『科学史の時代』に(3)
何か回顧録のような匂いがするが(^_^;)。まあ、私のブログを読んで下さっている方には楽しんでいただけるでしょう。
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伊藤笏康先生のこと
伊藤先生と出会ったことは、私の人生の大きな財産となった。
今そう思っているし、今後何十年生きてもそう思うことだろう。
放送大学には、面接授業と言って、他の通信制の大学のスクーリングのようなものがある。もちろん、伊藤先生が担当になられたものをイの一番に取った。早く教室について前の席を陣取った。
私はそのころ、大学での哲学の勉強をし始めたばかりだったので、講談社新書の哲学事典を持ち歩いて、先生の授業にも机の上のおいていた。そして、先生が何か哲学用語を使われるとその事典をひいた。
休み時間に先生が「私の言ったことは合っていましたか?(事典通りでしたか)」と声をかけられた。私は先生を不機嫌にしたのかと思って、あわてて、そういうつもりではなく、自分の勉強のためにそうしています、と答えた。
「そうですね、それはとてもいい勉強法ですね」
と言ってくださった。
それから、先生が参加される授業や行事などには必ず参加し、お話しするようにした。
まだ私は科学哲学自体はあんまり知らなくて、科学理論の哲学的解釈のように思っていた。実験的方法を用いないで、科学を学ぶ方法みたいに思っていた(かなり勘違いなわけだが)。
だから、そのころ興味を持ったハイゼンベルグに関して何かやりたいと思っていた。
「卒論のテーマなんですけど、ハイゼンベルグの科学的業績と哲学的業績をまとめてみたいんですが」
「うーん、それは量子論の観測問題ですか?」
観測問題が哲学的テーマということは知っていたが、そんなものが学部生の論文になるのかどうかも判断つかなかった。
「ええ、まあ、そうな感じです」
「あんまりお勧めしないなあ。アマサイさんはハイゼンベルグがお好きなようだけれど、彼は哲学的な発言はそんな深いものじゃありませんよ。まあ、言ってみれば、となりの隠居オヤジの雑談のようなものです」
「そうですか。。。」
「何か、哲学者の作品を1つ自分なりに解析するというのを僕は勧めています。今勉強している中で気になる作品とかはないですか」
「えーと、トーマス・クーンの『科学革命の構造』を前からきちんと読みたいと考えているんですが」
「クーンですか。それはいいですね。それなら僕も自信を持って指導できますよ」
というわけで、私の卒論は『科学革命の構造』になった。