだものね。それに日本はロボット文化というものがあるそうだから、
ううん、別に理科離れなんて気にする必要ないんじゃないか。
ここだけ見ると。

で、次はマイクロマシンのことかなと思ったら、ビデオが切れてしまった。
あれ?特集ってことはいつもの45分じゃなくて、1時間番組だったですか。
どうりで、ロボコンの映像が長いと思った。
そういうことなら事前に教えてくれなくちゃ。眞鍋かをりちゃん。

ああ、自分でロボット作ってみたくなったな。


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ディベート的ゆとり教育論

先週の当アマサイサイトのヒットワードNo.1は「ゆとり教育」である。ここの記事が当たったと思われる。
3つもトラックバックをいただいている。みんな関心あるんだね。これは普段教育にさほど興味を示さない人々も引きつけているのだねえ。

私はこの話題は、ディベート論題としても思い入れがあるのだ。2002年にJBDF、緑が丘合わせて、3回も試合をした。それも、全部ゆとり教育を肯定する側である。これはディベータとしてではなく、一個人としてこの文科省案に概ね賛成していたからである(よくよく考えたらそれだけじゃなくて、ゆとり教育支持は不利、という下馬評?に対抗したいから。どうでい、これならディベータちっくだぞい)。
理由は3つ、

1.学習内容の最低ラインを決めているだけで、上限は定めていないこと。(能力別授業を合わせて実施されることを想定している)
2.総合学習は非常に有益だと考える。
(これが応用力養成でなくてなんであろう)
3.教師の能力に依存することで学校間で「正当な」競争が起こる。
(公立校も学区ではなく、学校自体を選ぶことを是としている現れ)

実際ディベートもこのような論点で進めた。そして、現実は、

1に関しては明らかに文科省の説明不足。マスコミをもっと味方にしないとね。だから「円周率は3」と教えているなんて誇張ばかりが流布してしまう。
2に文句をつけるのはだれだよ。考える力は必要なんじゃないのか。
3には、ダメダメ教師に当たってしまったらどうしてくれるのよ、という反論が多かった。でもね、どんなに指導本(アンチョコ)が充実していてもダメな教師はだめなんよ。

宿題は出すな、計算練習・漢字書き取りはやらせない、っていうのはどこから出たんだか。そんなの、それこそ、教師の裁量である。それとも、宿題出したら、懲戒解雇にでもなるのかい。振り回された先生こそいい迷惑である(ベテランの教員は、前例を知っているので、「ゆとり」が3年も持たないことは予測できたそうだ)。

結局、教育は家庭でやるものなのだ。学校や塾や通信教育を適宜利用すればいいのだ。学校ですべてやってくれるってのは幻想だって今、学育児の親はわかっているんじゃないのか。

もう、詰め込み学校教育には戻れないし、戻りたくもないだろう。

と私は考えるわけだが、当然そう考えない人も多い。
教育問題の争点は、個人の価値観に依存するのでアカデミックディベートでは難しいと先輩に助言された。
ふーむ、そうだねえ。(ディベート的分析ではありませんでしたな)

でも、和田秀樹とかいう精神科医のいうことを真に受けるのはやめろ。彼はしろうとだよ。そんなに現行制度が気に入らないなら学習塾でも開けばいいのだ。それだけの力はおありになのだから。だが、その前に自分の精神分析をした方がいいんじゃないのか。

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ニセ科学入門

こういうのって驚愕の事実っていうんでねえの。

大阪大学の菊池誠先生のブログ(とその記事内リンク)をみよ。(半導体の大家の菊池博士ではない)
[波動・美容・マイナスイオン ]カテゴリー・ニセ科学

いやあ、びっくらこいた。ニセ科学がこんなに浸透しているとは。

血液型性格診断なんてみんなお遊びでやっていると思ってたのに。
あれがどこをどうとったら科学になるんじゃい。
人間の性格なんてどうにでも表現できるではないか。
「血液型って結構当たるよねえ」
それはいいさ、占いってことでしょ。
占いの範疇なら何を言ってもかまわない。
私も占い好きだし。出かける前に必ず星座占いみてくるもんね。
(自慢することか)

そう、これをたわいもないお遊びと容認してしまったのが、そもそもの間違いだった。それが、マイナスイオン、波動科学の発展(?)に寄与してしまったのだ。

しかし、なぜ彼らは科学に基づいたものと言い張るのだろう。
現代科学で解明できないこと、でいいと思うが。それではもう信憑性を保てないのか。
原理はわからないが、一定効能、効果が認められる技術的製品はいくらでもある。もちろん、まあ、こういう原理でうごいているような、程度はわかっている。なのになぜ彼らは量子力学によって、とか言い出すのだろう。効果を強調しないで、原理の説明ばかりに終始するのか。効用自体がない証拠ではないだろうか。

ちょっと話は変わるが、ダーウィンの進化論は欧米に比べ容易に浸透した。キリスト教社会ではサルの仲間から進化して人間になるというのは教義的受け入れられないのに対し、日本ではそのような障壁がなかったためと言われている。日本人はなんとなく、科学も信仰の一種ととらえることができるのではないだろうか。マイナスイオン教、波動科学教と置き換えてもさして代わりない。大乗教だけが仏教ではない。お釈迦様は小乗教もお教えになっていると同等に考えられないだろうか。「まあ、科学にもいろいろあっていいんじゃな~い」と日本人は許容しているのだ。自然科学がキリスト教を母胎として成立していったことを考えれば無理のない推論だと思うのだが。

大槻義彦教授が10年ほど前の著書の中で「UFOや超能力を信じるということは、反科学的な行為である、つまり、積み重ねによって何かが得られる、努力するということ自体否定しているのだはないだろうか、科学技術立国として歩んできた日本にとってゆゆしき問題である」と書いていた。文言は不正確です。この著書に書いてありました。
『超能力ははたしてあるか』
大槻先生は、これに並行して学力低下も危惧してきた。当たってないかい。マイナスイオン、血液型科学説の罪は重い。

(2005.4.29改訂)

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埼玉ディベートクラブ

埼デクこと埼玉ディベートクラブ に行って来ました。
行ったのは2週間ほど前なんだけど。
緑が丘の仲間である福地さんが主催しています。
例のディベート論題をやるというので勇んで向かったのであります。
「日本政府は出入国管理関係法令を改正し、原則すべての職種で海外からの移住労働者の雇用を認めるべきである。」

うーむ、JBDFのときはどうも消化不良で、すっきりさせたいと思ったのです。
ここは1対1を採用、しているわけではないようですが、福地さんと対戦しました。肯定:私、否定:福地さんです。
JBDFは2立式でここは1立式(時間も短い)であるので、事前に原稿を編集してはありました。でも、ちょっと考えが甘かったですね。JBDFで使ったメリットを2つとも言おうと考えていたので、現状分析を端折ってしまったのですが、それが良くなかった。よく見ると、メリットの説明の中で削れる資料がありました。

1立式と2立式では違う試合だと思え、と以前言い聞かせていたのですが、最近そんなふうに原稿を回したことがなかったので、コツをすっかり忘れていました。

プランで門戸は開くけれども、どどっーと入国してくるわけではない、というのが肯定側のポイントなのですが、それがうまく説明できていなかった。準備時間が浅いと、相手の議論の反駁は結構用意するのですが、自分たちの議論の守りが弱いというのはよくあることです。気をつけないといけません。

実は福地さんではなく、他の方がやるはずだったのですが、到着が間に合わなかったため、急遽原稿無し、で対戦してくださいました。やはりデメリットは「犯罪増加」と「経済圧迫」でした。メリットはいろいろありますが、デメリットはこの他にないような気がします。肯定側の方がやりがいがあるかな。これはJDAの優勝者もそう行っていました。

埼デク、フランクでかつ実践的な活動をしており、社会人にはいいクラブではないでしょうか。

福地さんに
「アマサイさん、近いんだからまたちょくちょく来てくださいよ」
と言われました。
もちろん、雰囲気はいい団体なのでまた行きますよ。
でも、職場は県内ですが、都心に帰る私には近くはないでげす(^_^;)


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科学と書籍を巡る雑感

なんでこんなことを書いたかというと、きっかけは、あまぞん上で物理啓蒙書に対してあほな書評が書き散らされているのを発見したからである。都筑卓司先生の本までこき下ろしているのにはびっくりである。権威に関係なく物申す、ではなく、おそらく都筑先生を知らないのだな、やつは。それ以前に明らかに、明らかに対象書物を読んでいない。話にならない。書評内容はもちろんあほなわけだが、「物理学は選ばれた優秀な奴しかわからないんだ」という考えが見え隠れしているのに頭にきた。おめえらみたいのがいるからこの国はだめになっちゃうんだ。科学技術立国を妨げている。科学は万人のものなんだ。けっ、そんなこともわかんないで大学行くんじゃねえ(なんか竹内薫師匠みたいなべらんべえ調になってしまった)。


それに関連して、
米国では"Scientific American"は通俗雑誌で専門家or科学ファンは"Science"を読んでいると聞いたことがある。たぶんこの人の本

へー、日本では日経サイエンス(SAの翻訳版だから)も結構ムズかしい雑誌と思われているのに、やはり米国はレベルが高いのか、と思ってしまった、

が、

人口がそもそも違う。比例するわけではないが、科学者層も科学ファン層も日本の1.7倍と換算していいのではないか。別に日本のレベルが低いわけじゃない。

が、

低いわけじゃないが、高いわけでもないんだなあ、これが。せめて『ニュートン』とか駅の売店で買えないと、書いていたのは森山和道さんであるが。

また、その対局として『パリティ』なんかがもうちょっとさ、一般向け、せめてエンジニアが普通に読める雑誌になると違うと思うんだよね。レベルは下げなくていい。レベルを維持して広く読まれる工夫はあると思う。そしたら値段ももう少し安くできるでしょう。1400円はちと高価。『数学セミナー』はいい線いっている。でも数学雑誌はいくらなんでも読まれないでしょう。


と、受信箱をひょいと開けてみたら、こげなものが。

■日経サイエンスDVD-ROM版記事データベース2000→2004 新発売!
  一般価格 23,100円(税込) 
  特別価格 11,550円(税込)
★日経サイエンスの定期購読者の方は特別価格でご購入いただけます。
2000年1月号から2004年12月号までの日経サイエンスの誌面5年分60冊,約6600ページをPDFファイルで1枚のDVD-ROMに収録。カラー写真や図表も含む美しい誌面を,お手元のパソコンでいつでも手軽にご利用いただけます。
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60冊分とは魅力的だなあ。


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専門書は売れていないのか。

人気blogランキングの自然科学部門に登録している。他の人のブログなんか見たりする。その中で著名な専門書の絶版を嘆いている人、復刊しようとしている人なんかがいる。物理関係だとランダウあたりが有名(名前はすごーく聞いたことあるけど実物は見ことないという意味で)。


私が勉強している国家試験なんか、基本書と呼ばれる何冊かが絶版状態なのだ。しばらくオンデマンドで出していたが、それも無くなったらしい。それも13版が出たのが、4,5年前じゃないのか。著者が亡くなって、弟子みたいな人が補訂しながら2回ぐらい出していたのだが。ひどいのは某科目で、20数年前に著者が亡くなったきり、改訂されていない。それなのに、今での最有力基本書。後を継ぐのを書く人が居ないのである。他の著書や受験機関教材を参照しながらみんな勉強しているんだが、そんなことでよいのか?この業界。


また、物理に戻るが、短小軽薄な教科書が出てきたので、重厚な専門書が圧迫を受けるのだと、その難解でない教科書をなじる人がいる(ネットのしろうと書評家のいうことだから気にすることないんだけど)。それはお門違いというべきことだろう。わかりやすい教科書が出て悪いはずがない。最近はすばらしいことに"単位が取れる本"とまで明言している。そうですよ。複素解析とか微分方程式とか量子力学なんてもっと簡単に説明できるはずだとずっーと思っていたよ。「大学は高校とは違う。自分で勉強するものだ」なんて怠慢な教師のいいわけだとずっーと思っていたよ。奴らは教育なんて考えてはいないんだ。現在、ちゃんとした大学の教員がこれらの本を書いている、書けるのが何よりの証拠だ。
(まあ、私の現役時代もこういう類の本はあったのだが、今はおおぴらになってきたということである。深刻な学力低下という現実に危機感を覚え、そうさせたんだけどね)

わかりやすい物理学、工学は時代の要請なわけだ。

ランダウが必要なら、物理学会が請け負って、オンデマンドとか、物理学科の学生分だけ出版してもらうとかいろいろ方法があると思う。そうでなかったら原書あるいは英語翻訳版(あるのか?)で読めばいいわけだし。ランダウが本当に必要だと思っている人がどのくらいいるのか。それの方が問題である。


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ゆとり教育

なんか、ゆとり教育は間違えだったってことで、文科大臣が謝ったそうな。
どういうことかさっぱり理解できない。謝ってどうするよ。
私はゆとり教育のコンセプトには反対ではない。それは教科内容減少とイコールではないはずだ。
問題は、
政治力学で学習内容が2,3年単位で変わっていいものか、
ということである。

問題は教師の質だとかコメントしているやつがいたけど、そんなの当たり前じゃん。ゆとり教育は、内容じゃなくて、教員の力量や情熱に依存しちゃっているんだから(そう明記されているはずだ)。

「近頃の先生は、、、」なんて集団的に批判するのはよくない。そりゃいいかげんな人もいるけど、教員の多くはまじめで職業意識の高い人たちだと思う。
(まあ、それはそれで別の問題があるけれど)

教師の質に言及するんなら、それも含めて教育改革だろうが。

この国は、何を目指して学校教育制度をひいているのか。
・職業人として社会に役立てる人材に、
・知恵、知識を活かして個人的に家庭的に豊か生活を送れる、
・言論の自由や平和を構成する世界市民として生きる、

どれでもいいけど、今のところどれでもないよね。
じゃあ、なんだろう。

戦後60年のしわ寄せは、これですね。

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いちゃもんと商標権3

昨日続き、日経を読んでない人は気になるでしょう。
えっ、別に気にならない?そうですか、そうですか。
でも、教えて上げましょう(^^;)

まあ、結局和解だったわけです。
そりゃ、無理でしょ。yy が W に見えるなんて。アルファベットが浸透しているこの地球上、どこへ行ってもありえない。
敵、ウイルソン社は「日本は物まねばかりする」といってヨネックスを非難する。
おやおや、自分たちがいちゃもんつけてるって認めちゃっているよ。別にヨネックスが物まねしてるわけじゃなかったのに。スケープゴートにされたわけですな。
審理の途中で判事が「私も今はヨネックス社のものを使っている」と口を挟む場面が出てくる。判事もさすがにいちゃもんだと思ったのでしょう。でも審理中にそんなこと言っていいんかい?日米貿易摩擦が起こる前だから裁判所も大らかなんですね。

ヨネックス社長米山稔氏は、この件でブランド戦略の重要性を再認識する。そして自らも他国の偽ブランドに悩まされることとなる。

* * * * * *

ところで方広寺の件だが、井沢元彦によれば、"完全なる言いがかり"だそうである。根拠として、"呪詛の疑いがあるなら、その鐘を廃棄するか、文字を削るかの何れかのはずであるが、そのまま、現在まで残っている"と述べている。
なるほど。
いや、私だって、言いかがりだってことはわかるよ。しかし、現代なら歯牙にもかけないことだが、当時は言いかがりと思いつつも、一定の説得性を持っていたと私は主張しよう。だって豊臣方は、そのために釈明の使いまで送ったのだから。

林羅山をぐぐるといろいろヒットするが、方広寺のことは全く出てこないね。やはり、彼の経歴は汚点なのか。

『逆説』12巻目もなかなかおもしろいです。人物がたくさん出てきてややこしいけど。
『逆説の日本史 12 近世暁光編 天下泰平と家康の謎』
- 謀略の天才は如何にして長期政権を構築したのか!?
bk1


おお、そろそろ商標法の復習も始めなくては。

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いちゃもんと商標権2

名称のいちゃもんと言えば、
方広寺の鐘銘を思い出した。
豊臣家が家康を呪って鐘に文字を刻みつけたと因縁をつけられたというあれである。
「国家安康」・・・「家」と「安」を分ける、家康を射る。
「君臣豊楽」・・・豊臣家が栄える
詳しくはこちら
http://y-hyouma.hp.infoseek.co.jp/history/houkouji.html

現代的感覚から言えば、言いがかりだが、当時も100%そうだったのだろうか。当時は「言霊」思想がもっと前面に出ていた。↑のHPに依れば、家康は林羅山が学問的に裏付けている。「わしが言うとるんと違うんよ、偉い学者が言うとるのよ」権威付けするためとも考えられるが、一応その当時の知識人が証言しているのだから、荒唐無稽な攻撃ではないではないか。そもそも豊臣家、もっと気を付けるべきではなかった。彼らは国家継承権は豊臣家にあると錯覚していて家康への警戒心を怠っていたのだ。家康は秀吉が亡くなった時点で政権はほぼ初期化状態と認識している。だからこそ、白紙のうちに自分のシステムモジュールを手早く書き込んでいった。部下の引き締め、中庸の位置にいた藩主との裏取引と同列に「言霊戦略」をかけたとした方が自然ではないか。おお、これこそブランド戦略!?

井沢元彦の『逆説の日本史12』にこのあたりのこと書いていないだろうか。
(井沢元彦で検索すると200冊以上出るんですけど、こんなに自分で書いてるんですか>井沢センセ)

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いちゃもんと商標権

今日経の『私の履歴書』に掲載されているのはテニス用品会社の社長。終戦直後に創設した会社がどのようにスポーツ用品を製造するようになったか、なかなか興味深い(戦後復興期にいきなりラケットは作らないでしょう、ふつう)。
今日は商標権のことが書かれていた。
この会社の「yy」のロゴが相手方の「W」のロゴの商標権を侵害しているというのだ。30年も前のことだから、知的財産の意識も低いので無理もないと思うが、

これはいちゃんもんだろうが!

この社長はそこをちゃんと気づき、訴訟を受けて立つ決意をする。続きは明日の朝刊。

商標って一目でわかるから素人でもいちゃもんをつけることができる。名前だかんね~。それに同じ業界だと使う言葉も似通ってきちゃう。このあたりは特許権よりも過酷な競争だ。電気的な機能は、別の方法が考えられ得るが(つまり回避する術がある)、キャッチーな名称は、売上げに即結びつくので代え難いものだ。(レベルにも依るが)取り敢えずいちゃもんでもつけとかないと後々、悔やむことにもなる、かもしれない。

近年の商標問題は、こんなの権利が取れんの?と誰しも思うところである。
http://www.patentsalon.com/topics/trademark/index.html
商品もサービスも存在しないのに商標だけ申請するというのは、商標法の悪用であろう。ドメインの取得、ブランド戦略にも繋がる商標関連ニュースはこれからも目が離せない。

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宇宙はどうして生まれたか

今日はとある秘密結社に参加。
秘密結社なので、どこの何とは言えない。

正規のミーティング終了後、場所を移して第2部を開催。
世間では飲み会という。

その中で、宇宙はいつ始まったか、という話で盛り上がる。
「宇宙は子供の夏休みの宿題である」説が注目を浴びる。
学○の工作シリーズのようなもので、子供がそれを組み立てたものの一つが私たちの住んでいる宇宙である」というものである。

では、その学○の工作部材はどこから入手できるのか。
その子供は神に置き換えられるのか。
宿題を出した先生は、その宇宙を統括するなにかなのか。
という疑問が噴出する。

物理系の人あり、数学系の人あり、生理学系の人あり、非理系の人あり、
皆がいろんな意見を言っていておもしろかった。

私はほぼ聞き手側であり、ときどき聞きかじった宇宙論をぽつぽつ言うだけである。
理系と言っても私のようにエンジニアリング畑の人はそんな感じじゃないかな。
宇宙がどうあろうとあんまし関係ない。
偏屈な言い方をすれば、自分で設計した回路やシステムが一番身近な宇宙であって、そこにおいては神様、みたいな感じ?!
これがまた、思い通りにいかない神様であって、
こう動くつもりがどうもうまくいかない、試行錯誤の連続。
まあ、ほんとの神様がいれば、こんなふうに悪戦苦闘してるんじゃないかな、と思っている。

グローバリズムなんて単なるバグか、ウイルスの一種でしょう。

神様が、意図的に
ある構成要素が他の構成要素を破壊するプログラムなんてつくるわけないから。

ちなみに私は仏法者であるので、宇宙は無始無終、生命は輪廻、生死を繰り返しているという論を採用しています。

尚、上記の話はその筋の専門家が中心となって話していたので、単なる与太話とはちゃいます。専門的な与太話か?

-----
○参考文献
 竹内薫著
『よくわかる最新宇宙論の基本と仕組み』
bk1

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科学者の責務

日経新聞の「私の履歴書」を愛読している。
日経は仕事上仕方なくとっているだけで、欠かさず読んでいるのはここだけである。

今は免疫学者の石坂公成氏である。
学者の話なんかおもしろいことはないのだが、石坂さんのお話は毎回楽しみである。主に米国で研究活動をしていたせいであろうか。
昨日は、「科学の将来を守る責務」いう題字が大きく出ていた。
(会社においてきてしまったの以下の引用はあやふや)

石坂さんは米国大学の免疫部門の責任者となる。
そこでの仕事の一つは、政府から受ける研究費の割り振りのための論文の審査である。各領域の一流の研究者が行うものである。
それに、かなりの時間、年に4ヶ月、をとられる。しかもそれで先生方にお金が入ってくるわけではない。しかし、彼らは真剣にその審査を行う。
石坂さんは言う。
「私たちがなぜこの仕事をやっているかといえば、自分たちの力で科学の将来を守ろうとする意図と責任の現れであろう。日本ではこのようなシステムはない。日本の科学者は自分の研究には熱心だが、将来は誰かが決めてくれると思っているようである」

未来を人にゆだねない、それこそ科学者の責務だというのだ。

この連載では、日米の対比が毎回出てくる。
本日の記事も、奥さんの照子さんが米国で教授になるが、日本では京都大学で「医学部では女性の教授の前例はない」と見送られるという例が紹介されている。
日本にしては自由闊達である、と言われている、大学でさえそうなのだ。

日本の科学者たちは、科学とか日本の未来なんか何も考えてないのではないか。

その、最たるものが、
こ く さ い ぶ つ り ね ん だ よ !
日本物理学会、なにか宣伝しなさい。

物理学者だけのたこつぼに安穏としてどうするよ。

アメリカ好きではないだが、石坂さんや中村修二さんの話を聞くと、
やはり日本では基礎科学の発展はいささか厳しい
と思ってしまう。

技術者、科学者の倫理は近頃よく言及されるが、
それ以前に未来への責務があることを自覚してもらいたいものだ。

(日経の引用は後日正しく書き直します)
だいたい、合ってましたが、引用を紙面記載のものにしました。
(2005.3.28)


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物理と化学

ところで、
眞鍋くんが科学番組のMCをしていることに関連して、

再び国際物理年について、

これが国際化学年だったら盛り上がり全然違うと思うんだよね。
化学系の人の方が啓蒙に熱心だから、明らかに。
今時、難しいことが美徳だと思っているのは、理論物理学と一部の数学の人たちだけなんとちがうかな。まあ、ガクモンの中でも極めて難解なコンテンツを扱っていると思いますけれど。

例えばさ、『月刊化学』なんか見てみぃ、化学に関係ない人でも読んでもらおうという意思が見えるよね。
どれ、とは言わないけど、物理雑誌、ってそんなこと全く考えてない、ないと思うよ。

そんなフレンドリー化学界だが、
『日本はなぜノーベル化学賞につよいのか!?』(著:吉田 八束、編集:レディバード編集部)
は言い過ぎだろう(^_^;)
近年、3つ取ったくらいで。まあ、編集者がつけた題名だと思うが。

-田中耕一さんに学ぶ勉強法・思考法、日本の化学・科学の過去未来-
って田中さんの伝記を書きたかっただけでしょう。
AmazonJP
bk1

また、こんなのをつくっちゃうのも化学系のおもろいところ。
元素占い

私は
【ロジウム Rhodium】
だそうだ。
知らないっちゅーの。そんな元素!!

【あなたと相性のいい異性は [元素記号 ( 元素名, 原子番号 )]】
・Fm ( フェルミウム, 100 )
・Hs ( ハッシウム, 108 )
・O ( 酸素, 8 )
・Sn ( スズ, 50 )
・Cu ( 銅, 29 )
ますますわからん。(-_-;)

対抗して素粒子占いとか作ってみたら?>物理屋さん

(2005.3.25追加情報)
掲示板でKimballさんから情報提供いただきました。
あるそうです。
素粒子占い
http://home.interlink.or.jp/~tsark/sci/elepar.htm

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「つぶしがきく」

つぶしがきく、懐かしい言葉である。

私が進学の際、工学部を選んだのも、そういうことである(言葉は中高生のとき知らなかった、使いこなしていなかったので、「食っていける」とか「手に職」とかという概念だった)。

二人のミュージシャンがこの言葉を使っていたのを今も覚えている。

一人はギタリストの高中正義。
細部は忘れたが、「(アメリカ進出は考えないのかという質問に対して)今更手弁当でアメリカへっていう気にはならない」とか答えているインタービューである。なんか進学か音楽かって迷っていたときのことかなあ。進学すれば、つぶしがきくけれど自分は、っていう内容だった気がする。

二人目は元オフコースの小田和正。
知る人ぞ知る、知らない人は知らない(当たり前)。小田さんは早稲田修士建築専攻なのだ。だから「(音楽をやりながら院に入ったというのは)音楽でやっていく自信はあった。でも、あと2年やれば修士様、なわけだからつぶしを作っておきたかったってことかな」という主旨の発言をしていたはずだ。

だから、私にとって「つぶしがきく」とは単に「手に職」だけではなくて、メインでやりたいことがあるが、食いつなぐための保険という意味を持っている。

ついぞ聞かなくなったが、最近の若い衆は、つぶしなんかなくても生きていけるということなのだろうか。


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単位認定試験

放送大学大学院『地球環境科学』の試験です。受けてきました。たぶん、合格はするでしょう(落ちたら本部に火つけちゃる。冗談です)。

またもや、次の文章の感想または批評を述べよ、というものでした。
2問あり、"人は俯瞰的あるいは総合的扱いに慣れておらず、なんたらかたら、"の方を選びました。

主任講師の濱田隆士先生の意図は、学術論文を書くための論理性が身についているかを問う、ということだと思いますね。でも、どう書いたら「A」がとれるんでしょう。印刷教材読んでこなくても、何かしら書けてしまうし。

前回とは違う)いい先生に答案をみてもらえますように。

こんな具合に、ここ、1,2年は1学期1教科ペースで受講しようと思います。他の生活の兼ね合いがあるので、これだけでもたいへん。

次学期は、このまま環境科学系をとるか総合情報学をとるか迷ってます。

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"科学"と"学習"

モギケーンの日記で思い出した。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/11/post_46.html
(某掲示板では勝手にスーパーオヤジマン3号と呼んでいる)
(^。^)

小学校高学年のとき、区の科学クラブなるものがあった。
学校のクラブ活動じゃなくて、1校につき2,3名が募集され、何校かが集まって課外活動をするというものである。初めは理科専任教員の実験概論みたいなクラスがあって各自実験計画を立てて半年に渡って研究を行い、年度末に発表するというものである。全区大会みたいのもあって、多分、全都、全国大会みたいのもあったんでしょうね。そういうレベルじゃないから知らないけど。

なんかこう書いてるとスーパーサイエンススクールみたいだよね。小学生なのにすごいよねって思うでしょ。でも集まってるのが私程度ガキだからお遊びですよ。

私は「ゴムの研究」というのをした。子供のころから物質に興味があったんですな。身近にある、スーパーボールとか、輪ゴムとか、破棄処分の運動靴なんかを素材にした。酸性液体につけたり、引っ張って強度を測ったりした。もうここまで書いてネタバレだが、実験サンプルの形状とか重さとか全然揃っていない。圧縮機とか形成機とかはもちろんないわけだから、本来実験にならないものなんである。いくら小学生のやることとはいえ、よくこんなものが認められたものである。ちゃんと、指導しろよな、教員たちよ。こういう場合、植物や天体・気象観測なんかがよいでしょうね。小学生でもなかなかのものができるはず。

私は理科(物理・化学系のみ、植物とか動物は嫌い、地道を旨とする観測も嫌い)が好きだったんで、この応募を聞いたとき、すぐやりたいと思った。担任の教師はちょっと怪訝そうな顔をしていた(自分のお気に入りの生徒を推薦したかったみたい)。おとなしいというよりは自閉気味、授業中もぼんやりしていることが多く忘れ物ばかりする間抜けなお子様だったからだ。まあ、積極的なことはよいことだとその担任は思ったのでしょう。私の主張はすぐさま受理された。そんな奇特な子は私だけだったらしく、他のクラスや学校はこの応募人数を満たすのに苦労していたみたいだ。中には中学受験で心証がよくなるからやっておきなさいと暗に言われた子もいるらしい。

科学学習とはとてもいえないけれど、この体験はとてもよいものだった。あとから、中学高校に入ってから、ああ、あのときこうすればよかったんだと思うことが多い。物質研究するには原子・分子の概念が必要だし、文献である程度背景を知ることも欠かせない。また、別に科学者ではないので、自分の知っている範囲の事柄から探って何か発見をするという行為も重要である。半年とか1年の短期間においては、結果がある程度予測可能なことに挑戦するべきなのである。といったことである。

学習というのはある期間内にある事柄を習得することである。それは間違いない。でも、そのときわからなくても、後でわかるということもあるのだ。タイムラグ学習・熟成学習とでも呼ぼう。例えば、漢詩の丸暗記なんて役に立つとはとうてい思えない。特に現代は意味の分からないことを暗記させるのを嫌う。でも、暗記しようとしたこと、僅かでも残留した記憶が何れその人の人間形成に影響をもたらすのである。学校教育はいつもタイムラグ・熟成を見逃してしてまい、予測できない、配慮できないのでうまくいかないんではないだろうか。

なーんちゃって。

今日は教育評論家モードのわたくしでした。

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某コンピュータ関連試験

この前、過去問買った試験今日でした。

>泣くに泣けない。
泣くかもしれん(;_;)。
年々難しくなってないか。
そんな合格率が低い試験じゃないのだが。
どうやって勉強している>学生。

必ず考えさせる問題が出るのは好ましい。
でも、私には必要ないし。
前日、当日にやったとこ、
二値化、平滑/エッジフィルタ、マッチングとか
が出たのはよかったけれど、合ってるかなあ。
範囲が広すぎるずら。
テキストは専門書3種ぐらい分くらいあるよ。
画像処理、っていうけど、三次元のことも結構出るのさ。
まあ、勉強するって点ではなかなかよい試験である。
>知財検定なんかより、分野違うけど。

でも、いいかげん受かりたい。

帰りはデリカHatifukuでリラックス。

============================
私信:
わかちゃん、なつみちゃん、おめでとう。
これから一緒にがんばっていこうね。

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知財検定

受けてきました2級。
先に書いたように、これようの勉強は一応しました。なんとなく。
うーむ、ある意味難しかった。なんだか瞬発力を試す試験かい。
これをきっかけに知財を学ぶことは価値があるが、試験自体はどうだろう。

ほとんど事例問題である。
実務家としては、当社の開発技術はどのようなもので、相手企業はうちとどの程度のつき合いなのか、とかいうことを考えてしまう。
それはちょっと考えすぎだが、状況説明4行くらい書いてあって、次のうちもっとも適当なものを選べ、って安直すぎやしないだろうか。そういうのもあるってならいいけど、そればっかりなんだよ。

傾向と対策本はすぐつくれそう、である。

こげな本でファーストフード屋さんで勉強してました。20041115.jpg

知財関係者って相変わらずえらそーだな、ってのが感想。

・問題冊子持ち帰り禁止。
 →試験のノウハウ(?)を開かしたくないのでしょう。以前の弁理士試験のごとく。

・受験要項が不親切
 地図が正確じゃない。正門とやらが記載されているからそこへ行ってたら、