経営学なんて、(社会)科学と違う。二流のガクモンだ。せめて社会哲学って名前を変えろ、と恐いもの知らず発言をしているアマサイである。
といいながら、こげな本は買ってしまうのである。
●中野明『ポケット図解 ジェフリー・ムーアの「キャズム理論」がわかる本』
●中野明『ポケット図解 クレイトン・クリステンセンの「破壊的イノベーション論」がわかる本 』

経営学を専門としない者にはこのような要約書は便利である。やはり、原著訳書は読まなくても一応こういう説のストーリーを知っておいて方が断然便利である。
ムーアって、ムーアの法則の人?なんて言ったら恥ずかしいのである。
で、アマサイは、これらの本を読んでやっと経営学の意義がわかった。このような説を物理学理論と対比するからいかんのである。物理理論はその理論で全ての事象の説明がつく。そうでなければ、理論とか法則と呼ばない。
しかし、社会科学では違う。いつかの典型的事象がその説によって説明できればよいのである。大事なのはこれら事象に整合性があることなのだ。ハイテク産業の全てに当てはまる必然性はない。破壊的イノベーションの場合、ハードディスク、ノートパソコンあたりに適用できれば十分なのである。これらは、現代ハイテクの代表格と言ってもよいし、それを誰も疑わない。(例えば)いや、コンピュータゲーム機には当てはまらないじゃないか、という反論があったとしてもそれで、本説を覆したことにはならない。これが反対にゲーム機であるとか、マニアックな製品のみ、例えば、そうだなあ、つり具?ハイテクじゃないけど(^^;)、で支持できても認めることはできない。
経営学の事例は、サンプリングが非常に重要だ。
あまり、うまい例えではないけれど、ニュートン力学で当てはまることだけを扱い、量子力学の領域は無視する、といった感じである。もう、ニュートンですべて済ます。量子論も相対論も必要ない。その理論で構築できる世界観を示せばよいのである。
で、その理論が適応できない事例がどんどん生まれたら、どうするのか。その理論を捨てるのである。物理学のように、ニュートンの領域とアインシュタインの領域と区切る必要はない。それがおそらく経営学、社会科学の発展というものだろう。
実質的には、旧理論を完全に捨ててしまうことはなくて、新理論と並行して語られるのだと思う。今までの、経済学・経営学から逸脱した、全く別物が生まれるわけでもないからだ。
と考えが至ったらなんだかすっきりしました。
◆キャズム@ITマネージメント情報用語辞典
普及学の基礎理論として知られるエベレット・M・ロジャーズ(Everett M. Rogers)のモデルでは、顧客は「イノベーター」「アーリーアダプター」「アーリーマジョリティ」「レイトマジョリティ」「ラガード」の5つの採用者タイプに区分される。この理論ではイノベーターとアーリーアダプターを合わせた層に普及した段階(普及率16%超)で、新技術や新流行は急激に拡がっていくとしている。そこで、イノベーターとアーリーアダプターにアピールすることが新製品普及のポイントであるとされてきた。
これに対してムーアは、利用者の行動様式に変化を強いるハイテク製品においては、5つの採用者区分の間にクラック(断絶)があると主張した。その中でも特にアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間には「深く大きな溝」があるとし、これをキャズムと呼んだ。
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◆破壊的イノベーション@ITマネージメント情報用語辞典
クリステンセンは、特に繰り返し業界リーダーが入れ替わったHDD業界を取り上げ、この現象を説明している。1980年代の8インチドライブから5.25インチドライブへのアーキテクチャの移行についていえば、1981年の時点で8インチドライブの容量は60MBであるのに対して、5.25インチドライブの容量は10MBしかなかった。8インチドライブの主要顧客であるミニコンメーカーにとって、5.25インチドライブの記憶容量は性能的に不足していたのである。しかし、別市場(このときはデスクトップPC市場)で5.25インチドライブは受け入れられ、その結果として5.25インチドライブの継続的な技術改良が始まり、数年のうちに主要指標でも8インチドライブの性能を凌駕(りょうが)し、8インチドライブ市場は縮小することになった。
すなわち「破壊的イノベーション」とは、狭義には一時的に主要性能を下げながら異なる価値を提供する“技術イノベーション”をいうが、広義には別市場で根付いた後に持続的な改良によって性能向上を果たし、既存の主要市場をも浸食してしまう“産業イノベーション”のモデルを意味している
要するにクリステンセンはシュンペーターのイノベーション理論を現代産業に適用しただけなんだよね。良い仕事してますね、とは思うけど。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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少年犯罪者の実名報道。ディベート定番論題です。
こげな馬鹿者がいる限り、この先のディベータブルな論題としてまだまだ生き続けますね。
光母子殺害実名ルポ本、元少年側が差し止め仮処分申請
著者の増田美智子さんは、「元少年を一人の人間として描くためには実名報道が必要だと考えており、本人も了解していた。弁護団は取材申し込みに応じなかったのに、出版が決まったら原稿を見せるよう求めてきており、仮処分の申請に対しては戦う」と話した。
はっ?意味がわかりません。別の記事では「実名を出さないと彼がモンスターとして扱われる」と書いてありました。いや、彼の行為がモンスター的なのであって、名前は関係ないでしょ。名前には何の情報性もないです。いや、あるか。彼の親族が分かってしまいますね。この増田氏より数倍お馬鹿さんがたくさんいますから、そういう親族を攻撃する輩もいるでしょう。その意味で情報性はありますが、彼がどうして犯罪に至ったのか、同等の犯罪を防ぐにはどうしたらいいか、というヒントにはなりません。当たり前です。子供にもわかります。
過去の犯罪をジャーナリストが書き記すのは、今後のためです。実名という「事実」を書くことじゃないですよ。そもそも法律違反だろ。日本で仕事しているなら、法律を遵守しろ。
もし、彼が「実名を出してよい」と言ったなら、そんなことはできない、というのが「大人」じゃないですか。本人が言ったからって、子供の使いか?
( ̄▽ ̄;)
まあ、そういう「子供」だからの少年の彼とウマが合ったのでしょうね。
どうであれ、原稿を見せろと言った弁護団は正常だと思いますけどね。
なんだか、この人、某自称科学ジャーナリストさんと同じ匂いがする。
(^_^;)
実名じゃないと本にできないという辺り。
厳重に処分していただきたいです。
追記1
「元少年実名本」の驚く中身@週刊朝日
「著者は一橋大学職員の増田美智子氏(28)。著書は、増田氏が昨年8月4日から今年8月7日まで25回にわたり元少年と接見した際のやりとりを中心に、元少年の父親や同級生らを取材した内容を紹介している。このほかに、元少年の中学の卒業アルバムからとった顔写真まで掲載している。
実名や写真を掲載した理由について、増田氏は著書の中で、
〈匿名報道がA君の人格を理解することを妨げていると思うからだ。名前や顔写真が出ないことで、ひとりのAとは違う、いわばモンスターのようなイメージがふくらみ、それが死刑を望む世論を形成しているのではないか〉」
追記2
ディベートでよく行われているのは、実名報道原則禁止、つまり、犯罪報道などは、被害者、容疑者、加害者、全て匿名性で行うものです。これはスウェーデンで実例があり、市民団体がマスコミ報道をチェックします。実名記載を報道の自由とか言っている後進国には、あり得ないことでしょうな。
@@@(-o-)y~~~ プハーッ
この作者の単なる売名行為以外なにがあるというのか。人気ブログランキングぷちっとな。【押す】≪コメントはここ≫
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アマサイはイタメシ屋サイゼリヤが大好きです。
安いし、うまい。
安いといってもいろいろ頼むと1000円超えちゃう。でも、他のチェーンレストランの半額以下だと思いますが、
そのサイゼリア会長の正垣泰彦さんが「カンブリア宮殿」に出ていたから見たよ。
なんか他のテレビ番組に出ていたから、理科大出身、アルバイトをしていたレストランを引き継いで、そのまま飲食業界に入ったのは知っていたよ。だから、理系経営者って言われるけど、元々頭がよくて努力家だから成功したのであって、あんまり理系は関係ないと思うな。
その当時、料理がうまいのに全然客が来ない、思い切って、7割引きまで安くしたら、店の前に長蛇の列。
正垣「7割まで引き下げるとお客が来るんですよ」
村上「でも、儲けとかないですよね」
正垣「うん、無い。でもお客さんが来ることがうれしかった。それで、一店間に合わないから近所に同じ店作ったの」
村上「これから、お店開く人が、7割引きにしたら、ダメですよね、失敗しますよね」
正垣「いや、いいんじゃないの。みんな7割引にしたら、どこも安くなって、日本中が喜ぶよ」
村上「・・・」
いや、誰しも、どこまで広げたら利益上昇カーブになったか、聞きたいと思うのだが。
(^_^;)
草創期の店員は、給料もらっていなかったっていうから。
5割下げても客が来ない時点で普通、店閉じるけどね。
ファミレスなんかでは、工場で半調理して、店舗で加熱調理するっていいますけどね。ロイヤルホストなんかは、調理場にコック帽付けて人がうろちょろしているけど、あれは伊達?
サイゼリアは、農場から効率化をはかって、レタスなんかはもぎ取った時点で、いらない部分を捨て、冷蔵コンテナに入れて工場に運ぶ、それからお店に行ってお客さんの口に入るまで、4℃に保つのだそうだ。4℃の水が一番重く?その水で洗えば、養分が抜けないのだそうだ。裏付けはなんだか、なんだかだけど、低温保存は良いような気がするし、零下だと植物細胞に悪影響があるような気がする。
( ̄▽ ̄)気がする、が多すぎ。
まあ、サイゼリアおいしいし。
大きさが1mで四角いレタスができないか、目下研究中であるそうです。やっぱり、そういう発想は理系かなあ。
鉄道は自由席、飛行機はエコノミーで移動する。
村上「全部、エコノミーなんですか、なんでファーストクラスに乗らないんですか」
正垣「それで何か問題があるの?」
村上龍、この質問のとき正垣さんがちょっと恐かったそうです。
「だってさ、年商800億円の会社の会長だったら、普通、ファーストクラスだよね?!」
と番組が終わっても言ってました。
いや、エコノミーでいいとおっしゃっているんだから、別にいいと思うが。
君がこだわりすぎだよ、村上くん。
(アマサイは以前銭湯に通っていて、それを話したら、友達が「それって、アマサイさんのポリシー?」とか聞かれた。いや、別に、部屋に風呂がないだけでだし、幼少のときから、銭湯通いで、回りもそうだったから何とも思わないんですが。それが何か?)
いろいろ事件・事故はありますが、めげることなく、これからもうまくて安い料理を我々に供給してくだされ
( ̄▽ ̄)v
日本人でよかった。だってイタリア人もサイゼリヤがおいしいていうんだよ。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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ルビコンの決断:青色発光ダイオードを作った男・中村修二
中村修二さん、ついにテレビドラマの主人公となったか。
松村雄基の、不良学生を演じていた厳つい、二枚目というにはちょっと外れている顔立ちが、中村さんの反骨精神を表現しています。
まあ、ほぼ事実どおりだと思うけど。
(もちろん、細部は当事者しかしらないわけだけど)
日亜の小川創業社長は梅宮辰夫みたいな豪快な人だったのかな、という気はする。
来週出てくる升永弁護士役の寺田農は本人の印象そのままです。
ノーベル賞は取れないと思うけど、
日本の偉人として歴史には残ると思います。
(本人が出演して言っていたように、ノーベル賞は理論重視だから物づくりはあまり評価しないということです。発光ダイオードは一応あったわけだからね。大きな発明だけど、改良という範疇ではないかとアマサイも思うであります)
おかげで、特許制度、職務発明という概念も流布してくれました。
知財人としてありがたい行為であります。
日本の産業界、科学界はどうして中村さんから学ばないかねえ。
科学技術を進歩されるのは人間の志であるよ。
心を鍛えないと日本の未来はないのだよ。
そんなこと、政府や企業ではできないって?
ってかさ、なんだか、お国がやっていることは、創造性を阻むことばかりだよ。
研究所というハコモノ作ったり、意味もなく、博士を増やしたり、
なぜ、人材育成どまんなかを考えないかなあ。
ほんとに優秀な人は海外に流出してしまうよ。
がんばれニッポン。オリンピックじゃなくて、技術、教育だ。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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戸田さんの名前が検索上位になっていたのは、『笑っていいとも』に出ていたからなんだね。
リチャード・ギアつれて。これも彼女の心遣いだと思うよ。
私の話なんか若い人は面白くないだろう。映画俳優連れて行った方が喜ばれる。
いや、単に『HACHI』のキャンペーンなのかな(^^;)。
で、前回の続きだけど、
文学作品の映画化で字幕によって損なわれる場合がある、というなら、やはり、オリジナル言語で聞け、ということになると思う。
先の批判にはこのように述べている。
だから理屈をこねながら「韋駄天」などという言葉を使っているのではないか? 誰もこの言葉が「現代向け」とは思わないだろう? こんな言葉を使うくらいなら「ストライダー」のままのほうがまだずっとましだ。大体「若い人には判らない」ことを覚悟しているなら、「馳夫」で何故いけない? それに、字幕にルビが付けられるなら、何故"「馳夫」という名が読めるかどうか"心配する必要がある?
語るに落ちた、とはこのことである。
映画は映画本体で楽しむべきなのに、なぜ、原作「翻訳本」の訳語にこだわるのだろう。
※批判者は「読み」を間違った解釈、狭義な解釈をしている。ここでは、ルビの問題ではなく、「馳夫」が、この物語の意味ある人名であるところ(翻訳で用いられた)訳語である、ということが観衆に瞬時に理解でない、ということなのだ。高速ランナーをそう呼ぶことがままあるのか、あだ名のか、判別できない。私も翻訳者であったなら、「馳夫」は使わないだろう。ストライダーなんてのは、おまぬけさんでしょう。韋駄天は妥当である。
必ず聞く言葉がある「そんなに字幕が嫌なら英語で見ろ」と。当たり前だ。極端なことを言えば、原作をヨレヨレになるほど何十回も読んでいるファンならば、それこそ台詞が一言も入っていなくても全部話を理解できる。だが私はこの日本語字幕署名運動に協力した。(中略)そして次は他の観客のために。この映画を見る全員が、この映画の本来の意味、正しい物語を知っているわけではない。そういった人々が「映画字幕」のせいで物語を誤解し、駄作だと勘違いしてしまう。これは勿体なさ過ぎるではないか。戸田奈津子の字幕のためだけに。
映像から原作の雰囲気を感じ取ってほしい、それは当たり前だ。
しかし、感じ取られるようにせねばならない、
これは反則だ。
文章、あるいは漫画の原作と映像化とは異なるものと、考えるのが、「鉄則」だ。それではあまりにあまりなので、どれだけ、どこの部分をくみ取るかということだ。
『指輪物語』は名称、言語が重要なアイテムである。
じゃあ、映像化時点で、損なわれてるじゃないか。
戸田奈津子氏はこれらの抗議活動については、「そういう事が起こっているのは知っているが、自分はインターネットをやらないので何を言われているかは判らない」と雑誌の取材に対して答えている。(中略)この翻訳問題には必ずついてまわる誤解、「マニアが小うるさく騒いでいるだけ」「字幕の制約を理解せず表面的なことだけを言っている」があるが、
戸田さんはインターネットをやらないという「信念」を貫くべきだろう。どの作品にも、熱烈なファンがおり、それは、心のそこでは映像化をよく思わないものだ。字幕という脆いインターフェースをつつくのは誰にでもできる。
憎むべきとしたら、戸田さんを採用した配給会社だ。
個人攻撃は、そのような文学作品を好む人たちにはフェアな行動なんだろうか。
戸田さんレベルをこき下ろすのは、天につばするものだ。
そのうち、誰も有名作品の字幕翻訳をしなくなってしまうだろう。
しかし、この批判者、字幕翻訳の特殊性を全然わかってないな。
----------------
戸田さんは、ラブロマンスや叙情的な作品の字幕を得意とする。
この言葉は、日本の同じ世代が言うというどのように置き換えられるのか。
それについて、たいへん勉強されている。
そのうまさ、批判者に言わせると演出、が戸田字幕の需要を高めている。
----------------
解釈を入れないで、翻訳ができるものなら、やってほしい。
それは不可能だということがわかるだろう。
これは、実は字幕だけの問題、文学作品だけの問題ではない。
有名ば学術書、啓蒙書、では必ずと言っていいほど出てくる。
違うことを言っているようだが、同じなのだ。
翻訳者は解釈していけない、という。
中山茂HP:翻訳論:クーンの翻訳について
中山先生の訳でなかったら(例えばM上Y一郎さんとか)、ここまで、『科学革命の構造』は、読まれなかったろう。
●まとめ:アマサイの言いたいこと
・字幕翻訳は、映画画面に字を映し、それを音声で意味を取ったかのように、瞬時に理解されなくてはならない。
・その訳語は、現代劇なら今日的な言葉で、100年以上前であったら、その時代に使われたであろう言葉で、現代人が理解しうる範疇の置き換えなくてはいけない。
・字幕翻訳には、時代背景や当該専門分野を調べる時間はほとんどない。
・字幕翻訳は、映画の分野別に専門翻訳を請け負うシステムにはなっていない。
・字幕翻訳は、その原作翻訳本をひもとく必然性はあまりない。
原作→翻訳
↓
映像化
↑
ここに字幕をつけるから。
・字幕に限らず、解釈を入れないで翻訳はできない。
字幕翻訳はもっと単価を上げて、もう少し人材を募るべきだとは思うけれど。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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グーグルのヒットワード上位に戸田奈津子さんの名があった。
すわっ、ご病気でもされたのか、とあせった。
どうやら、誤訳問題のようだ。
でもなぜ今のタイミングで出るのだろう。
『指輪物語』の件はとみに有名なようだ。
「字数とか表示時間の問題ではない、戸田はわかりやすく訳す、ということから逸脱して「演出」をしているのだ。」
ふーむ、それはいかんだろうと確かに思う。
「字幕翻訳者は、黒子だろ、余計なことはするな。」
ふーむ、それはそうだ。字幕に限らず、翻訳者は原作を損ねることがあってはならない。
が、しかしである。
それを戸田さん個人「のみ」を責めるのはまずいんではないか。
小説『指輪物語』の原作者トールキンは言語学者であり、英文学の教授なのだそうだ。故に原作は言語学・文学の知識を駆使することでしか成立しえない内容である。外国語への翻訳に関してもトールキンが厳しい制約を課している。
日本語訳に関しても、その縛りがあるのだが、
72年の瀬田貞二氏の訳、瀬田訳に基づいた92年の田中明子氏の新訳でやっとトールキンの思想を網羅しているといえる。
(アマサイは、読んだことないので、全部先のURLの受け売り)
で、映画化。監督ピーター・ジャクソンは、トールキンの思想を理解した上で映画作成にあたった。
そんで、多くの国が、吹き替えを好むのに対し、日本人は、字幕が好きなんだねえ。
でさ、その原作につけた縛りを映画の字幕に求めるって酷じゃないのか。
求めてもいい。でも、日本の映画配給会社は、そのような事態に対処できないでしょう。最近は聞かなくなったが、日米英、同時上映とかあるじゃん。
配給会社としては、原制作国の封切り日と極力かけ離れない時期に放映したいんだよね。
だから、戸田さんは大型劇場にかかる映画の字幕の大半を請け負っている。
年40本くらい訳しているらしいよ。
監修の反映や訳語の討議なんてしている間ないでしょう。
まして、原作本があるものは事前に読むとかって、字幕翻訳者は神様じゃないよ。
年間数十本もやる翻訳者にとっては、one of themでしょう。手抜きとかじゃなくて、そこまでは要求するのは無理だ。
うん、先の批判文によれば戸田さんは、何回か「その訳語では、観客にはわからない」という理由で監修者の言葉を退けたと。
私がその原作のファンだった怒るだろう。
でも、字幕を引き受けたのは、映画『ロード・オブ・リング』であって、原作『指輪物語』の映像化ではない、というかそう言う認識はないんだよ。何百本も字幕つけてきたプロが「それではうけない」tpダメだししたら、従うしかない。
普通の翻訳者であると、恋愛小説もSFも歴史物もコメディも翻訳するってまずあり得ない。それぞれ、専門分野がある。
技術翻訳だって、コンピュータもやります、機械もやります、医学もやりますってことはないんだ。
それが、字幕翻訳者だと、それらが、全部1人がやることになっている。
問題があるとしたら、字幕翻訳者を育てない、映画配給業界だろうな。
続き書く、一応予定。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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だったら自分でやってみろ『陰陽師 石田千尋の平成徒然草』
この人自体全然興味ないんだけどさ、いいこというなと思って。
『だったらどうして、自分で独立起業をしないのだろう?』
そりゃ、起業する事は大変で、つらいもので、
血へどや、滝ゲロなんか当り前、失敗したら、全てを失うし、
成功したって、一時じゃだめで、
維持継続をしなけりゃいかんのですね~。
何かあっても経営者は何の保障もないし・・・
まっ、だれでもそれくらいは知ってるのかしら。
でもね、不満を言ってる人々もよく考えりゃいいのにね。
あなた方が文句を言ってる会社だって、
誰かが、そんな思いや、人生をすり減らして
作ったんじゃないのかな?
うちにバカセくん、最近大人しくなったんだけど、前はしょちゅう半端な発明提案書持ってきて、これは素晴らしい発明だからすぐに出願してほしいとかいいやがる。
時には、これはアメリカで特許を取るべきです、アメリカに出願しましょう、
とおっしゃるわけです。
ばーか、自分の金でやれよ。
初めは、本発明は特許性に欠けている、以前にこれこれこういう出願があるからだ、と丁寧に説明文書をつけてあげたのですが、
読みもしないで、
「アマサイさんは間違っている」
とかおっしゃるわけですよ。
だったら、それの反論、文書にしてくれるかな、と提案しますとね、
「僕は忙しいです。そんな時間はない」
そうなんですよ。
♪僕、僕、笑っちゃいます♪
そんなに忙しいなら、発明する時間もねえんじゃないの。
だからもう相手にしません。
その次からは、
「そうですね、素晴らしい発明ですね、是非、出願しましょう」
「じゃあ、お願いします」
「当社の技術範囲とは違いますので、ご自分で」
「いや、これは光学機器の○○の部分を」
「どうぞ、どうぞ、ご自分の名前で特許出願しといてくださいまし。君の起業の際に役に立つことでありましょう。ご自分で明細書書けば出願費用だけですよ。そのチェックは私がボランティアでして差し上げもいいですよ」(無感情で平読みで)
まあ、ここまで言ったら、普通、言葉をなくすはな。メデタシ、メデタシ。
何回か、書いているけど、自分の発明が素晴らしい、独創性があると思えば、起業すればいいじゃねえの。冗談じゃなくて。
そんな~、会社起こすには金がいるし、発明だけでは製品化できない、できても売れるとは限らない。
そうだよね、その通りだよね、リスクがあるってことだよね、会社はそのリスク背負っているわけですよ。
だ・か・ら・さ
会社がそのリスクを背負っても見返りがあることを証明してくださいよ。
なんだかさ、アマサイは発明をつぶしたがる、って言っている奴がいるんだけどさ。
私は出願件数が増えると助かるわけですよ、上から褒められるわけですよ。でも、しょうもない発明出願すると怒られるわけですよ、会社の金を無駄にした、とね。
てかさ、君たちの案件、そもそも、思いつきだけで、技術として成立してないじゃん。
なんか、愚痴モードになってしまいましたが。
この発明は絶対市場を開拓できる、と思うほどのものは、良い発明ですよ。
それを却下する、正当な報酬が見込めない、だとしたら、それはダメ会社です。
起業しましょう。
まあ、結論は同じなんだがね。
でも、今の時代、起業できるほどのスキルと意気込みがないと、開発者も営業マンも世の中渡っていくのは難しいと思うよ。
※別に会社を起こさなくても、フリーランスとしてやっていけるという意味です。
勤務技術者の地位向上って言っている奴ら、ちゃんちゃらおかしいですね。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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知財というのはじみぃ~な仕事です。
近年は新聞の一面も飾ることがあるので、なんだかきらびやかものと勘違いされてる人がおおいです。
一日中パソコンに向かっています。
人と話すことはあまりありません。
そんなことがおもしろのか、
ワタクシはおもしろいと思ってやっています。毎日がエキサイティング、とはいきませんが、まあ、週に一回は「おおっ!」と思うことがあります。
ワタクシの主な任務は新規出願です。
技術者さんから提案があり、そのお話を聞いているとたいてい
「おおっ!」
と思います。
「こりゃ、おもしろい技術だわい」「そういう技術があるのか、知らなかった」など、です。
でも、その「おおっ!」があまり大きくないときもあります。
そうなるとちょっと頭を抱えます。
いやはや、これをどう出願しろと?ちんまい特徴しかないじゃんか。
取り敢えずファイルケースに放り込んでおきます。
新規出願の他、調査や、中間処理と呼ばれる特許庁への応答など、複数の案件を持っていますので、やることは山ほどあります。
で、他の仕事をさくさくやっていると、ふいに
「おおっ!」 と思います。
さきほど 「おおっ!」が小さい案件を思い出します。
これをああやって、こうやって、そうやれば、結構すごく見える特許になるやんけ。
もう、その日のうちに文書としてまとめ、特許事務所に依頼の電話をします。
これで、また1つ出願できる、幸せな気分になります。
ここでは、出願ですが、調査や中間処理にも必ず「おおっ!」があります。知財の仕事には全てにおいてやりがいがあります。
たぶん、端からみれば、そのちんまい特徴のどこがかわったのか、全くわからないと思います。ワタクシの苦労を知ってくれる人も少ない、もしくはいないかもしれません。
しかし、ワタクシはそれでもいいと思っています。
凄い発明は発明者が凄いのです。
あんまり凄くない発明こそ、ワタクシ達の知財プロフェッショナルの出番です。
そして、仕事というのはそういうものでしょう。順調にいって当たり前であって、当たり前を評価する人はごくごく僅かです。何か滞ると減点される。
自分が楽しいと思う仕事につく、もしくは、自分の仕事を楽しいと思いこむ。それが社会生活の原点ではないか。原点を忘れている人が多いのが最近少々気になります。
職務発明裁判の多くが個人的怨恨であることはなかなか興味深い。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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藤原正彦氏がお茶大で定年を迎えられるそうです。
アマサイブログのアクセス解析のリンクを辿っていったらなにげにぶちあたりました。
藤原正彦先生最終講義
彼の出世作代表作が「国家の品格」になってしまったことに納得がゆかないアマサイです。藤原先生の人生及び著述業の原点は『若き数学者のアメリカ』でしょう。
あんな説教本を前に出したくはありませんな。20年来のファンとしては。
鈴木光司さんの近著『情緒から論理へ』なんて帯が
「藤原正彦氏『国家の品格』に異議アリ! 」
だもんね。
-----------------
ベストセラー『国家の品格』で藤原正彦氏は、「論理より情緒」と喝破した。
本書は、これに異を唱える。
論理的に考えず、情緒的な希望的観測に引きずられた指導者たちの過ちによって、
過去、いかに多くの国民が不幸に見舞われたことか。
いまの日本人に必要なのは、「情緒より論理」と言うべきなのだ。
「僕が『情緒より論理だ』と言うのは、もともと日本人は情緒を好みすぎる民族だからです。
日本人は放っておけば、ますます情緒に惹かれます。だからこそ、必要なのは論理と僕は声を大にして言いたいのです」
--------------------
売るためのうたい文句というのはわかっていますが、そんなのケースバイケースでしょう。
(^^;)
ビジネス、行政、政治には論理より優位なものはないわけで。
日常生活にはもっと情緒をもって潤いのある生活が必要でしょうね。
もっとも、藤原先生はきっとビジネスでさえ情緒が必要とおっしゃると思いますけど。
教育の現場に関しては、両方とも必要なのに徹底されていないんじゃないですかね。
国語には、大別して、文学と論説があると思うのですが、国語の教師は大抵日文の出身なので、論説とかエッセイ(情緒のない方ね)とかは教えるの苦手かもね。論説文、国語でちゃんと教わった覚えがない。
それに、今は違うかもしれないけれど、国語は教わるもんじゃない、読書の過程で身に付くものだ、と信じていて、あんまり授業らしいものしない人も多かったね。
それじゃ、情緒も論理を身に付かないでしょう。
じゃあ、数学や理科で論理が身に付くかというとちょっと違うね。
理系の論理は主に数学の裏付けがあり、言語の論理とはまた違うからさ。
実験という裏付けもあるんだけど、高校過程までの実験ってどうなんでしょう。ちゃんとお膳立てができていて、おお、実験指導書のとおり結果がでたぞ、じゃ、科学的証明の感覚って養えない。
実験をしない、極端に少ない学校は問題外の外です。
なんだか、情緒も論理も学校で教えられない、教える場ではないと認識されているのは問題なような。
ああ、藤原先生長いこと教員生活ご苦労様でした。
今後のさらなるご活躍に期待しております。
といっても、60年代、70年代や旧制高校時代の教育に現代の規範を求めるは絶対間違っていますからっ!。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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アメリカ:アラサーOLは女性上司がお嫌い2009年2月2日(月)0時0分配信 クーリエ・ジャポン
女性同士というだけで、会話が男性関係など個人的なものになり、彼女の個人的な悩み事をすべて聞かされる。しかも、そうした関係の延長線上で仕事が行われるのだ。深夜でもかまわず電話をしてきて大量に仕事を押し付けられたり、女性上司が上役から怒られたときに八つ当たりされたり……。
背景には、ジェネレーションギャップがある。職場で男女差別の時代を生き抜いてきた世代と、そうした環境とは無縁の若い世代とのあいだで、価値観の衝突が起きているのだ。若い世代にとって「フェミニズム」という言葉は古臭いものにすぎない。彼女たちは、「自分はこうしてきたから」「女性はこうしなければいけない」という考えを、女性上司から押し付けられるのには耐えられないのだという。もう二度と女性上司と働くのはいやだという女性も少なくない。
アメリカの話か。
いや、個人差だと思いますけどね(^^;)。
女性同士なら同じ志向性を持って協力していけるという先入観がそうさせ、そのギャップが女性上司ダメとなるだけでは?
てか世代格差なら、男性上司とも同じだよね。「女性はこうしなければいけない」と押しつけるオスの方がやじゃね?オジサンの「オレ達が若い頃」が許せるのに女性上司の「私たちこうしてきた」が許せないとしたから、若い世代の方がバチバチに頭古いんじゃん。なんか問題を無理矢理女性VS女性にもっていこうとしていないか?
アマサイの直属上司は女性ですが、非常にやりやすいですよ。今のうちのセクションは管理系部門の一部となり、その上司は知財のことはあまりよくご存じない、という特殊事情があるんですけどね。「アマサイさんのお考えよろしいと思います」とアマサイの意志を尊重してくれます。
これが、知財のプロフェッショナルだとまた違うでしょうねえ。それにしたって、その方のお人柄に依るでしょう。以前はうちの部署にオジサンが2人いて、ちっこい会社なのに、権力抗争をしていてバカみたいって思っていました。
因みにアマサイがうちの会社に雇われたというのは、事務所で特許技術者の経歴があるのと、女性だからということですね。あまり男性上司に楯突いたり、けんかをしたりしないだろうということです。
いや、一人のジジイは仕事をしないできないいいかんげん人間だったんで、暗に「くそジジイ、テキトーこいてんじゃねえ」と言動に出していましたが。
( ̄▽ ̄;)
もう来てくれなくて結構だ、とぶちぎれてましたが。おめえに雇われているんじゃねえよ。
( -_-)9 ウラ~
とんだ勘違いボケ老人で困っていました。
アマサイが入って3年後に止めてくれたからよかったよ。
アメリカは保守的な面もあるので、同性に対する厳しさは日本よりもあるかもしれませんね。
また、業種にも依るんじゃないですか。
メーカーと商社なんて企業風土が全然違うし、
メーカーでも、重機械工業、IT、化学でも違うでしょうね。
職場でのジェンダーデバイドがあるなんてアメリカも日本もまだまだ未開の地ですね。
と言ってもジェンダーを意識しない世界も考えられないけどね。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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目黒区の秘密結社の同志に所謂「コーチ」を生業としている人がいます。アマサイもコーチングの本などパラパラ読んでは見ましたが、その本質はわかっていません。実際に講習を受けないとダメなんでしょうね。
コーチングの神様に聞く、優れた経営者の条件とは
――人々をコーチングする上で心掛けていることは何ですか。
ゴールドスミス 先ほど述べたように、わたし自身よりも顧客のことを中心に考えています。その顧客がフィードバックをきちんと聞く姿勢にあるかどうか、周囲の人たちのコメントに耳を傾けることができるかどうか、本当に努力をして自分自身を変えようと思っているかどうか。変わることに対して前向きかどうか。そうしたことをわたしは常に気に掛けています。
ああ、そもそも「変わる」気がないといけないのね(^^;)。
アマサイは、このまま成長していけばいいと思っているので、「変わる」のは違うなあ。
――成功する経営者、失敗する経営者の違いは何でしょう。
ゴールドスミス 最も重要なのは、他人の意見に耳を傾け、そこから学ぶことに前向きであることです。成功することで自分自身を見失ってしまったリーダーを数多く見てきました。彼らに欠けていたのは、まさに人から学ぼうとする姿勢です。急激に変化する世界において、経営者にはこのような資質が必要です。
――GEのジャック・ウェルチ氏など、これまでに多くの優れた経営者を近くで見てきました。良い経営者の共通点というのはありますか。
ゴールドスミス 経営者はエゴというものが会社のどの社員よりも際立ってしまいます。一方で、常に自分が正しいとか勝っているとかなどを主張しないというのはリーダーにとって難しいことです。優れた経営者はエゴを経営とうまく切り離して物事を進めることができます。
エゴと自己主張、同じものだよね、表出の仕方が違うだけで。失敗するとその後無惨な人生を送る経営者、また復活する経営者。どうやら、自己コントロールということにカギがありそうですな。
最近、ビジネスで大成功を収めているスーパーマーケットの経営者に会いました。金融危機によって米国人はレストランでの外食ではなく、自宅で食事する「内食」の傾向が強くなっています。内食が増えることは彼の事業にとって良いことにもかかわらず、悲しい顔をしていました。なぜなら、社員の退職年金が50%もなくなってしまったことにより、皆がすっかり落ち込んでしまったからです。
わたしはこの危機の後には、裕福な先進国にとって課題の多い時代が来ると思います。世界中にいる若い人たちは、教育水準が高く、英語も問題なく話せるのに、お腹を空かせている状況に陥ります。中流の所得層の生活水準を保つために、長時間働かなくてはならない、そんな時代が来るかもしれません。
大切なのは、自分がやっている仕事を本当に喜んでできるかです。仕事を愛していれば長時間働いても苦にはならないでしょう。やっていることが好きでなければ、新しい時代は苦痛です。仕事を楽しむことは先進国の若者にとっては特に重要です。
なんか、別に神様にお伺いを立てなくても出ている結論のような(^^;)。故竹内均先生は、自分の好きなことを職業に生きる、これが最も幸福な生き方だ、なんてことを言うとられます。科学者はこげなシンプルな人生観が好きな人が多い。カール・セーガン博士も「少年時代の夢をかなえ、そのままに生きる人は素晴らしい。私もこうして少年のときに思い描いた職-天文学者になっている」と自著に書いています。小柴昌俊先生もそんな感じですね。
確かに、好きとまで行かなくても適職に就いていれば、多少の辛いことは耐えていけるものです。
お金のため、と思っていると厳しいでしょうね、特にこんなご時世では。
もっとも、それ以前に、生計を立てる職がない人も大量にいるのも事実です。
やはり、若いうちに自分の道を見いだすのは、大事なことです。これこそ、最高のコーチングではないでしょうか。
何でも「戦略化」しているのは気になります。昔は、人生哲学とか信仰に宛われた問題だと思うのですけれど。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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なんかアマサイにつっこみを入れて欲しい人が世の中にはたくさんいるなあ。
DECはなぜ滅び、アップルはなぜ成功したのか--ビジネスと教育のありを考える
DECは、メインフレームよりも小型で小さなスペースでも利用できるミニコンピュータを開発して成功したが、1990年代に苦境に陥り、1998年には当時のCompaq(現Hewlett-Packard)に買収された。DECの失敗の要因はどこにあったのか。
DECがミニコンピュータの成功から次のステップに進もうとした時、2つの選択肢があった。ひとつは、少数のハイエンドユーザーをターゲットとした高価なミニコンピュータを開発すること、もうひとつは、一般消費者をターゲットとした安価なミニコンピュータ、つまり当時は粗悪で使い物にならないと一部のDEC幹部が考えていたパーソナルコンピュータを開発することだ。「DECは前者を選択し、失敗した」とHorn氏は語る。
後からだったらなんとでも言えるよね。その当時、高価なミニコンピュータを開発することをが、どれほどぶれていたか、分かった人はどのくらいいたのかな。また、戦略の失敗から復活できる体力がなかったのも問題だよね。さらに言えば、今どきは買収されることが敗北とは限らないよね。基幹部門だけだとは思うけれど、企業価値があったから買収された。これはある意味9分負けたが1分は勝ったと言えるでしょう。
まあ、DECの件は、技術史や経営学でもよく題材になるので、失敗例として使うのはいいでしょう。
新しい市場を作り出すことで成功した企業の例としてHorn氏は、AppleやDell、トヨタなどを挙げた。Appleは、PCユーザーをターゲットとした製品を出すよりも、おもちゃのように楽しく使える製品を提案した。Dellは、それまでの常識であれば高価になってしまったであろうユーザー好みのカスタマイズPCを、できあいのハードウェアやソフトウェアを部品として組み合わせる方法にて安価に提供した。
えっ、で、成功例、アップルって極端すぎない?あそこはさ、ジョブスおじさんの個人商店でしょ。アップルはすごい、だが、誰もまねできない。ってのが定説なんだどさ。
現在米国にてハイエンドのLexusが大成功を収めているトヨタも、米国進出当初からLexusを販売していたわけではない。「トヨタはまず、Fordのような大型自動車が買えない顧客に対し、小型で燃費のいいカローラを販売した。その成功からブランド力をつけ、徐々にハイエンドの車も提供するようになった。究極のLexusに行き着くまではじっくり時間をかけた」とHorn氏は説明する。
トヨタの件はそのとおりです。はいはい。
さて、教育に焦点を当てたこのイベントで、新しい市場を作り上げた企業の成功と教育とは何の関係があるのだろうか。Horn氏は「教育においても、顧客のいない場所に注目することが大切なのだ」と語る。
現在多くの学校では、大多数の生徒を相手に同じ授業が行われている。しかしHorn氏は「子供たちはそれぞれ異なった得意科目や興味、モチベーションを持っている。習得の早さや学ぶ方法にも個性がある」と指摘する。それぞれの生徒に合わせたカスタム教育ができれば理想的なのだが、問題はコストがかかりすぎることだ。
そこでHorn氏は「Eラーニングが解決法のひとつ」と提案する。
えっ、で、結論はEラーニング?!人間の教師が教えている学校がダメだから、デジタルコンテンツに頼るわけ?それって教育の敗北じゃない。
と思ったらこれM$さんのEラーニングの勧めなんですね。
(^^;)。
良く読まないワタクシがバカでした。
パソコンを捨てて手作り教材で教えよう、ってな感じだったら、M$も見直したのに。
まあ、捨てなくてもさ、インターネットを活用した授業方法でも開示するべきなんじゃないのかねえ。
ツールを使おう、なんて時代遅れで、
ツールの賢い使い方を伝えるのが、21世紀じゃないんすかね。
ああ、昨日に引き続き限りなく虚脱。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】宜しくね!
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世の中にはいろいろなことを考える人がいるものだ。
ノーベル賞を勘違いした日本人
49年、湯川博士にノーベル物理学賞が授与された背景には、ノーベル物理学賞の選考委員でもある「マンハッタン計画」に責任を持った多くの物理学者たちの明確な「後悔」と「謝罪」の念が込められています。
学術的な流れだけで考えるなら、湯川博士の受賞は戦後の1947年、イギリスのセシル・パウエルが湯川博士の予言したπ中間子を発見したことが契機となったとされています。
実際49年に湯川博士、50年にパウエルがノーベル賞を受賞しており、公開されたノーベル賞の推薦文書や選考経緯なども科学的に厳密な話だけで説明がつくように見えます。しかしノーベル賞には、この個別審査以前に「企画段階」というべきレベルが存在しています。湯川博士への単独授賞は、明確に「原爆投下への謝罪の意を込めて、日本科学を世界第一線のものと承認するセレモニー」としても企画されたものだと考えられます。
広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という銘文が記されていますが、これと同じメッセージが、欧米先進国の物理学界の創意として、湯川博士への授賞には込められています。
「2度とこんな過ちは繰り返しません。どうか日本人の皆さん、そして日本人科学者の皆さん、私たちが力を合わせて開発した原子爆弾が、軍部の暴走によってあなたたちの国に投下されてしまったことを、許してください。
原爆を投下したのはトルーマン司令官以下の米軍ですが、この兵器を作ったのは私たち科学者です。科学者は、自分たちが作ってしまった兵器という鬼子にも、きちんと責任を取らねばなりません。この謝罪の気持ちを込めて、私たちは日本の科学が世界第一流の水準にあることを承認します。どうか私たちの罪を許してください。2度と過ちは繰り返しませんから」
マンハッタン計画に加わった科学者たちの「挫折感」がいかに大きなものだったか。それを日本人が知るに至るのは何十年か後である。
これが、米国に留まらず連合軍の科学者全体のものだったということはあるだろう。機会があれば日本人に謝罪したい。それもあるだろう。
で、それが、なぜ、湯川のノーベル賞なの?
全然論証が甘い。
ってか、なぜ一人の日本人の賞を与えてそれが謝罪の意になるのかてんでわからない。
100歩譲って、そういう意図はスウェーデン科学アカデミーにあったかもしれない。
で、それをなぜ日本人が日本には素晴らしい科学者がいたのだ、日本は必ずや復興できると、昭和20~30年代に生きた人が喜んじゃいけないのか。そんな毛唐の謝罪なんか必要ない。日本人は優秀な民族なのだ、戦争に負けても他の分野で勝っていくことができるはずだ。
極めて健全な精神である。
てかさ、
実は長崎への原爆投下が実験であったことは、私自身40歳を過ぎるまで知りませんでした。2005年8月、原爆投下60年の記念行事を主催したのですがその際、元長崎大学学長で、湯川、朝永両博士が創設メンバーである「世界平和アピール7人委員会」委員の土山秀夫先生から伺って、初めてきちんと認識できました。
伊藤乾、貴様はバカか?そんな、日本人として43まで生きてきて、ナガサキ・ヒロシマを知ったのはほんの3年前ですと。
日本にはねえ、美しい言葉があるのですよ。
貴様なんぞ、「豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ」
とな。
こんな言葉遊びをまき散らす大学教員、それを堂々とビジネス系サイトにのせる日経新聞の精神が全くもって不可解です。
前回コラムに読者の方から「田中耕一さんのノーベル賞の背景は?」というお問い合わせを頂きました。田中さん授賞の背景は、日本企業と企業人に、米国のIBMやGEなど、先進各国企業とその研究者の基礎研究への貢献を呼びかけ励ます「一般人代表」としての側面がある、と聞いていますが、これだけ単発的に申しても全体像が分かりにくいと思います。すでにお話しした南部、小林、益川各博士、また今回の湯川博士を含め、ノーベル賞を受けた日本人15(16)人のすべての業績について、その意味と、背景に存在する驚くべき事実など、順次お話ししてゆきたいと思います。
そんなにみなさん、こんなバカ話が聞きたいんですか?
昔、読んだ「ユダヤ人陰謀シリーズ」を思い出すのは私だけでしょうかねえ。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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第七回 日本イノベーター大賞、表彰式開催のお知らせ
日経BP社は2008年「第7回日本イノベーター大賞」の受賞者を決定しました。
日本イノベーター大賞は、日本の産業界で活躍する独創的な人材にスポットを
当てることにより、日本に活力を与えようと2002年に日経BP社が創設した賞で、
今年が7回目となります。ただいま表彰式へのご参加を下記の通り受付しており
ます(無料)。当日は受賞者の苦労話や日経ビジネス編集長との対談などを
お聞きいただけます。ぜひご参加ください。
-----------------------
開催日時:2008年11月27日(木) 17:00~(会場16:30)
開催場所:グランドプリンスホテル高輪 プリンスルーム(東京・港区)
主 催:日経BP社
協 賛:第一三共株式会社
------------------------
これはおもしろいね、イノベーションもイノベータも、なんたるかわかってない人たちが、同様にわかってない人たちを選んでいる。
( ̄▽ ̄;)
ごますり賞なんて、金融危機に直面した日本にはいりません。
----------------------
アマサイは小さい企業、小さい法人にしか勤めたことはないけどれど、なんで日本経済がこんなになっちまったかわかるような気がするね。
いろいろあるけど、1つは、管理職が仕事をしなくなったということだね。昔は、例えば営業部長なんかは部下のフォロー/コントロールをするだけでなく、自身にもノルマがあり、大きな負担となっていた。それはそれで問題なのだが、今は、マネージメントと称してこいつら役付が何もしなくなったってことなんだな。
(これは例えなので、そうじゃない職場もたくさんあることでしょう)
アマサイの前の上司なんか、アマサイや他の人の作った書類に、自分の名前を上書きして、上長に提出していた。もう爺さんなんでしょうがないと思ったが、そいつは前の会社(大企業)でもそうやって(窓際だったらしい)、うちの会社に流れ着いたってことだろう。さらに上長もわかっていたが、それはそれで都合のいいこともあるんで(お偉いさんの考えることは詳細にはわかりません)、その状態にしておいたらしい。さすがに何回目かの「粛正」のときに、「お別れ」することになった。
上がそんな奴ばかりだったら、辞めたくもなるだろう。結局人材が流動して、分散する。組織が大きくても人材がスカスカじゃあ、売上げも伸びないわな。
要領ばかり良く、何でもできますと良いながら、何にもできない人間ばかりになるんだねえ。そして、人を育てない、育てられなくなる。この悪循環が繰り返される。
こうなったら、個人や小さい組織で少数先鋭でやってくしかないね。大企業じゃないから何もできないんじゃなくて、そんなスカスカ組織、やる気になればすぐに追い抜ける、はずだ。
イノベーションは、いつだって、社会の状態の悪いとき、小さな組織において起こっている。
この技術史的法則を今こそ一人一人が自覚すべきなのだ。
言うことはかっこよく、行動は地道に。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】宜しくね!
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「女性らしさを生かして」ってヘンじゃないですか。
このコラム、むかつ、いや、妙な不快感を覚えるのは私だけっすか。
「そうですね、実数を取ったわけではありませんが『女性の強みを生かして、消費財メーカーで開発を担いたい』という学生はかなり多いように思えますね」
(中略)
同社は生理用品の「ウィスパー」に四葉のクローバーのデザインをあしらい、それがヒット商品になりました。今では、他社でも絵柄をプリントした生理用品を発売しています。そして実は、このアイディアを提案したのは男性です。(中略)そんな男性に対して、開発部にいた女性社員の反応は失笑ムード。「なんでハートのシールを貼るの? 生理用品は白でしょ!?」と、あまり好意的な目を向けなかったといいます。
引用するのもうざったいのだが。
商品開発は女性の特性を活かしやすい、言って希望してくる学生が多い、が実は女性向け商品のヒットを担っているのは男性の場合がある、そもそも、男女平等、ダイバーシティーを唱っているのに、女性向けの部署と限定して企業側がアピールするのは、おかしい、
とこの「二年目女子」さんは言いたいらしい。
だから、何?
いや、私もYデスクさんの言い分と同じなのだが。
男性向き、女性向きという言葉がおかしいのではなくて、ダイバーシティーというカタカナがおかしいのでしょう。diversityって多様性のことでしょ。なんで男女の格差だけに注目するかね。それを論じたいなら男女共同参画、の方がいいんじゃない?
つーか、二年目女子さんも、女性ならではの、特性をアピールするためにこのコラムまかされたわけでしょ。このコラムのメインは「二年目」ではなく「女子」だよね。
男女機会均等法が敷かれてから、総合職という名のもとに、女性も「男並」の仕事をすることを要求された。結局仕事量が、以前の事務職に比べて増えただけで均等のメリットは見えてこない。総合職の女性は疲れてしまった、というのは、今後就職する女子大生にも伝播した。男性と互角に働くというより、むしろ女性をアピールした職種についた方が無難だと気付いた。企業側も、ここなら女性の力が活かせますよ、とピンポイントでアピールする方が、摩擦がない、その代表格が「商品開発」である、
ってことじゃないの。総合職うんぬんは実はアマサイは良く知らないのだが、漏れ伝え聞くところから判断しました。
こんなことをおもしろいと感じているようではダメでしょう。しかし、二年目女子さんの考えに同意する人も多いと思いますよ。記事としておもしろいというならば、その2つ、ナルホド派とアンチに、大きく別れるということでしょうね。そこを解析するならば、深みのある記事になることでしょう。まあ、がんばってください。
追記:どっかの理系白書の人のブログと同じですな。賛否両論あるのはよい記事の証、という勘違いがある。ええ、勘違い結構。それでマスコミは持っているのだから。
この程度の記事でも日経の名の下掲載されるってのが、ネット良い面かもしれませんな。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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海外旅行へ行く人、特に若い層、が減ったというニュースを最近見かけたけれど。
『「海外」は面白くないか』Tech On! 藤堂安人
「パラダイス鎖国」という造語がある。住み心地のよい「パラダイス」のような日本に閉じこもって「鎖国」のような状態になることを指している。特に若い方々が海外への興味を失って,海外旅行に行かなくなったり,海外勤務を避ける傾向にあるという。さらには,同じような傾向が日本の製造業にも蔓延していて,そこそこ大きな規模の日本市場に閉じこもって国際市場での競争力を下げていることにつながっているとする。
名付け親は,日本の自動車メーカーに勤務後,米国に留学して今はシリコンバレーに住んでいる海部美知氏で,『パラダイス鎖国~忘れられた大国・日本』(アスキー新書)という本を出されている。海部氏は2005年に日本に一時帰国した際に,「日本は,誰も強制していないけれど,住み心地のいい自国に自発的に閉じこもる『パラダイス鎖国』になってしまったのではないか」(本書p.003~004)と感じたという。これを同氏のブログに書いたところ反響があったために,一冊の本にまとめたそうである。
えーと、何か問題あんの?と思うアマサイはアマノジャッキーでしょうか。
おじさん族(この書の著者はおっきいお姉さんですが)はどうして、ワカモノたちの傾向に一々いちゃもんをつけたがるのかなあ。
(20年前のワカモノが今のおじさんたちだったりするのだが)
海外旅行ばっかり行っていないで、日本のよさを見つけろとか、
パック旅行ではなく、自らその国の人々とふれあえとか、
ちょっと前までそう言ってませんでしたっけ?
大きなお世話ですよ。
海外旅行熱が冷めて、何か悪いんですかね。
Web2.0で緩やかな開国ですと?
そうなっているじゃないですか。
実際にその国に行くよりも、ネット検索の方が汎用的で正確な情報を見つけられたり、英語で書き込むコミュニティでなら直接的な交流もできますしね。それに現在はYouTubeのように無料映像サイトなんかもあります。
もちろん、現地に行かないと得られないものもたくさんありますよ。
結構、その辺は最適化されてるんじゃないでしょうか。
ネットで得られることは、そこで探し、海外旅行、海外留学ではそうでないものを求めるって、状況になっているでしょう?違う?
このエッセイの最後には貧困への感受性、とか言ってます。
それは日本にいた方がわかるんじゃないですか。
難民、不法滞在、祖国に居られなくなった人が日本に来てるじゃないですか。
もし、地球市民として、現代の問題の解消に一役買おうというのなら、日本在住日本人として立ち向かえるはずです。
それに、そんな貧困層が大きいところ、内紛で傷ついている人たちがいるとこに、旅行とかビジネスに行かないでしょう。
シリコンバレーで裕福な生活してたり、暇をもてあまして一人旅してたオジサマたちにとやかく言われたくないですな。
てか、地球は小さくなったんだから、東京に居ようとブエノスアイレスに居ようと直面することは変わらないんではないですか。
アマサイはパスポートなんか作ったことないぞ。文句あっか?人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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表題は時節柄。。。
漫画家さんが出版社を訴えて、騒動になっているらしい。ゑび庵師匠のとこで知りました。どうやら編集部がその漫画家さんのカラー原稿をなくしたらしい。が、漫画家さんが怒っているのは単にそういうことではなく、編集者、出版社が漫画家を人として見下している態度が許せない、ということらしい。
こういうのは当事者同士だけしかわからないことで、陳述書に原稿紛失事件の背景として書くようなことではない気がする。編集者はともかく実名をだされた漫画家のK山先生は、同意しているのだろうか。
また、なんだか、職務発明裁判と同じ構造だなあと思ってしまった。この手の裁判をウオッチしている人なら業界の人でなくたってわかっているはずだが、これは、経営者側と被雇用者・技術者との人間関係の軋轢が元となっている。有名どころも最近提訴されて件もすべてそのはずだ。成果は上げているのに、役職があがらない、日本企業の場合、出世できないということは給料が上がらない、とほぼ等しい。どうやら自分は、上役に嫌われているらしい、と思ったときはもう遅いらしくて、あいつ閑職にでもほうっておけと、なるらしい。これこそ当事者同士の問題だし、どっちが悪いかは端から見てもわからん(どう考えても最低限の協調性がないとわかる人はいるがね)。
会社員の場合、じゃあ、独立するなり、転職するなり、すれば、ってことになるんだが、漫画家の場合は自営業だぞ。元々独立しているのに、ここまでどうして取引先(出版社)にこんな酷い目にあわされにゃいかんのだ?
この漫画家さんの言い分を一般論として当てはめるのは危険だと思うが、漫画家なんか使い倒せばいい、と思っている編集者はかなりいそうだ。出版社がクリエータをないがしろにしている話はよく聞く。
アマサイが、コンテンツ産業を語る奴は嫌い、ってのは、そこらへんのことである。漫画、アニメーションが日本の産業というわりには、それを利用することしか考えない。韓国ドラマが日本に多く流入しているのは、それだけ質の高いものが出来ているからだ(日本映画絶頂期の焼き直しという話もあるが)。それには、韓国が国を上げて、クリエータの学校を創設し、ビジネスへの道筋をつけているからだ。
で、日本は、アニメーターや漫画家のために何かしてますか?
で、日本の技術者はこんな安い給料で働いているのに、どこのどいつが、技術立国なんてふざけたことを言っているんですか。
参考:フロレスタンさんのブログ。
もの作り出すってことに何の感謝も敬意もはらわない国だわな。
藤子不二雄漫画の本拠地だった小学館がこのようになって藤子ファンのアマサイは悲しい。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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儲けようと開発しても儲からない
パラダイム持続型イノベーション
過去の大きなイノベーションについて、イノベーション・ダイヤグラムを描きこんでみると、興味深いジレンマに気づく。それは、ラディカルなイノベーションであればあるほど、イノベーション・チェーンを持続的につむいでいくために本質的なプロセスは、つねに土壌の下にあって価値創造には直接的にかかわらない「知の創造」を途中に含むということである。一方、価値創造を直接的ゴールとして行なう「開発」はそれだけでは結局のところ抜群の競争力をもつような新しいパラダイムの経済的・社会的価値を創造することはできない。平たくいえば、儲けることを直接的目標にして製品やサービスを開発しても、長期的に儲けることは不可能だということでもある。
なんでこのコラムを取り上げたかというと、経営学のオジサンたちって未だに「パラダイム」って言葉を常用しているのね、と嘲笑したいからである。彼のみが使っているとは考えられないので、社会科学では一定の地位を持っているのだろうな、「パラダイム」。でもこの用語をうれしそうに使っている文章、このように中身がない。
彼が「それは、あたかも土壌と植物の関係に似ている」と称して出してきた図。意味、わかんなくな~い?
だってさ、社会科学上の概念図って「花形・負け犬」マトリックスみたいに、おお、ごちゃごちゃ説明されてたらわからんかったが、この図だとお主の言うことがようけわかるっちゃ(ってどこの方言だ?)ってものでしょう。これは、図自体じゃ何かわからなくて【図に説明につけてるのに】さらに何を言いたいのかわからないっつー最悪のものでしょう。
最後まで読めばわかるとおり、材料を変えただけでは、技術革新にならない、プラスアルファが必要だということである。それまで青銅だった大砲を鉄製にするには、単に材料を変えるだけではなく、創意工夫があったという話らしいのだ。
それって、破壊型パラダイムとかへんてこな線図を使わなくては、説明できないことなのか?
経営学って、天気予報と同じである。いくら当たらなくても、天気予報は不要、と思う人はあまりいない。同様に経営学が実際の企業経営に役に立たないとしても、実際の経営成果を分析する後付け理論だったとしても、経営学が不要だと思う人はいない。
アマサイのディベートの師匠がとある勉強において
『「経済学って、何のための学問ですか?」という質問が飛び出したのは、誠に微笑ましくも、好ましく感じた。』とおっしゃっているのだが、
その答えは、
「エコノミストを生成し、食わしていくため」
というのが一番妥当だと思うのだが。
ここまで、書くと完全に嫌われるな。カミソリ送られてくるかしれん。
いや、世の中、結構無駄な学問というものはあるものだ。しかし、無駄な学問、学会が適度にあるのは良い社会なのだと思う。
経営学はそれの最たるものであろう。無くてもよいがあってもよい。
バートランド・ラッセルが
「私は若い、頭が切れるころ、数学を研究し、少し頭が弱くなったころに哲学を行った」と言ったそうだ(ちょっと文言は違うかもね)
たぶん、ラッセルのような天才が、かなり頭が弱くなって、ボケ寸前になると、経営学なんかをやると丁度いいのだろう。
えっ、毒舌じゃないでしょ、最後の一文は。ラッセルが経営学やったら、もっと精度の高い学問になっていたのになあ、って話だよ。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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ある女性がIQが高く、ハンサムな男の子を産みたいと思い、精子バンクで該当する遺伝子を持つ精子を買って人工授精を行った。生まれた子供は彼女の予想通りの赤ん坊だった。他の誰よりも早い時期に立って歩くことができ、言葉を覚えるのも早かった。
難関と言われる小学校に入学したが、担任の教師は自分で学習するようにと彼に申し伝えた。教科の高度な範囲まで習熟して何を教えればいいかわからなかったからである。特に理数系には優れた才能を発揮し、運動能力も高かった。
当然、有名高校に入り、その後はハーバード大学に進んでいった。
彼の母親は、彼なす事すべてを賞賛した。彼は彼女にとって神様の次に偉大な存在であった。
そして、24年が経った。彼は有名大学のたくさんある街、マサチューセッツ州ケンブリッジ市に一人で住んでいる。
彼は有望な若手科学者になっているだろうか。また、すでに学会に名を上げて、自身の研究とともに後進を育成しているのであろうか。
どちらでもなかった彼は小学校の教員になっていた。明日の教材を作るために今日もパソコンに向かう。
これが僕の生徒たちです。彼はうれしそうに1枚の写真を見せた。どの子もすばらしい。凄い才能があるんです。子供と接するのは毎日楽しいです。この本棚はほとんどがファンタジーかな。今、僕が子供のころ読んだ絵本を集めているんです。お薦めはね、いろいろあるけど「カルガモ一家のお散歩」かな、カルガモの家族がいろんなところを移動する、ただそれだけの話です。家族が一緒というのがいいですよね。人間も家族で暮らすことが一番の幸せだと思うな。
数学の本?1冊もないですね、もう何年も理数系の本は読んでいません。IQなんて人の一部にしかすぎない、IQの高さと人の幸福なんて何の関係もありませんよ。
----------------------------
彼はいつも孤独だった。同級生からは「精子野郎」とか「天才野郎」とか蔑称で呼ばれた。IQテストを幼いころから数多く受けさせられた。大人達は彼に大きな驚きと少しばかりの恐れをいただいていた。彼は大人達に何を求められているかよく知っていた。彼は大人達の要望にそぐわないことをすることはなかった。
---------------------------
彼は今幸せなのだろうと思う。自身の幸せを若いうちから見つけられたこと、これ以上すばらしい才能は他にはない。
23日フジテレビでやっていた「サイエンスミステリー」のアマサイ的記述です。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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技術者が非論理的であることの強み
時間のある人はリンク素を読んでみてください。忙しい人はいいです。そんなに価値ないから。
3種類の非論理的な人
では「論理的」とは一体何なのでしょうか。この問題は、逆に「非論理的」な人のイメージを考えていくと判りやすそうです。ということで、「非論理的」と思われてしまうと想定できるステレオタイプな技術者たちを3種類に類別化してみました。
(1)まずやってみろ系 <三現主義>
[省略]
(2)習うより盗め系 <直感と感性で洞察>
[省略]
(3)理屈はもういい、やるのかやらないのか系 <感情的な根性論>
[省略]
以上のように、三つの視点で「非論理的な技術者像」を一覧してみて改めて感じるのは、総じて論理的だとみられている技術者だが、実は非論理的である側面が強いということであり、その非論理的な技術者たちこそが日本の強みだということです。三つの類型のどれもが、そうだといえるでしょう。
伝統工芸の職人気質は、戦後の奇跡的な復興を支えたものづくりの本質そのもの。三現主義からくる「まずやってみろ」な姿勢、本当に大事なものは形式知化できないという哲学に裏付けられた「習うより盗め」の姿勢。そして一見古臭い「理屈はもういい、やるのかやらないのか」という根性論も、実はこだわりの美学の表現形の一つでした。
しかし同時にそれぞれにトレードオフとなる欠点があることも書き述べたとおりです。前回のコラムで力説したように、90年以降どんどん強くなるロジカルブームとは、この欠点部分にアドレスした話といえるでしょう。けれど、ゆめゆめ間違ってはならないのは、私たち日本人の本当の強みとは上のような「非ロジカルな気質」にあるのだと私は考えます。このユニークさを失ってしまっては、元も子もないのではと。非ロジカルなものの偉大さを充分理解した上で、その欠点を補うためにロジックの利点を場面に応じて使いこなす。これこそが「日本のものづくり」にマッチした、最強の手法だと思うのです。
ロジカルシンキングをメシのタネにしている人がよく話す雑談の類である。技術者に限らず多く人は論理性を意識して仕事はしない。
実験で手を動かしているうちに、ぱっとひらめき、それを実際にやってみると、すばらしい結果がでたり、
マーケティングの統計をぼんやり見ていたら、何か購買行動のパターンが見えてきたり、
顧客に足を運び、何回か話しているうちに大型契約が結べたり、
現場の成功例を見ていくと論理性とはまったく関係ない行動様式が見えてくる。だから彼のいうところの「技術者が非論理的であることの強み」なんて全くのナンセンスなのだ。強みでもなんでもなくて、通常していることなのだから。
では、技術者は、ビジネスパースンはどこで、ロジカルシンキングを必要とするかというと、人に話すとき、プレゼンをするとき、つまり全くの他者から納得してもらい、了解を得ねばならないときである。うちのディベートサークルに来る人達も大体動機はそんなところである。
自分がどれくらいがんばったとか、感情に訴えても仕方がない。非論理的日常から導き出せる論理性を語ることが、プレゼンの極意?と言ってもいいかもしれない。
それにしても、この文章の作者、なんのためにこんなどうでもエッセイをアップさせたのか。よほど書くこと無かったに違いない。
また、日常は論理性と非論理性が入り組み、混じっているので、二分化することにあまり意味はない。
ほんと、経営論って雑談の域を出ないということを再確認した。
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まあ、良い方に考えてみれば、論理思考至上主義へのアンチテーゼかもしれませんな。論理思考を身につければ、何でもできる、みたいに風潮する輩もなきにしもあらず。そんなに論理って大事なの?ということだとしたら、アマサイと同意見です。
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因みに本投稿は、アマサイブログ1000番目の記事です。大したことは書いていないのは、自分でもよく知っています。でも偉いぞ>自分
日本のこげな種類のHP、印刷専用画面を設けていないところが多いです読んでほしい、という意志があまりないのでしょうか。人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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工学院大学理事長大橋秀雄という人が昨日の日経で技術者教育について語っていた(9月17日教育欄寄稿記事)。大学教育、技術者の社会的地位など業界について漫然として話していてよくないなあ。
こういう論では、よく科学者と技術者と対比を例示するのだが、それではうまくいかないだろうと思う。科学者の多くは大学の教員であり、技術者の多くはメーカー従業員なのである。科学者の名は浮かぶが、技術者の名は浮かばない、というアンケートなんて当然のことだ。
また、科学者は基本的に経済効果を見込んで研究はしないが、技術者は基本的に今年あるいは○年以内に発売する商品について研究開発するのである。科学者は名前が出るが工業製品を作成した技術者の名前はでない。さらに、田中耕一氏が意味じくも言ったように「私だけの功績ではなく、チームの勝利だ」ということだ。チームなくしてできる工業製品はまずない。個を重視すれば、製品は作れない。「理系」論を語る人は、どうも、この「個とグループ」の問題をきちんと消化していないようだ。
だから、大橋氏結論も①若者にロールモデルを示す、②努力すれば開けることを明示する、③専門職として地位を高める、という心がけなのか、政策なのか、何が何に対して行うのか具体性が全くないものとなっている。
科学者集団というものは明示的に存在するけれども、技術者集団というものは存在しない。だから、技術者全体を向上するというのは、所詮無理である。個々がマネージメント能力を持つしかない。即物的に言えば、R&Dとして実績をしつつも、会社で出世していき、営業部、生産管理部の上にも立てるようになるということである。言うは易し、行うが難し、かなり超人的な要求ではある。しかし、それしか問題解決はなかろう。
だって、理系離れとか、技術者教育とか言っても、問題にしたいのは給料が文系に比べて安いってことなんでしょう?そう言ってしまうと労働組合での賃金交渉しかツールがなくなってしまうから、ご託並べておるわけだ(技術者だけ賃金を割増しろ、という要求が通るはずもなく)。技術者の地位について疑問を持つならば、勉強会と称して酒を飲むことではなく、自己啓発だね。最も効果的なのは起業することだけれど。
私もつまらないご託を並べています。それは否定しません、はい。今日も人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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アマサイがニセ科学関連で書きたいと思っていて延ばし延ばしになっていたことを書こうと思う。
朝日カルチャーセンターの「科学インタプリタ」(講師:竹内薫)、2月だったかな。
話が放送メディアのことになって、そのころまだ旬だった「あるある大辞典Ⅱ」の捏造番組の話になった。竹内さんは、あれは放送局から番組制作会社に至る構造上の問題がありますね、などと話していた。受講生の質問というか、意見交換の時間があった。アマサイより10くらい年長と思われる女性が
「なぜ、多くの人がテレビ番組にあれほど信頼を置くのかがわかりません。騙されたという人がいるようですが、あのようなバラエティ番組は、初めから信用に値しないものじゃないですか。見る側がしっかりしていればあんな騒動にはならないと思います」
と話されていた(もう半年経ってしまっているので、うるおぼえ。こういう主旨のことを言ってらしたと了解してください)
これには、アマサイはびっくりしてしまった。この人、「あるある」というかあの種の番組、テレビ自体をあんまり見ないんじゃないかと思う。
と、(アマサイにとって)驚くべきことに数人の受講生がうなずいたり、そうですね、みたいな態度をとっていた。
竹内さんも、その方の意見を受けて、メディアリテラシー、科学リテラシーが必要ですね、という解説した。
アマサイとしては黙っておられず、
「いや、そうじゃないですよ、あれは、ある意味よくできた番組で、大学教授とかその分野の第一人者らしきことにコメントしてもらって、おそらくその方の監修に基づいて、GCなんか作って、さらに実験と称して一応科学的な手続きらしきものを踏んでいるです。あの納豆のときはひどかったらしいけど、当初、私が見ていたときはもう少しまともでした。そりゃ、テレビを鵜呑みにするというのはどうかと思うけど、あれを見て、こういう運動をしてみようとか、○○を食べてみようと思うのは自然ですよ。あの番組に対して視聴者にメディア/科学リテラシーを要求するのは酷です」
と発言した。うーむ、教室内では前者のおっきいお姉さんほどの賛同は得られなかったようだ。(+_+)
ニュースショーやワイドショーなどはリテラシーを多分に要求されるけれども、情報バラエティ番組は、核となる情報は、なんらかの裏付けを取られたものであり、その扱い方、出演タレントがオーバーに感心してみせたり、キャスターがうんちくを語ったりして成り立つものだと理解している。そうそう、化粧品なんかのコマーシャルのようなものだな。誰もが真矢みきのように輝く髪になるとは思っていないが、まあ、使ってみようかな、という気にさせる。あれは髪を洗浄する成分も保湿する成分も入っていなかったとしたら、詐欺でしょう。アナロジー的にはちょっと大ざっぱだが、そんな感じです。
アマサイがこのとき思ったのは、
知識が十分にある者とない者の間はなかなか埋められないということだ。
この時の朝カル竹内講座は、それ以前の物理・数学講座と違ってどういう人が来ているのか想像が付かないのだが、先の反応をみると、半数以上が理工学だけでなく医・薬・生物なんかを含む理系学部以上を出た人だろう。日常からその手の知識を高めることにも積極的だ。テレビはニュースとドキュメンタリくらいしか見ないのではないか。
そういう人には、「あるある」の信憑性なんかを語るまでもない。そもそも見ようと思わないのだから。
この人たちは現在の仕事がなんであれ、「科学業界」にいる人と言っていいだろう。初めからきくちさんやapjさんの側にいるのだ。機会があれば、「ニセ科学とはなにか」みたいな講座にも行くだろう。
しかし、そんな人は、日本人口の僅かな数でしかない。多くの人は、科学インタプリンタなんて言葉は知らないし、知ろうとも思わない。しかし、知的好奇心がないわけではない。テレビはニュースもドキュメンタリも見るが、「あるある」も見るのである。それらは同等の情報の質を備えているとは思っていないが、「あるある」は前者の3割くらいの信頼度くらいはあると思っているだろう(3割という数値は厳密ではない)。
で、前者科学業界の人が「あるある」見る派の人にニセ科学のなんたるかと語ってどれくらい通じるのであろうか。「そんなものにひっかかってしようがないなあ」という考えの人を拝聴なんてするだろうか。私だったらしない。
これは知識の格差であるけれども、意識の格差でもある。世の中には、つまらないことにひっかかるバカがいる、という高飛車な考えでは、メディア/科学リテラシーは修得されることはない。
やっと書けたけど、キレがない文章ですね。タイトルも難あり、といったところで。どのくらいアマサイの意図が分かってもらえるかな。今日も人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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きくちさんが社会学玄論さんのエントリに逐一コメントをつけているけれども。なんかその構図って、『トンデモ科学の世界』(竹内薫・茂木健一郎)の前書きの一文を想起してしまう。
『優越感に浸った「頭のいい連中」(?)が「頭の悪い連中」をコケにして喜ぶという、おきまりの構図で成り立っている。』
きくちさんのニセ科学批判が全てそうだとは言わないが、一面はそのように思えてしまう。この場合、社会学玄論さんは、おばかさんというわけではなく、この手の議論に慣れていないだろう。だからと言って、アマサイは、玄論さんの説の杜撰さを弁護しようとも思わない。玄論さんは、「ニセ科学批判」批判のエントリでアクセス数が増える、コメントが増える、と思われて書いているだけと思われるので、そういうのにおつきあいする必要もないんじゃないですか。
また、きくちさんのような活動をしていると科学・ニセ科学の判定人をおわされてしまうのも否めない。
「そう言われたら、ご自身で考えてください、と言います」(どこでそう言っていたかわからなくなった。探しときます)
「そのような意図(『ニセ科学』を一種のレッテル貼り)はない。講演でもウェブサイトでもそのような方向性ははっきり否定している」(伝聞ですが、技術系サラリーマンの交差点さんのとこですね)[補正:2007.8.27]
と言われているけれども、一般庶民(ニセ科学批判を見ている、非「科学業界」の人たち)は、それでは納得しないのではないかな。グレーゾーン前提だと言われても、一般庶民は肩すかしを食わされたように思うだろう。
だからと言って、きくちさんのニセ科学批判を批判しているわけではありませぬ。いくらご本人が否定しようとも、そのような構図があるということを認識していただきたいなと思うだけです。
ただ、きくちさんの話をわざわざ聞きに来る人はそもそもニセ科学に引っかからず、ニセ科学か否かの比較的合理的な線引きができる人たちであり、、、まあ、言うだけ野暮ですね。
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翻って、竹内薫さんがニセ科学について、
「あえて「ニセ科学」という言葉は使いません。みんなが正しいと思っていることがひっくり返ったり、その逆が実際にあるからです。
(中略)
やんわりと科学データの欠如を示したり、ユーモアで包んで「私はそれは危ないと思う」と自らの意見として批判するのが大人のやり方ではないでしょうか。」
とおっしゃっている。
これについては、いや~、現状はそんなユーモアが通じるような生やさしいもんじゃないらしいですよ、と言っておきます。
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ニセ科学をめぐる見方に、きくち座標と竹内座標というものがあるとしましょう。お互い座標軸が微妙違うので、お互い、それは違うんじゃないか、と言っている状態なのですよ。「俺は点(X1,Y1)のことを話しているのに、なんであんたは点(X2,Y2)を持ち出すのか」と言っているのです。でも、きくち座標が絶対なわけでも、竹内座標が唯一のわけでもありません。2つの座標を持っていれば、網羅できる範囲は大きいし、apj座標とかJosephYoiko座標があれば尚よいでしょう。それで大事なのは、これらの座標は、ずれていても、1単位程度で(X,Y)がいきなり(-X,-Y)になることはないということです。1つの座標に精度や公平性を求めるのではなくて、確からしいいくつかの座標を用いた方が議論としても良い方向に向くでしょう。
追記:2007.8.27
※1.Yoikoさんのエントリに多少いんすぱいあ~されました。
※2.レッテル貼りについては上記のように考えていますが、技術系サラリーマンの交差点さんと意見は異なります。多種多様な聴衆の「受信具合」まで想定はできない。
※3.先週から関連同時並行されている各ブログの「ニセ科学批判」批判の話を網羅しているわけではありません。元々そのつもりないし。竹内薫氏の「科学仮説論」との関連を自分としてクリアにしときたいだけなんで。表題どおり、「白黒アタマ」に関する考察です。
今日のエントリは何なのかって?わかる人にわかればいいんです。アマサイ自身の考えを整理するために書いているだけなんだから。ぷちっとな。【押す】≪コメントはここ≫
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アマサイが心配しても仕方のないことなのだけれど、
なんたらの鬼という人が『99.9%は仮説』を引用して自分たちの健康法・美容法も「白の仮説」に違いない、なんて言ってますよ~、これをもってして、竹内薫はニセ科学擁護者と言われるのが心配です、
と竹内さんが読むであろう場所に書いておいた。
翌日、竹内さんからコメントが書かれていて、
私は白と黒ではなく、グレーゾーンとして科学の世界をみようと提唱しています;もちろん、私はニセ(?)科学と呼ばれるものは採用していません;私を誤解する人は白黒アタマの人ですから、心配しなくて大丈夫ですよ、
とお返事してくださった。
なんだか、一安心だ。竹内さんは20年近く言われ無きバッシングをうけてきたのだから、こういうことはたいした問題ではないのだろう。竹内さんは極論を嫌うのだけれど、なぜか彼の著書は極左?にも極右?にも悪用されやすいのだ。
すぬー「アマサイちゃんは"気にしぃ"さんだよ。竹内のおじちゃんは強い子だから全然大丈夫だよ~」
ところで、ニセ科学批判に熱心なapjさんのブログで、
前期、「科学とニセ科学について考える」という共通教育の講義をしたのだけど、その時にどう答えたらいいか、ちょっと迷った質問がこれ。
「温泉はニセ科学ですか」
温泉に行くと、リウマチに効果があるとか何とかちょこっと書いて貼ってあるアレがニセ科学と呼べるか?という質問である。
(中略)
普段使っている「ニセ科学」の定義は「科学を装うが科学でない」というものである。温泉について考えるなら、まず、温泉の効能書きのあり方が「科学を装う」にあてはまるかどうかを考えないといけない。
(中略)
こう考えると、温泉の効果は、文面上は病気に効くことになっていても、科学を装うということにはあたらないと考えられる。だから、「温泉がニセ科学ならショックだ」という学生さんに対して、「科学を装う状態にはなっていないから、普通はニセ科学だと批判するような対象ではない」と答えたのだった。
まあ、そういうことになるだろうな。本人たちは明確な基準は存在しないor基準は複数ある、としながらも、ニセ科学を批判するということは、ニセ科学/科学になんらかの線引きがあることになる。しかし、温泉は科学なのか?と問う懐疑主義って本当に科学的思考なんだろうか(やはりコメントの後の方に、温泉はニセ科学か否か問わなくていいんじゃないか、という方がいた)。そうなってくると科学とは何かという定義が必要である。一般的に、客観的データを示せる、法則性が見いだせる、というのが科学の定義と了解されているが、まだまだ、「科学とは何か」という問いの解答は得られていない。それは科学哲学者とか科学論者の範疇だから、科学の現場にいる人たちは、前記の定義でかまわない。しかし、科学自体にグレーゾーンはつきものだということを認識しないと、させないと、(本人たちがそう思わなくても)悪しき科学絶対主義者として振る舞ってしまうことがある(グレーゾーンありきで我々は発言している、とはおっしゃっているけれども、、、)。
そういう意味で、竹内さんの「仮説」を説明した著書は、重要である。また、それは、ニセ科学信望者に利用されることも否定できない(心配しなくても?99.9%は出版当初からニセ科学擁護する本と陰口されていたらしい)。敢えて「お前たちのことは言ってない!」と書くわけにもいかんし。99.9%には黒(黒に近いもの)としてマイナスイオンのことも書いてあるはずなのだが、ニセ科学さんたちは、自分たちはその事例ではなくて、ガリレオの事例に当てはまると思っているみたいだからな。
( ̄▽ ̄;)
そんで、きしくも、数日前に社会学玄論さんが、
しかし、科学を絶対視する点においては、疑似科学もそれを批判する者も同じ観察点にいる。この盲点に自覚的な論客は少ない。多くの疑似科学批判論者は、疑似科学批判の背景には、科学が成熟社会=後期近代社会のイデオロギーとして機能しているという社会学的真理があることを理解していない。言い換えれば、自己の理論の前提に盲目なのである。学問的には、このままでは、目くそ鼻くそを笑う域をでない。
と書いて、apjさんやきくちさん達に叩かれた格好になった。
これは、きくちさんの
(1)
補足すると、同様にどう考えても「と学会」の本を読まずに「と学会」批判を書いているとしか思えない本に「トンデモ科学の世界」(竹内薫・茂木健一郎)があります。考え方は井口さんとほぼ同じで、「と学会」に関して「科学の世界が、つねに白黒のつく○×世界だと思っている」といった表現で批判しています。読まずに批判しちゃだめだって言ってるのに。
僕らは「グレーゾーン」に言及しているし、田崎さんが書いたシンポジウムの趣旨にも「グレーゾーン」のことが書いてあるんだよねえ。
(2)
「99.9%」読みました。
よく書けてる部分も多いし、仮説にも白から黒まであるって書いてありますね。正直、僕が書きかけている文書と共通するところもかなりあって、困りました(^^;
ただ、真っ白な仮説や真っ黒な仮説が後にひっくり返った例を挙げることに一所懸命で、肝心の「真っ白な仮説や真っ黒な仮説がひっくり返る可能性は極めて低い」という"重み付け"の問題がほとんど無視されているので、それは賛同しがたい。まずは"重み付け"、それから、「とはいっても」ということでないと相対主義になっちゃう。
IDの扱いはやっぱり無邪気すぎると思いました。
というコメントの構図に似ている。
このばやい、竹内ファンのアマサイだが、きくちさんの言うこともわかるので、苦しい立場?である。
(アマサイが、kikulogに乗り込んで竹内薫の著作の正当性を訴えたところで通じるわけもない。両者は別のベクトルなのだから。今頃分かったアマサイ。でもさ、自分が尊敬する人と尊敬する人とはわかりあってほしいと思うのが人情だよねん)
また、アマサイは、社会学及び社会学者の言うことは信用していないので(あれってそもそも社会「科学」なのかよー)、 社会学玄論さんには、apjさんやきくちさんと同じつっこみをしていただろう。
すぬー「アマサイちゃんはネットのTPOがよくわかっていないので、よそのおうちにはあんまり行かないんだよね」
今日は変な構成、変な終わり方でしたね。ぷちっとな。【押す】
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脊髄反射と予定調和である。
------------------
アマサイさんの記事に脊髄反射してしまいましたぁ~
って、どういう日本語だよ、と思ったら結構使われている。
でも、即座に反応しちゃいましたぁ~
っていう意味だろうが。医学用語みたいの使う方がかっこよく聞こえるのかな。
大辞林 第二版 (三省堂)
せきずい-はんしゃ 【脊髄反射】
脊髄が中枢となって起こる、最も単純な反射の総称。例えば膝蓋腱(しつがいけん)反射、アキレス腱反射、発汗反射など。
全然脊髄と関係ないと思うがな。
------------------
小池百合子大臣が『笑っていいとも』に出たとき、
タモリが「はい、時間です」、観客が「えっ~」、
「あはは、予定調和だ」とおっしゃった。
大辞林 第二版 (三省堂)
よてい-ちょうわ ―てう― 【予定調和】
〔哲〕〔(フランス) harmonie prtablie〕ライプニッツの説で、単純で相互独立的なモナドの合成体である世界は神の意志によってあらかじめ調和すべく定められているのだという考え。
まあ、これは許せる範囲か。それにしたって、打ち合わせ通りですね、いつも通りですね、って意味だよな。
ささいなことに難しい言葉を使っておちゃらける、ってならいいけれど、
つまんないことに過剰な意味を持たせるように使われているように思う。
やっぱり気に入らないな。
===========================
付け加えると前も書いたように「○ニーの遺伝子」という使い方もダメである。創立の精神とか独創の思想とか言えばいいものを、何か特殊な高貴なものを語っているようにみせている。アホである。結局、一代で受け継がれることなく絶えてしまったということだ。
さっきまで、ココログのメインテナンスだったみたいですね。今日も人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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日本が半導体開発製造のフロントランナーでなくなったとしたら、ものづくりにっぽんは崩壊するのであります。安部さん、わかってますか。ああ、でも政府が産業に立ち入らないでください。ろくなことないので。金は出してもいいです。
昨日の『プロフェッショナル』は坂本幸雄さん。
背広にネクタイをしてるからホワイトカラーとわかるが、どっちかっていうと屋号の入った前掛けしてる酒屋のおっさん的雰囲気の人であーる。
アマサイは2年前に「坂本CEOの活躍が楽しみである」と書いているのだが、それどころのさわぎではない。
坂本幸雄なくして、日本の産業は語れないのだ。エルピーダメモリは赤字を解消して世界一を目指している。
自動車は嗜好品だから、いろんな会社が乱立してよいのだが、半導体の市場が韓国に奪われているのは、非常にまったくたいへん深刻な事態なのである。っていうことを坂本さんは一番よく知っているんだと思う。
その坂本さんも心労のあまり胃潰瘍になったこともある。自分の決断で会社がどうなるのかを考えると心配でたまらない。ある日を境に心配しても始まらない、失敗したら早い段階で挽回すればいいのだとわりきると楽になったそうである。英雄にも苦節はあるのですな。
CEOは何をするべきなのか、という問いに対して坂本さんは「うちに来た社員が幸せになるために働くことです。中途入社した人がうちに来てよかった、生活がよくなったと思えないようだと上司としてダメです」と言い切る。
なぜ、そこまではっきりと言い切れるのか。「自分は小さいころからガキ大将だった。ガキ大将というのは、勝とうが負けようがけんかをしなくてはいけない。その際、自分のグループの人たちにはけがをさせていけない。守らなくてはいけない。そういう心理が今も働いているのだと思う。」
はあ、これはやはり体育会系の心意気ですね。
最後に坂本さんはプロフェッショナルとは;
「やっぱり仕事をこうやってて、で、その仕事がきちんとできるだけじゃなくて、プラスアルファのことを考えられると。自分流の何かを乗っけて、その仕事を完成させていくということができる人がプロフェッショナルなんじゃないでしょうか。」
ふーむ、それなら、アマサイもプロフェッショナルの称号がもらえるかもしれん。
社員のためだってよ。少しは見習えうちのCEO。じゃあ、今日も、人気blogランキング・自然科学にぷちっとな。【押す】
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再び日経『ニッポンの教育』です。2月9日
さまよう15歳、成績「中ぐらい層」が崩壊
という表題です。
「成績中ぐらいの生徒が遊びとアルバイトにあけくれる」
と現役高校教師が語ります。
高校全入と言われながら「理由無き」中退も増えているそうです。
高校の中間層、って昔からそうなのですが、今は何が違うのでしょう。
良い大学、大手企業就職神話の崩壊でしょうか。
そのわりに、今から東大に入れる、とか煽っている書物が多いです。
父親の失業で学校を辞める子も多いですね。
何か調査だけを羅列して結論のない記事です。別にそれはかまわないと思うのですが。
格差社会というのはウソです。不況と同じで、格差、格差と言っているとそういう感じがするだけです。格差が今あるなら、昔もあったはずです。現代的現象というならそれを証明してください。
豊かさの蔓延と同時に貧しさも蔓延しているのではないでしょうか。
一家の大黒柱の失業もそうですし、すぐそこに来ている社会保障制度の劣化もそうです。
この記事にあるのは現代的問題ではありません。
1970年くらいからあった心の問題が未だ解決していないだけの話です。
単に不安を煽るだけの記事は止めてほしいと思いますね。
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日経の一面、また教育に関するコラムを始めた。
医科大学専門予備校で面接対策のために志望理由を書かせたところ、
「何で医師になりたいのかわからない」
「ある程度稼げれば医者以外でもいいと思う」
などと書かれているそうだ。
ちょっと正直すぎ(^^;)
20年前も40年前もたぶん、受験生の実体てそうだと思うけど、カモフラージュする想像力がないのかしら。
受験期に、小論文対策の本を読んでいたら、
「医学部に志望者の小論文をみていると、"幼い頃、難病を持っていった弟が医師によって救われた。そのころから医学部を"というパターンをよく見かける。うそではないだろうが、もう少し工夫が必要である」
みたいなことが講師コメントであった。
まあ、それはステレオタイプは好まれないというアドバイスであろうが。
小論文とか面接って学力以外の人間性を問うはずなんだけど、すぐ対策講座ができて、そこで練習すれば、人間性も何もあったもんじゃないんだよね。志なんて計測できないでしょう。
最近は大学受験でも論理的思考を問う小論文もあるらしいので、それはそれで演習をこなして合格しちゃえばいいんだと思う。
そして、日経の記事には、今の若者はあまりに志がないと嘆いているわけだ。年輩の人がそれを言うのはおかしいね。だって、動機付けより、成果(お金)で示せってしてきたのはどこのだれよ。今の10代はどこか日本以外の国から流れてきたわけじゃない。あなたたちと同じ空気を吸い、あなたたちと大して変わらない親に育てられてきたのだよ。それを非難するというのは天に唾することだよなあ。
いや、アマサイも中年に差しかかってきて、
「おんどりゃ~、どこでどうやって育ってきたらそんな口がたたけるんじゃい。親の顔がみたいわい!」
といいたくなることはあるけれど。
学びの本質なんて大学にも社会にもない、自分の心に中にしかないのさ。
(-.-)y-゜゜゜
※これ、タイトル「青雲の志」にしようと思ったんだけど、それって功名心のことなんだね。なんか、若者の清い気持ちの意味かと思っていたのに。
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まあ、私もラブロック博士が来日していたのは知らなかったけれど。
ラブロック博士、ガイヤ仮説を語る。
竹内さんは一ヶ月も前から「ラブロックが来る!ラブロックが来る!」
とマスコミ相手に行っていたそうですが、誰も興味を示さなかったそうです。
「そんな、知らないおじさん紹介しても仕方ない」
という反応だったそうです。
マスコミの人っていつもそうなんだよね。
俺は知らない、隣のデスクの奴も知らない。
∴日本人は誰も知らない。
そんな人のことを一般人に紹介しても誰も興味を持たない。視聴率が取れない。
専門家がそばにいるんだから、知らなかったら、どういう人が聞けよ。
調べろよ。
調べたら、ラブロックが提唱したガイヤ仮説の重要性は今こそ訴えるべきってわかるじゃん。
--------
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=338
地球を、自己調節能力を持ったひとつの生命体(有機体)であるとみなす説。イギリスの科学者(生物物理学、医学)であるジェームズ・ラブロック(1919~)によって提唱された概念。
火星や金星など太陽系の他の惑星と異なり、地球上には20数%の酸素を含む大気が、長い歴史を通じて維持されてきた。この間、巨大隕石の墜落や氷河期-間氷河期の甚大な気候変動など、人為的な影響による環境破壊よりもはるかに多大な影響を及ぼす激しい変動に耐え、「生き延びて」きた。その歴史を、地球というひとつの生命体の自己調節システムによるものとみたて、人為的な地球環境への影響に対して科学技術による即物的な対応を図るよりも地球の大きな生命の流れに沿った判断をすべきとの主張。このような全体論的な地球のイメージは、生態系の固有価値を重視するディープエコロジーに大きな影響を与えた。なお「ガイア」は、ギリシャ神話の大地の女神。
----------
ほんとにまったくな。
巨大マスコミは全部他のものと全とっかえしたいです。
* * *
昨日の朝カルの講義で、
「日本人は科学技術立国と言われながら、科学技術史を知らない。科学が日本にもたらしたインパクトを忘れ去っている。鉄砲伝来しかり、湯川・朝永のノーベル賞受賞しかりでである」
という話が出た。
というより、現代の日本は思想が忌み嫌われている。
科学も、堅い純文学も、思想形態の1つとするならば、そういうことは取り上げてはいけないのではないかとすら思う。
私の浅い記憶では、浅田彰の『逃走論』以来、そういう堅いお話が人々の間に流れることはなくなった。
(別に私は浅田の思想が重要だと思わないし、単にあれは思想をファッション化しただけだろう。しかし、近年はファッションにさえしなくなったのである)
短小軽薄がずっーと続いている。
それに取って代わったもの、経済である。経済成功者が英雄であり、彼の言葉が現代思想なのである。
そんなばかな話ないんだけどなあ。
経済はもちろん、重要である。しかし、経済にリンクしないと話題として取り上げられないのである。
安部首相が提唱しているイノベーションは、科学でも、技術でもない。そうしないと、日本が経済国として立ち後れるからだ。
そんなイノベーションは簡単である。最新計測機器と技術職人を大量に投じれば成し得る(いや、もちろん、おおざっぱに言っていますよ)。
ホリエモンにしても村上にしても経済成功者の言葉は一時のものである。もうそれに気づき、深きにつく、ことを考えるべきじゃないんだろうか。
だから、ラブロック博士の来日は大々的に発表しろ!
朝カルの「ファイヤアーベントを読む」は今後の展開が楽しみです。人気ランキングぷちっとな。【押す】
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まだまだ、コメントが続くししゃ科もの会ですが、
(アマサイは「ししゃもの会」と誤読してまスた。( ̄▽ ̄;)トンデモさんだから語源もべつに追求しなかったし。)
あんまし、いじめんなよ、という気になってきました。
なんか大学の仕事はまじめにやっているみたいだし、学生も「いいおじいさん」と思っているみたいだし。一応、化学工学で学位取っただろうから、その範疇の学識はあるんでしょう。その他に趣味として(本人はこれも本業と思っているかもしれないが)トンデモ科学やっているんだから、それでいいでしょう。そこらへんの水道水とかわけわからん装置を売りつけているわけじゃない、ん、でしょう。知らないけど。
(最新のコメントできくちさんが「善意の人なのだろうとは思います。善意の人の扱いは難しい。」とおっしゃっています。うむ、そのとおりだにゃぁ)
「大学はトンデモ科学者を解雇できないのか」と言っている人がいるけど、それはありえないよ。関係者の方も言っていたが、「トンデモをやっている人を解雇するとなるとその線引きが難しい、定説とならない研究をしている人を排除することにもなり、学問の自由を阻害してしまう」ということであるよ。そんな線引きするほどトンデモさんが大学に多いわけじゃないし。
それにこの人助手だし、定年までもう何年もないでしょ。害っていうほどのことはないんじゃないかな。私はそれより、彼の研究室の親分が彼をどう評価しているか気になるのだが。検索して見つかったが、やけに重い、かつ内容が薄いページであるな(←これは古いやつかもしれません。大学本体から検索したら真っ当なHPが出てきました。こういう目的でこの大学にアクセスする人結構いるよね)。
我々がニセ科学を見破る術を身につければよいわけであるよ。
この助手さんより、
相対性理論は間違っているという原子核物理学専攻の名誉教授とか、
「遊戯」脳とか言っている体育学科の医学博士の方が(かなり×かなり)問題であろう。
それを持ち上げる公共放送出版社とかEvery Day新聞社はもっと(かなり×かなり)問題であろう。
---------
(追記)と書いてみたものの、やっぱりししゃ科もジイサンは許せん。
(^^;)。当該HPの新着情報を見てくらくらしてしまった。
( ̄▽ ̄;)
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秘密結社の同志ryuuzeiさんとこでミニ論争になっているのでちょっと私の考えをまとめておきます。
至極、単純なんですけれども、外部からなんと言われようとも、子供が納得しているならば親の押し付けではない。そもそも、親は自分の考え方を子供に奨励したがるものだ。それが悪いとなったら子育てなんてできないでしょう。ということです。
皆さん、「押し付け」という言葉に過剰に反応なさっているようですが。
子供に判断能力がついてから選択させよ、という意見があるようですが、そんなこと可能ですか。
判断能力とは何歳からでしょうか。親は「進路としてAもある、Bもある、Cもある。その中から選びなさい」としなければならないのですか。普通の一般会社員家庭で(何だかわかりませんが)A、B、Cの枝を用意することはできないでしょう。
音楽・芸事は3~5才ではじめますよね。子供にバイオリンやピアノを習わせたいというのは親のエゴでしょうか。エゴであったとしたなら、それは悪いことなのでしょうか。
また、一流大学に行かせるために、私立・国立の小学校受験をさせる家庭は多くありますが、それって子供の意見なんか聞きますかね?無理やり、押し付け、にならないよう、塾では配慮しますから、多くの子供はやらされている感はないようですが。それはいいことなんですか?悪いことなんですか。
まあ、事例がね、亀田親子に限定されていますから、それの反発が多いのでしょうが。
私も亀田父には好感は持っていませんが、上記の音楽やお受験のように、ボクシングの英才教育はありでしょう。TV見ている限りは「押し付け」られてる気はしません。
あんな男が父or夫だった絶対いやですけれど。よく知りませんが、彼は妻(亀田兄弟の母)と離婚しているらしいですね。女性だったらあんな奴みんな嫌いだと思います。しかし、それとこれとは別です。
亀田父は子供に学校にも行かせてないらしいという情報もありました。それは、「いかんじゃないか、学校には行かせろ」ってことだけです。彼のボクシング教育をそれだけで否定はできません。
なんかね、日本って平和だなと思います。世界には飢えて死ぬ子や年端も行かないのに労働させられたり、売春みたいなことさせられている子もいるのに、こんなことで話題が盛り上がるのですから。
いやいや、日本にも虐待とか幼児殺しとかいじめとか深刻の問題はいくつもありますね。親の「押し付け問題」なんて些細なことです。弱い者が犠牲になる社会は変えていかないといけません。
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http://6813.teacup.com/gripen/bbsに投稿したものに大幅加筆
『99.9%は仮説』が売れるに従って、「竹内薫ってトンデモ科学やってる人だよね」みたいな、ことがあちこちでささやかれている(主に科学関係のネットコミュ)。論拠となっているのは、
茂木氏との共著『トンデモ科学の世界』 と
『「相対論」はやはり間違っていた』に一文を載せているということである(※)。
前著はトンデモと真の科学との境目を論じているらしい。現在品切れ絶版状態なので確認しようがない。今月新装文庫本として出るので、そのときに議論しよう。
後著は前野[いろもの物理学者]昌弘さんが
http://www.asahi-net.or.jp/%7Eft1t-ocai/jgk/Jgk/Public/Color/color-04.html
『はっきり言いまして、この論文はまともだ!(びっくりしたなぁ、もう)』
と言っているように、竹内論文だけ「間違っている」とは言っていないのである。
(後半に余計なことを書いてくださっちゃっているので少し困るのだが)
竹内氏自身が「私はトンデモ好きなんで」と明言しておられるのだが、そのトンデモは批判者がいうトンデモとはわけが違うことは理解できると思う。つまり、竹内薫=トンデモ科学(者)というのは成立しえないのである。
私の疑問は、これらの人たちが、
「正統派物理(啓蒙)書をたくさん書いている人(竹内氏)なのに、なぜ10年も前に分執したものや、共著の一部分をとって、そこだけで判断するのか」
ということなのである。
「いい本たくさん書いてるけど、ちょっと理解しがたいものも1、2冊あるよね」で十分ではないか。
つまり、私は、
----------------------------------
例えば、文学史上にはよく居ますよね、
・98冊は誉れ高い名作であるが、2冊は「なんじゃーこりゃ」という小説家A
そこで、ファンなり、研究者なりは、
その1:「なんじゃーこりゃ」2冊もAの作品である、これも入れて全体を評価してこそ、Aの真価がわかる。
その2:「なんじゃーこりゃ」2冊はAの気の迷い、これは除外してもAの解析はできる。高名な作家だって駄作は書く。
(例え話なので、竹内薫作品に駄作があるといいたいのではありません)
と二通りの解釈があると思うのです。しかし、竹内薫批判は
・この2冊があるかぎり小説家Aはダメだ、
と言っているわけです。他の98冊のどれも参照せずして。
それはおかしいじゃん、まして、科学になんらかの形で携わっている者の見解とは思えない、と私は言っているのです。
但し、例えば、98冊が人権・人道主義を謳っているのに対し、あとの2冊が人種差別、暴力主義を書いているとしたら、その2冊の方が本音じゃん、と言われることはあると思います。でも、それも、あとの98冊を考察しないと得られないことです。
(これも例え話ですので、念為)
------------------------
と言いたいのである。
竹内護衛軍のごとくいちいちネットコミュに言及するのは、もう疲れてしまったので、ここに記します。
別に私は竹内作品ファンだから言うのではなく、あまりにも事実と乖離した説が蔓延しているのに我慢がならないのである。
また、こういうこと、その人の一部の言動を取り上げて全人格を否定するような行為も多く見られるように思うので、一例として書いてみたわけである。
※そういうトンデモ本に一文を載せていること自体、トンデモに加担していると、もっともらしい、ピントはずれなことを言う人までいた。
いや、別にこのことで不機嫌なわけじゃないですよ。毎日上機嫌で生きています。今日も「人気blogランキング」ぷちっとな。【押す】
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いつも見る森山さんとこ
『心にナイフをしのばせて』(奥野修司/文藝春秋)
読んだわけではないが、あまりにも衝撃的な内容なので転載します。
「酒鬼薔薇」事件と似た犯罪が30年まえにあったそうです。
「犯人はクラスメートの首を切り落として殺した。たいした理由はなかったらしい。その後、遺族の家庭は「生き地獄」となった。母は精神を病み、寡黙だった父はさらに寡黙になり、妹は感情を殺した。その後四半世紀がたち、遺族は何とか、その日暮らしをしている。「少年A」からの謝罪は一度もなかった。だが、遺族達は、少年Aも普通の人生は送れなかっただろうと考えていたらしい。しかし現実は違った。国家による少年法の壁に守られて人生をリセットした彼は、大学まで出て、弁護士になっていたのだ。そして今も慰謝料どころか謝罪する気すらまったくないことが、本書に記されたやりとりで示されている。いっぽう、遺族は今でも苦しんでいる。」
加害者、特に少年、を過剰に保護する日本独自の体制が裏目に出ましたね。
うーん、管轄は少年刑務所だったのでしょうか。どういう教育を施したのでしょうか。
「死んだ者はしょうがない、君は生き抜きなさい」
ですか?
弁護士になるくらいだから頭はよかったのでしょう。関係者がこのまま「世捨て人」になるのは「もったいない」と考えたのでしょうか。テストの点が高いと何をしても許されるのか。
彼は自分の将来を守るために弁護士になったのでしょうか。
少年犯罪の弁護なんて絶対にしないでしょうね。いや、してほしくないですよ。
企業法務でばんばん稼いでいるのか。
事実は小説より奇なりといいますが、小説やドラマの登場人物の方がよっぽど良心的ですね。
うーん、やりきれない、やりきれない。
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よく見ている楽しいブログの1つサイコドクターぶらり旅さん
躁の字
「精神科薬広告図像集が、boingboingで紹介されたおかげで、このところ海外から来る人が多い。
「躁」とでかでかと書かれたリーマスの広告に対して、ある人が「単なる図案なのか本当の漢字なのかよくわからないよ。妻もわからないって」と書くと、「興奮した男がトップレスの女に迫っているように見えるよ」とレスがつく。そこにさらに「本当だ、そう見える!」というレスがついているのだけれど…」
元々、漢字は象形文字なのだから、そこから読みとれる形を類推するのは正しい。代表的な漢字を外国人に意味を想像してもらって統計を取るとおもしろいかもね。
以前、日本でも放映していた米国製ドラマ(スーパーマン的なヒーロー物)で、主人公の胸のところに「中」と書いてあった。「中」というより「Φ」に近いのだが。その理由が雑誌かなにに載っていて「東洋宗教的なもの、なにか大法則を表しているように思ったから」と関係者が話していたのが興味深かった。
ところで当該、サイコドクターさんのメインコンテンツの1つである、精神科薬広告図像集はすばらしい資料です。一回見てみてください。誰もが何か重要な発見をすると思います。
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この鬼畜おばさん、こういうふうにネットで取り上げられるのを狙っていたんだろうな。一種の売名行為である。直木賞作家が売名行為するって変だが。変人、狂人の類なんだろう。タヒチに住んでいるから、自分の知名度がどのくらいのか実感できないので不安なんだろう。思っていらっしゃる通りですよ、坂東さん、作品は映像化されてそこそこ売れてるかもしれませんが、こんなことでも書かないと全然取り上げられない物書きなんです、貴女という人は。
日経に限らず、新聞社というのは、下々の者に知識と情報を与えてしんぜよう、みたいな奴らが作っているから、こういうのもありなんでしょうな。バカの三重奏みたいな。
坂東は、これで賛否両論出て、自分が映像メディアに登場するのを見込んでいるのかな。日経を読むおじさんの中には「動物愛護なんてけったくそ悪い」とか思っているのもいるからな。でも、今のところ、賛同者はいないようですが。
しかし、こんな論理破綻した文章よく書けるよ。
冒頭の
「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。 世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。」
と結末の
「もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。」
で、非倫理的な内容をオフセットしたつもりなのだろう。
書き上げたときに、よく書けてる、とニマっとした顔が目に浮かぶよ。自分の酔わないとこんな駄文書けるもんじゃない。
とにかく自分の名前が取り上げられさえすればいいっていう魂胆が見え見えだね。作家としてホラー分野を選んだのもそういうことだね。インパクトさえ強ければ、それでいいと。
日本語ではあんまり区別を付けないが、評判というものには良いものと悪いものがあるって知らないらしい。
ほれほれ、うちのような弱小ブログでも、坂東センセのことを取り上げましたよ。今、日本のネットでは貴女のことで持ちきりですよ。満足でございましょう。鬼畜作家としてまた格が上がりますなあ。
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皆様、どうもです。繁農期は一段落しました。応接室にご訪問ありがとうございます。新しいお客様もいらしているのですが、お返事はもうちょいと待ってください。
* * *
JosephYoikoさんとこで話題になっていましたが、私も性同一障害には考えるところがありました。これは病気といっていいんでしょうか。病気なら治療をしなくてはいけません。脳と体を一致させると治るのですか?脳の認識と体が違うとなぜ脳に合わせなくてはいけないのでしょうか。
おおざっぱにいうと世の中には
・脳が男で体は男
・脳が女で体は女
が大半ですが、希に
・脳が男で体は女、
・脳が女で体は男
の方がいらっしゃるということですよね。
(これくらいの知識にないので間違っているのなら教えてください)
だったら、そういう方がいると我々が認識しなくてはいけないですよね。
腕が片方ない方、目が見えない方がいらっしゃるという認識することと何か違うのでしょうか。
性同一性障害:小2「女児」として学校生活
『母親が近くの病院に相談したところ、「男女を区別せず、本人が望むようにさせてみては」とアドバイスされたため、』
それって女児として、ってアドバイスされたわけじゃないですよね。
『通っていた保育園に女児の服装で通わせ、プールでもビキニタイプの水着を着せると元気を取り戻したという。』
そういう子って結構いますよ。男の子でもそういうのが好きなんだ理解してあげる方が大切ではないですか。
『さらに体の男性化が進む小学校高学年になるまでに周りの児童の理解力に応じた説明をすることも今後の課題だ」と話している。』
結局そういうことですよね。女の子のグループなのに、「ついている」なんて小学生に理解させるのは困難ではないですか?そういう子なんだ、でわかってあげることですよね。現状だと混乱するだけだと思いますけど。
オンナオトコ、オトコオンナみたいな半端もんじゃなくて♂か♀かはっきりさせろ、戦前生まれの自民党政治家みたいな力が働いていると思うのは考えすぎですか?
今状況は彼の幸せにはつながらないと思うけどな。
この件に関連して、「おかま」とか「おなべ」とか言われる人たちについてですが、水商売以外にはなかなからつけないのではないですか。日本は宗教的制限がないので、そういう性の固有性には寛容だと言われていますが、むしろ、新宿○丁目にいてくれる分には問題ないみたいな明確なる差別なんだと思います。
* * *
想像はつくと思いますが、アマサイは子供のころから男児玩具好きです。グリコのおまけも男の子用の方が良かったし、リカちゃん人形なんてけったくそ悪くてできなかったです。プラモはしなかったですが、ウルトラシリーズの戦闘機とか大好きでした。ズボンをはいていたのは、その方が動きやすかったから。スカートはすーすーしてなんとなく不安。
だからって性同一障害疑惑かけられたら迷惑です。まあ、女子は女子らしく振る舞うのを恥ずかしいと思う時期があるというのは結構著名な認識様式ですから、心配ないか。
.....振る舞うのを恥ずかしいと思う時期、、、
ひょっとしてアマサイ三十路をだいぶ過ぎているのにまだそれが恥ずかしいのか。
( ̄▽ ̄;)
* * *
なんて書いていたら不意に小学校4年生の担任の清家はずえ先生のことを思い出しました。1学期の通信簿に
「女の人には珍しく、社会や理科などの考える科目が得意ですね」
みたいなことが書いてありました。
「女の人」
アマサイは10年間生きてきて一人の人間として自分を見てくれる人に初めて出会いました。そのときまで、社会や理科が好きと自覚したことはありませんでした。また、考える科目、と書いてあるところにアマサイの知的な部分(もちろんそんな言葉は知りませんが)を高く評価してくれているのです。
(母も「女の人って書いてあるねえ。ふーん」と感心していました)
作文は得意ではありませんでしたが、清家先生が作文を重視する教育方法だったので、毎日なにかしから書くようになり、書くことに苦痛がなくなりました。清家先生は「アンテナをぴかぴかに磨いて文章を書きましょう」と言われていました。私の作文の講評にも何度か「アマサイさんのアンテナはぴかぴかですね」みたいに書かれていてその度にほっこりうれしくなったものです。
教育って人が人を育てるっていう原点なくしては成り立たないと思います。前述の問題は確かに難しいですが、安易な選択は避けた方がいいと思います。
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「ためしてガッテン」が振り込め詐欺を特集していたので、見ていた。
こちらから名乗らず、相手名前を聞くなど、これまでに言われてきた対策は役に立たない、と言われてちょっと気になった。さらに再現ドラマで、年輩の女性が「うそでもいいから振り込ませてください」と銀行で話しているのは、驚愕である。それもおかしいと思いつつこうなってしまうのだから恐ろしい。
ここでは、「確証バイアス」というものが働くのだそうだ。
自らの予測を強めるような情報を選択して取得しやすいという認知様式
このばあやい、でもひょっとすると、息子は本当にサラ金業者に捕まっているのかも、と思うとそれを裏付ける情報ばかりを収集するのだと。
そういえば、昨年は「正常性バイアス」をお勉強しました。
我が家も気をつけねば。
「お母さんも気をつけてくださいね」
「そうね、私だまされやすいから。お金ないなんていうと、サラ金に借りてこいとか言われちゃうわよね」
「そ、そうですね」
あんた、そこまでわかっているなら。。。
「何かあったらすぐに私の携帯にかけるのですよ」
「そうね、わかったわ。ところで、また携帯の使い方わかんなくなっちゃたのよ」
あんた、買ってから1年以上経つというに。
めちゃくちゃ心配である。( ̄▽ ̄;)
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竹内物理塾でのご学友?水谷さんがおもしろいことを書かれていた。彼は東大神経生理学教室の助手。
●2006年05月16日 運動不足のブローカ
「発話をするというのは運動するのと一緒だ。(中略)発話に関係する言語野(ブローカ野)は運動野に近い、逆に意味を理解する言語野(ウェルニッケ野)は体性感覚野に近い。その他、読み書きの中枢と呼ばれる言語野も広義的にはウェルニッケに含まれる。つまり、言語野で運動性のブローカ野だけは前頭葉に孤立しているわけだ。ブローカ野はそんな孤独にも負けず、発話に関係する運動器官を巧みにコントロールし、言葉を出力している。場合によっては、うまく表現できない時もあるだろうが、彼はどんな時も必死になって、必要な情報を音声に変換し続けているのだ。会話がうまい人は運動神経がいいのではないだろうか。」
なかなか素敵な文章なので長めに引用しました。
スポーツをすると脳のなんたら機能が発達して頭がよくなる(うーむ、著しくタスクを省いたプロセス説明である)、と聞いたことはある。そういう脳領域の関係があったのね。
アマサイは何度書いているように、運動音痴なので競技スポーツコンプレックスである。運動神経も悪いに違いない。アマサイ的には、スポーツマンは肉体的自信が話すときにも裏づけとなって、会話がうまくなるという仮説をもっているのだが。一部には当てはまるでしょ。
アマサイは時々話が上手だといわれる。アマサイはもともと無口で恥ずかしがり屋さんである。そこの君、今笑ったね。表にバケツ持って立ってなさい!
人並みにおしゃべりができるのは、本をそれなりに、平均値より高い量、読んでいるからだろう。それも子供のころから、小説も好きだけど、ノンフィクション、説明文、論説文、新書版がより好きだったからでしょう。インプットがあるからアウトプットできるということです。
ええ、だから、高校生のときに書き言葉で話すと友人にいわれてました( ̄▽ ̄;)。
まあ、大人になってからはディベートを学んだのでその影響は大きいでしょうねえ。仲間からはディベートスピーチと日常会話とのギャップが小さいと言われています。これに関してはあまり追求しないように。
発話能力は、鍛えれば、誰でも習得できるということです。
ところで、女性は男性より発話能力に優れている、おしゃべりである、と言われていますが、これはどうしてなんでしょう。ブローカ野が違うんでしょうか。
追記:水谷さんが『2006年05月18日響かない振動』のエントリで私の疑問に答えてくれています。ありがとう、水谷さん。
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土曜は秘密結社、(おお、P秘書室長に宣伝するように言われていたのであった)シュレ猫文章倶楽部の極秘会合であった。
(なぜ極秘であるか>自分)
倶楽部に入れていただいて約1年、やっと作品を提出したアマサイである。小説を書かれる方が多いのだが、アマサイは書評と時事エッセイみたいのを書いた。
前者はこれをちゃんと書評っぽく書いたもので、後者は知財ネタである。
ブログでたくさん書いているんだから、それを出せばいいじゃないですか、とも他の方に言われたのだが、ブログなんて落書き、雑談みたいなもんだから(私のばあい)作品にはなりません。最近はきちんとした文章を書くことを前提として草案メモみたいになるようにしている。
10人くらいがアマサイの原稿読んできてこれから批評を、というのはかなり緊張したが、小説と違ってつっこみどころがないせいか、書いた文章を元にミニ討論みたいにして終わり、ほっとした。終了後、特許のことって知らなかったけど、アマサイさんの文章でよくわかりました、と言ってくれる方がいてとってもうれしかった。
小説書けるといいようなぁ、と思って会員になったのだが、しばらくはノンフィクションで書くお稽古をして、物語にシフトしていきと思う。
小説はどうやって書くのか、話題になった。
竹内先生は「頭の中に浮かんでくる、妄想ですかね。妄想好きの人は小説書きやすいですよ。」とおっしゃっていた。
そ、そうなのか?
登場人物を設定するとそれらが各々話し出すので、それを紙に起こしていくという作家は確かにいる。一種の病気のような気もするが。
プロ作家A見さんは、今ほどではないが、駆け出しのころからプロットから作っていたと言われていた。人物や場面設定をきちんとするそうだ。映画監督みたいだね。
小説家には妄想癖型と監督型がいるらしいことがわかった。
アマサイは、
妄想はするが、それじゃあ、文章は書けないので、
妄想治療中の監督型といったところでしょうか。
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何かを修得する場合、弱気になったり、落ち込んでは絶対にいけない。私の場合、特許とか技術のお勉強だが、研究でも技能修得でも同様だと思う。ああ、ダメだ、自分は何でこんなことができないのだろう、何でまた失敗するのだろう、と考えないことである。考えるなとは言っても、真面目に取り組めば取り組みほど、そういう心境になってしまうものだ。若いとき、十代、二十代のときは特にそうである。私も今より若いときはそうだったし、うつ気質であるので尚更である。
それはどうすれば直るのか。そんなことは私が教わりたいくらいである。ただ、自分で呪文を作るのは案外効果がある。
「なんちゃ、ない、なんちゃ、ない」
「こんなの1回や2回でできないのが普通だろ」
みたいなのである。自分で「開発する」のがコツといえば、コツである。
人間というのは意外に暗示にかかりやすいので、自分にあったものを見つけるとなかなかよいものである。
誰でも、昨日より今日は年を取り知恵がつく。そのくらいの創意工夫はやってもよいものだろう。
経年によって、たいていの人がそれがうまくなるので、どんな人でも、私のようなネガティブ傾向の人もちょっとのことでは落ち込まなくなる。また、落ち込んでも復活が早くなる。中年以降の手習い・勉強が案外うまくいくのもそのへんに理由があるのではないだろうか。記憶力の低下など大した問題ではない。
また、あまりその修得すべきことにこだわらないことである。それが仕事だったらそうはいかないではないか、と思うかもしれないが、それで失職しても、飢え死になどはしない、くらいの気構えが必要である。
昔、女子高校生がダイエットに失敗して自殺したという記事を読んだことがある。私は彼女の気持ちがすごくよくわかる。大人たちは、少しくらい太って死ぬことはないじゃないねえ、なんていうけれど、彼女にとってはそういう問題ではない。節食もできない意志の弱い自分がこの先、きちんと生活していけるとは思えない、という風に別のとこにリンクさせてしまうんではないかと思う。特に若いころはネガティブリンクをすぐ発生させる(心理学なんて知らないけど、そういう学説あるんじゃないか)。そういう意味から言うと十代、二十代初頭までは危険な年齢である。今は精神年齢が低下しているから、30ぐらいでも、そのような状態になってしまうのかもしれない。
別に太っていたって、勉強できなくたって大した問題じゃない、と思い切ることである。
思い切りながらも、自分の目標を虎視眈々と狙う、それが大人ってもんじゃないかなと思ったりもするのである。
まあ、簡単なもんじゃないけどな。
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今日のお勧め:やっぱり物理が好き 更新は頻繁ではないけれど、サイエンスに真面目に取り組んでいるさとみさんのブログです。応援してあげてください
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12chの『カンブリア宮殿』っておもしろいよね。
・岡野工業代表社員 岡野雅行さんと
・ミクシィ社長 笠原 健治 & はてな社長 近藤 淳也
の回を見た。
IT社長二人は、ああ、今時の若者だなと思った。村上龍の受け答えが「年長者」じゃなくて、「長く生きてる青年」であるのがさすがだなと思った。
アマサイは昔の龍作品のファンである。
岡野さんは人柄が画面からあふれてきてとてもよかった。
オーディエンスが中学生というのもおもしろい。
職人は大学なんか出たら使いものにならない。
そうだろう、と思う。岡野さんは余分な知識が付くと技術が上達しないという意味だろうと思う。
それプラス、熱いうちに打つということだろう。
中学を出てすぐ就職する人も私の同期の中にもいて、
16歳から10年経って26歳、それで一人前になるってすごいなあ、と思った。まあ、高卒で始めても29歳だから、いいんじゃないか。なかなか10代で進路を決めるというは難しいが。30になっても自分が何をすればいいかわからないなんて普通にいるからな。
村上龍が岡野さんの言を受けて
「カーエンジニアの友人が、高校中退くらいが一番いい、大学の工学部を出た奴は使い物にならないって言っているんですが、そういうことですよね」
と話していた。
この番組さ、やっぱりNHKの『プロフェッショナル』にぶつけてきてるよね。
時間帯は違うけどさ。( ̄▽ ̄)v
うーむ、クオリアおじさんは村上龍に勝てるだろうか。
追記:『プロフェッショナル』を見ていたら、我が母が
「茂木先生ってコンタクトにしたのかしら。今日は眼鏡かけてないけど」
と宣られた。
「へっ?私実物も何回か見たことあるけど眼鏡はかけてないと思うよ」
「あら、そうぉ?眼鏡してたと思うけど」
お母さん、どこの茂木さんのお話をなさっているのですか。
皆さん、母は誰と間違えていると思いますか。おわかりになる方はアマサイにご連絡ください。
( ̄▽ ̄)v
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養老孟司先生のお言葉。
親がこう育ってほしい、ああいうふうになってほしいと思っていろいろやっても、子供は自分の持ち味を自分で育てていく。親がどんなに「邪魔」しても親の思い通りにならない。赤い大きな花になってほしいと思っても、青い小さい花なのだから、そうなるわけはない。親は青い小さな花になったことを喜ぶべきなのだ。
という意味らしい。
今の世の中、こうすれば、ああなる、ということが多すぎる。基本は、やってみなければわからない、である。
その通りだと思いますです。
* * * *
追記:060424
22日の教育テレビの子育て情報番組で言っていたことです。
なぜこれを引用したかというと、
子育てにおいて親の責任を問いすぎると思うからです。
もちろん、子供の第1環境なのですから、それは問われて当然です。
しかし、未成年が犯罪を犯した場合、
反対に、才能を伸ばして第一戦で活躍している場合、
親がどうやって子供を育てかを詮索しすぎる。
よくも悪くも子供はそれぞれの資質を自ら培っていく。
親は軽い添え木でしかないのでは。
子育ては結果論です。こういう過程があったから、こうなったとは言えないと思います。
また、韓国のニュースで「親の理科科目の無理解が子供に大きな影響を及ぼす」というのが最近ありました。この場合、親よりも、社会や学校の影響がより大きいと思います。同じ儒教国家だから、思考方向が似ているのかなとも思いました。
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ご贔屓の作家が公に広く認知されるのはうれしいことである。
もう、東野圭吾を語るときに
広末凉子主演の『秘密』の原作者の人と言わなくて済む。うれしいぞ。
これ、賞を取っていなかったら、
藤木直人くんの出た『ゲームの名は殺人』の原作者の人でも、無理であろうし、
山田孝之くんと綾瀬がでてる『白夜行』の、なんて言ったら返って知名度を低くするのではないかとさえ思う。
こやつもどうやら、読み始めているようであるし、
やはり、直木賞は偉大である。
で、竹内薫著『99.9%は仮説』である。
(ここでは物理学の私の師匠というより作家という距離をおいて語る)
先週18万部を突破したのだが、どうも複雑である。
竹内氏もメジャー作家、と思うが、やはり複雑である。
ここまで落とさないと本というのは科学書というのは売れないものなのか。
まず、字が大きい大きすぎる、絵本じゃないんだから。
内容も微妙に薄まっている。
もちろん、日本屈指の科学作家たる竹内氏であるから、コンセプトを押さえて、わかりやすい文章にしている。
が、しかし、ここまで易しく書かないと本いうのは科学書というのは売れないものなのか。
『よくわかる最新時間論の基本と仕組み』だってやさしいぞ、よくわかるぞ。
『物質をめぐる冒険-万有引力からホーキングまで-』だってやさしいぞ、よくわかるぞ。
まあ、『仮説本』は物理とか宇宙とかに限定せず、科学全般に言及したところがうける理由であるが。
実は、仮説という言葉ですべて括るのもあまり感心しない。全部仮説と呼ぶには無理があるんじゃないの。うまいカテゴリーつくり(簡単にネーミングと言ってもいいだろう)は、難しいことを伝達するのに優れたツールである。『バカの壁』もあれは単に書名の「発明」ではなく、全てのことを「バカの壁」でカテゴライズしたことに意義があると思う。
でもそんな安直な作り方で売れていいのだろうか(これは編集段階のことであって、竹内氏が手抜きをしたのではない)。
長年(?)のファンとしては、また度々、この手のものを要求されるのではないかと心配である。人間の能力は有限である。竹内氏も自ら中年であると言っておられる。時間も有限である。そんなものに腐心するよりも、専門書と啓蒙書の中間に立つちょびっと専門的な科学書をこれからも量産していただきたいと思う次第である。
これは老婆心、または取り越し苦労というものであろうか。
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日経2月22日「私の履歴書」ジャック・ニコラウスである。
「弱肉強食に等しいプロの世界において、ゴルファーたちは皆、精神的に不安定になるものだ。そんな時、最も重要なのは心を落ち着かせることだ。そのために必要なもの。それは目の前の相手を思いやり、その苦悩を理解し、勇気付けてくれる存在である。プレーヤトから見て、理想のコーチとはそういうものだと思う。もちろん、私の場合、それは生涯の師と仰いだジャック・グラウトだった。」
そして、彼は1988年「二十世紀のゴルファー」に選ばれた。
その場に出席できなかったグラワトに手紙をもらう。
「親愛なるジャックヘ(中略)
今まで、この世界で最も偉大なことはスポーツにおいて、素晴らしい結果を残すことだと思っていた。しかし、考えをめぐらした結果、それよりも偉大なことはスポーツマンシップを極めることだと悟った。君の両親はそのことを君に教え、だからこそれまで勝つことが出来たのだと思う」
この手紙はグラワトの遺言となる。
やはり、スポーツの世界、つまり超現実的な世界であっても
「心こそ大切なれ」
ということです。
うん、今日は良い話なんでコメントなし
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コメントはありませんが、
ランキング、
sachiさん、エコロおじさん、アマサイの三つ巴、7,8,9位を巡回しています。
うっ、特に支持団体を持たない、independentなアマサイ窮地に陥っています。
下を見れば、新人層のセキララ弟子及び雷老人等がひしめき、
6位は帰ってきたフーテン野郎・エロセキララが障壁となっています。
(中途半端な点数配分すんなよ)
なんか生モノの人多いよね。この部門。
やはり物理帝国主義は落日なのか。
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昨日ETV8で『ラストエンペラーの弟』を見た。http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
愛新覚羅溥傑の二女・嫮生(こせい)さんが両親の辿った道を行くという設定らしい。前半が見られなかったのは残念だった。
日テレのかつての「教育番組」『知ってるつもり』取り上げらていたし、
去年ドラマにもなったのでだいたいの話は知っていた。『流転の王妃』も読んだ。
(竹ノ内くんのうまいとは言えない演技がここでは好感を与えた)
溥傑・浩夫妻、こんな純真な愛と志というものがこの世に存在するのだろうかという大きな感動を持って見ていた。
今回は娘さん(といってももうご年配だが)がその遺志をついでいるのを見て、何か希望を持てた気がする。
溥傑の真心さえあれば、通じ合えるという哲学を私たちは復権しなくてはいけないと思う(これは単なる空想ではない、彼はそれを身を持って実践したのだから)。
中国の日本バッシングも、日本の日中間の過去を粉飾しようという動きもすべては、政治屋に踊らされているだけなのだ。その通りに動いてしまえば、武器を使わなくとも、心は戦場に戻ってしまうであろう。
これは中国の人々も見られるのだろうか。日中戦争も、溥傑の活躍も歴史的事実なのだ。悪も善も自分たちの目で見極めなくてはいけないと思う。
ところで、この物語で気の毒に思うのはラストエンペラーたる溥儀である。精神的に未熟で、民衆を省みなかった彼には大きな過失があるわけだが、彼は彼なりの苦悩があり、改心もしたのだから、そんなに責めるなよ、と思う。これはもちろん、かつて映画『ラストエンペラー』で私のジョン・ローンがっ主演したことに起因する。ジョン、今やってるの?
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今日はおっきいおねいさんと(叔母さんになりたての)おねえさんとみーちんぐをするので帰りは遅くなります、お母さん。
(ネット見てないって)
日経の「私の履歴書」北杜夫氏に変わってゴルファーのジャック・ニクラウス氏である。以前も書いたように、アマサイは本格派運動オンチなので、スポーツには興味はない。かの人もニコルソンと打ち間違えたくらいである(自慢しとるがな)しかし、アスリートの生き方には学ぶ点がある。
「父が私に敢えてくれたことは数え切れない。ゴルフはもちろんのこと、あらゆるスポーツ、身体を動かすことの楽しさを教えてくれたのも彼だ。だが、私が教わった最も重要なことは特定のスポーツ に関する技量やトレーニングなどとは全く別のことだった。それはスポーツマンシップである。「いいかい、ジャック。スポーツをする者にとって、最も辛いのは負けることだ」。彼はこう切り出した。「しかし、ジャック。その時、堂々と勝者を称えることを決して忘れないように。それこそがスポーツマンであり、スポーツの醍醐味なのだから」
他者(勝者)を称えることこそが醍醐味、なんと高い志であろうか。
スポーツだけじゃないけど、精神性を教えることが近年は全くないのではないだろうか。さらに建築偽装工作や科学データ捏造事件を見ても、本人たちは恥じるところがないかのようである。ああ、みつかっちまったよ、ぐらいではないか。
柳田充弘先生は『なぜデータ捏造をするのか』で
「わたくしは若い頃(といっても50才くらいになるまでは)は研究の世界でのデータ捏造事件などにはゴシップとしての軽い興味くらいしか持ちませんでした。(中略)
捏造をする人間は、「確信」してやってるのでしょう。捏造する人間を見つけて、本人の更生を迫り、本人も反省しなければ、一生そのような捏造行為を続けるだろうということです。つまり、データ捏造というかたちでしか、科学に参加できない心的傾向を持った人間がいるということを、知らなければいけないのです」と書かれている。
アンフェアな心で、プロジェクトに【平気で】参加しているという点では、東横インの社長も同じである。建築関係には、「ごまかし」が多いらしいが、検査が終わってから設計変更するなんて悪徳中の悪徳であろう。
捏造・偽装などということは他者を常に貶めることしか考えていない畜生の仕業であり、性善説など全く入る余地がないのである。
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・常に自分は正しく 相手は間違っていると主張する輩。
実社会において、正しい事のなどほとんどあり得ない。立場によって正しかったり、間違っていたりするものである。しかし、正しいと主張しなくていけない場面は多々あろう。それには、方法・手段を選ばなくてはいけない。相手によって言い方言い回しを変えることも必要である。アプローチが間違うと本来正しいと認識されなければいけないことを偽として伝わってしまう。
年齢を経ても、このことがわからない人がいる。困ったものである。
・異質なものを受け入れるべきだと主張する輩
学校ならいざしらず、会社において異質な者など受け入れられるはずがないではないか。協調性のない人間をどう扱えばいいのか。調教師をおけというのか。動物園ではあるまし。どうやら、これには限定条件がつくらしい。異質、変わり者でも、仕事ができ、技術力があるという。集団で生活しているのだから、コミニケーションも仕事のうちである。そして、このような複雑化社会において、いい仕事をしてさえいれば、認められる(※)、他者は認めなければいけないと考えているようではダメであろう。前段のアプローチの問題に帰着する。
異質=優秀という不思議な構造がこういう奴らにある。異質=ダメや奴の方が多いと思うが。大多数は、平凡だが、仕事はそこそこでき、協調性もある、という人間である。そして、会社に最も必要なのは、協調性があり、優秀な人間なのである。どちらが優位ということはない。社会人とは総合判断されるものだから。
こういう輩は、海外では認められるのに、と言い出す。ではどこでも好きなところにいけばいいではないか。中村修二のように。日本は鎖国体制はとっていませんよ。ただ、臆病で我が儘なだけなのである。困ったものである。
※長期的はその法則は有効であるが、他者が認めなければいけない義務はない。
・後継を育成しない輩
始終、自分は優秀だと触れ回っている奴。絶対人を育てようとしません。自分で道を切り開いてきたと言い張るのだ。手取り足取りでないにしても、先輩方のアドバイス等があってできた業績のはずである。会社は全く関与しないとどうして言い切れるのか。会社から給料をもらっているはずなのに。
優秀な人間は、必ず多くの人材を育てている。また、その人材によって、指導した者が優秀だと判断できる。
他者から学ぼうとしない、学べないなら、初めから組織を離れて一匹狼になればいい。長い社会経験をしても、そんなこともわからない。困ったものである。
こういう輩、人の上には立てないので、全体に大きな弊害をもたらすことはない。しかし、いつまでも組織の下層にいるので、多くの若い者が迷惑をするのである。
最もこれ以上に困った人間はいくらでもいる。だから表題は「少し」困った人たちなのである。
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金曜日は、朝カル竹内薫塾(物理編)であった。
二次講義(食事会&飲み会)は、新しく仲間になったSさんとともにお寿司さんへ。
そこで映画の話などをする。Sさんはかなり宇宙論の勉強をしていらっしゃるらしく、Dr.Tに対する質問をなかなか鋭くこちらも勉強になった。
そのSさんのお気に入り映画が『コンタクト』なのだそうだ。
何十回も見られ、ビデオ、DVDももっておられるそうだ。
『コンタクト』を良いという人に初めて会った。SFは大抵酷評されるものだから。
もちろん、原作はカール・セーガンの小説である。
アマサイはセーガン博士を尊敬しているので、当然、原作は読んでいるし、映画も見ている。それぞれ良質と思っている。
で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか『宇宙戦争』の話などもした。『宇宙戦争』の話はここでも書いたけれど、まあまあのでき。夏休みのファミリー映画でしょう。
で、Dr.Tが『ルパン』を見たかったんだけど、見逃してしまってねえ、という話になった。今年はルパン生誕100周年なのだそうだ。アンデルセンも、相対性理論も100周年。どれも盛り上がらなかった。なぜだろう、という話。
ルパンではたと思い当たった。影響力の強い、愛好・研究団体がないからだ。シャーロック・ホームズには、シャーロキアンという愛好団体がある。ルパンは聞かないよね、そういう団体フランスにはあるのかもしれないけど。
アインシュタインなんか、彼の科学業績と平和運動を理解し、広める、っている学術団体があってもよさそうなものだ。アインシュタインファンはあんなにいるのに。
徒党を組むというのは重要なことだ。一人一人では限界がある。組織としてソリッドな形にして目的を掲げなくては、広まるものも広まらないだろう。
学術団体は、ここでいう組織には当たらない。烏合の衆でしょ。何か目的を推進するための組織じゃないからね。ここで述べたように。
* * * * * * *

スヌーピーの弟、マーブルス。兄弟は全部マスコットドール化しているが、一番かわいかったので、購入。
*
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旅館でくつろぐマーブルス。実際の彼はスヌーピーと気が合わないのだが、うちのすぬーとは仲良し。でも、独立独歩な性格は”原作”どおり。
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掲示板でRationale5さんが「理系女性の未来」に関してコメントしてくださったので、少々補足的なことを書きます(個人レスは掲示板にまた書きますので>Rationale5さん)。
女性はまず、花より実をとる、これはあまりよく認識されていないように思います。
かっこうよく見える仕事、楽そうな仕事を女性は選びやすい。
いえ、いえ、そんなばかな、多くの女性は実利主義であることをお忘れになったのですか。お金がそこそこもらえて、週末には友達と遊びにいける生活、つまり、平均賃金の確保は絶対、平日の長時間残業や休日出勤が当たり前のとこなんか望みません。そしてできることなら、結婚・出産の後も働ける、あるいはそれ相当の技術を身につけられるとかいいですね。前者と後者は同じベクトル上にあります。だって今楽しくないのに、将来良くなるとは考えにくいではないですか。
あと、女性は仕事にそんなに依存しません。かっこいい生活、かっこいい人生は、職種で決まるのではなく、自分の生き方で決まるのです。工場でライン作業をしようが、デパートの売り子をしようが、プライベートがしっかりしていたら、仕事もうまくいく、かっこいい生き方ができるんです(工場やデパートを下に見ているわけじゃござんせんよ、念為)。
見た目重視だったら、経理・会計事務なんか女性が離れていくはずでしょ(たいへんだし、計算に向いていないから私はいやです(^^;))。フライトアテンダントが今も昔も人気があるのは、実も花もあるからです。もちろん、実をとると言っても花を捨てるわけじゃないよ。そこも考慮の対象です。
また、女性が職業選択の自由を手に入れたのは、ごく最近だってことはお忘れなく。四年生大学を出ても(女性は)仕事がない、と言われていたのはそんな昔のことじゃないんだよ。
理系研究職はね、ちょっと、実がわかりずらいかな。花のよさをいくら説明されてもピンときません。
また、少子高齢化ですが、「このままいくと労働人口が減って、経済破綻しちゃうぞ」って脅されて、子供産む人っていますか?経済的に大変だというのもあるけど、この世に生まれ落ちた子供は苦労ばかりの人生だ、って思う人が多いから産まないんじゃないの?
デンマークで育児支援法案を成立させた議員が言ってました。私たちは、国民が、家族が、幸せにすごすためにどうしたらいいか、と考えた。その一つが育児休業制度だったと。
・参考URL
http://www.visitscandinavia.or.jp/html/tv/tv2d_m.html
http://www.tokachi.co.jp/kachi/98cam/5_5.html
仕事もその人と回りの人たちが幸せになる手段であるべきでしょう。
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いつものように日経の『私の履歴書』を読もうと思ったら「浮世絵とトヨタ」という表題が目に入った。あれ?今は映画監督の篠田正浩氏のはずだが。浮世絵はともかく、トヨタに何の関係が?監督は、絵師写楽の映像化を計画していた。映画『写楽』の撮影時には浮世絵の使用が欠かせない。当時話題になった生産方法トヨタのカンバン方式のルーツは、浮世絵の作成方法にあるのではないか、と気づかれたのである。
また、篠田さんはスピルバーグやルーカスのSFXにも注目されていた。江戸時代寛政年間の町並みを再現するには恐ろしい程の費用がかかる。そこで、デジタル映像の活用を思いついたのである。フィルム映像と画像処理技術により『写楽』は完成度の高い作品となり、カンヌ映画祭で喝采を浴びる。
意外だった。昔ながらの映画監督の思考とSFXは相反するものかと思っていた。考えてみれば、カメラの性能さえも年々進歩していき、それが映画撮影に影響を及ぼさないはずがないのである。CGだって、その時系列と関係ないものではない。私たち一般人より高い審美眼を持った映画人が評価するほど現在のデジタル技術は優れたものになっているのだ。また、他方で、CGを取り入れない監督もいるわけだが、彼らは、その力を認めているからこそ、排除したいのかもしれない。
「フィルムだけでは映像への民衆の飽くなき欲望に応えようがなくなった」とも篠田さんは述べている。技術は技術者ではなく、芸術は芸術家ではなく、そもそも民衆が作らせるのではないかと考えうる記事であった。
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ヨミウリオンラインより
「文部科学省は来年度から、女子高校生の理工系進学を促進する事業に取り組む。将来の女性研究者・技術者の育成につなげる狙いがある。
(中略)同省はこれとは別に、約2億2000万円を新規に要求し、女性研究者が出産・育児休暇を取った後で研究に復帰できるよう、」
まあ、やらないより良いってか。
補助金は重要でしょう。でも復帰して、以前の仕事そのままやれせてくれんの?
大事なのは意識改革だと思うけど。
独立法人の研究所に勤める人ってすべてに保守的かもね。
日本のアカデミズム自体が保守的だってか?
それを言っちゃおしめぇよ。
私も正直名案は浮かばない。
現状理系の職場を改善して、それをアピールしていくこと。
成功している先輩が増えれば、徐々にでも志望者は増えると思う。
森山さんのいう「かっこいい女性」ってのはたぶん違うと思う。
かっこいいっていうより普通の仕事なんですよ、地道な仕事なんです、企業への進路と同列の選択肢と考えてください、みたいな方がよくなくなーい?
弁護士って法廷で議論することなんかまずなくって、デスクワーク、書類づくりが主な業務だとか、
医者は知的労働者というより肉体労働者だ、とか世間のイメージと実際の差みたいなものは結構知られつつあるが(えっ?そうでもないってか?)、
研究者は外から漏れ伝え聞くことがほとんどないってのが実状ではないの。
技術者は(っていってもいろいろあるけどさ)あんまり問題ないんじゃない?
(技術者=企業の理系会社員って感じ)
職人ってくくりにすれば、女性に向いていると思うよ。
理系研究所の研究者って魅力的な職場と思う?
私は頼まれてもいやなんですけど(誰もリクルートしてこないと思うが)。
たいへんなことばっかりで楽しくなさそう。
研究が好きだから、ってだけでは我慢できないことが多そう。イメージとして。
やっぱり、理系研究自体があんまり魅力でないでは?
「かっこいい女性」より、研究室にはいい男性(イケメンって意味じゃなくて、いやイケメンでもいいんですけど(^^;)人間としてすばらしい方がたくさんいるよってアピールできないと難しいですね、文科省プラン。
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こういうこと書くともてない者のひがみだ、とか見当違いなことを言われてしまう。それほど、恋愛至上主義は遍く蔓延している。
「恋愛」というのは近代文学の中で創造されたもの、と書かれていたのを見たことがある。ちゃんと原典を控えておけばよかったのだけれど。それまでは男女の恋愛というのはなかった、とまでは書いたなかったと思うが、現在私たちが、想定する、自分もしていると思っているのは、文学の中のものを取り入れただけのようだ。
文学史に詳しくない私がこのあやふや原典を元に話すのは無理があるので、これ以上、深入りするのは止めておこう。
今文学に相当するのはテレビドラマや映画のロマンスだと思うが、
「ドラマみたいな恋がしたい」とか
「映画やテレビじゃあるまし」とか
いうことを考えると、私たちの中でも創作物と現実のそれとはちゃんとした隔絶があることぐらいはわかっているらしい。
「恋愛体質」はたぶんドラマフリークなのではないか。「私もあの女優のように愛なくして生きてゆけないの(げっーって感じである)。」あるいは単なる情緒不安定なのだ。
うーむ、ここまで書いたら月の出ない晩は気を付けて歩かないと。
なんで、急にこんなことを書くかというと先に述べた歴史のおばば永井路子さんの『美女たちの日本史』お市の方の章にこうあったのだ。
「この事件(浅井長政と織田信長の合戦)について、お市の方は浅井長政を愛していなかったのだろうとか、兄の信長をとても好きだったらから夫を裏切ったのだろうとか、愛しているとか愛していないという次元で考える方があるのですが、それは間違いです。その前に大名とは何か、その娘とは何か、当時の結婚とは何かということから考え直していただきたい。」
つまり物事を捕らえるときに、恋愛、男女の愛を軸にするのは無理があるだろうということだ。それは、私たちもさすがに認知していることである。恋愛だけに生きていることはできないのである。だからこそ、それを美化して、愛一筋が美しいという幻想を持ってしまうのであろう。
※因みに本著は、美貌とか男性に対する愛情とかだけで、歴史上の女性が語られてしまっていることへの反論でもある。
てなことを友人との日常会話に言ってしまったら、嫌われることは間違いない。もてないとか以前に人間としての情緒がない欠陥人間と思われてします。えー、だからここに書いているわけだけれど。
言っておくが、私は決して異性からもてないわけではない。
ああ、こういうのを負け犬の遠吠えっていうんだな。。。
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漫画家集団CLAMP。
『カードキャプターさくら』なるものを書いている人がそんな名前だということは知っていた。それが複数の漫画家であることを知ったのはごく最近とむ影さんとこの掲示板。
その人たちがNHK『トップランナー』に出るというのでみた。
女性(たぶん30代中盤から後半)4人が映ったのを見て、
ああ、いるいる、女子校には必ずいる女性版おたくグループ。
いつも昼休みとか放課後に集まって見たことない冊子(コミケ誌つーんですか)を手にああじゃこうじゃ言っている人たち。
趣味がそっちに行っているだけでごくごくふつーのお嬢さん方のことです。
アシスタント制ではなく、独立した漫画家複数でグループをつくり1つの作品を仕上げる。マンガ大国日本であれば、容易に思いつくビジネスモデルでありますが、成功例はほとんどないでしょう。ましてアシスタントを使わないなってまずありえない。
漫画家はクリエータですから、独立心が強いはず。完全分業体制はなじまない。補助的な人を雇うにしても話から構成、作画まで一人したいと思うのが人情でしょう。事実CLAMPも最初は6人、漫画家になりたいという理由で2人出ていったそうです(その人たちはいずこ)
メンバーの一人が「漫画家に成れるとは思わなかった。向かないと思っていた」という発言しているのも興味深いことです。
なんで彼女らは成功しているのか。
解答はないですが、女性だけ、というのは一つの要因でしょう。
マンガ完全分業プロダクション制を作ったのはさいとう・たかをさんだそうですが、考えてみれば男の発想って気がしますね(ビジネス的発想というべきか)。女の子は仲良しグループでわいわい・がやがややっていきたい。もちろん、そんなのは学生時代の一時で生業になるとそうはいかないでしょう。
CLAMPはこれからどう変遷していくのでしょう。
なんか絵はさ、うまいんだけど、いかにもコミケ誌出身という感じはしますなあ。
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昨年の『負け犬の遠吠え』という本。
こんなものは売れるわけがないと思った。
30歳以上・独身・子無しの女性は負け犬だそうな。
ふざけんじゃねえ、と思うのが普通でしょ。
でも、そこそこ売れて、流行語になって、ドラマまでできた。
どういうことよ。
本内容は一種の女性論的エッセイになっているらしい。
もちろん、私が読むわけないだろうが。
内容なんてどうでもいい。この負け犬という単語が問題でしょう。
作者が女性で、自分も負け犬だと認めているところが、この単語が流布した要因であるらしい。そして、使っているのも女性らしい。
(らしい、と続くのはテレビでそういっているだけで、私の周辺でそんな用法を使っている人間はいないので)男性が書いたものなら別の意味で否定的な意味で話題になっていただろう。
流行になることを見込んでタイトルをつけたのだとしたら、この作家(or編集者)はかなり偉い。
でもどうして日本人はこう自虐行為が好きなんだろうね。
誰か心理分析してちょうだいな。
なぜ今頃、こんなことを書くかというと先日の日経に米国人の学者(K・キャンベル氏)にインタビューしているんだな、日本の家庭論みたいのことを。
「日本では負け犬と言われたりもしますが」という問いに対して
「米国には『負け犬』に相当する言葉はありませんし、私は結婚しないことが『負け』」とは思いません」と解答するのだ。
そりゃそうだろう。
恥ずかしいだろうが、そんなこと聞くなよ、外人さんに。
日本通だから意味するとこがわかってくれたのかもしれんが。
彼は(日本人)男はもっと積極的に家庭にかかわるべきだと主張している。
ああ、なんでこんなこと外の人に言われきゃならないんだ。
でも、キャンベルさん、「負け犬は男のせい」と断言してくれてありがとう(記者の編集だけどね)。その通りであるし、先進国と呼ばれる国でそんな指摘をうけるのは日本だけでしょう、たぶん。
日本の自虐的表現を世界に知らせるのはやめないさい。>日経新聞
今日の新聞によると、先の本は34万部の売上げ、酒井順子氏は続編を出したようだ。
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ポスドクに関連して。
みんなそんなに報われたいのかなあ。
ここでは主にお金のことですが。
知財関連の勉強会に参加していて(今はほとんど行っていない)違和感を持ったのは「企業内知財担当者から高給取りを」みたいなことを叫んでいる人が多いということです(表現はいろいろ違うけど金をもっとよこせ、ということ)。
いや、お金はほしいですよ、私だって。でも、高給取りになりたかったら、企業にいちゃいけません。ベンチャーでも自分で起こしましょう。知財で食べていきたいなら、資格を取って事務所を開きましょう。これでおしまいです。一点目はこのことです。
○評価されたいなら、報われたいなら、そういう場に行け、そういう場を作れ。
先の勉強会では出世すること、取締役になること、を報われると言っている人もおりました。うーん、なればぁ、と思います。なっている人いるし。
で、どうポスドクの話に繋がるかというと、
日本にいても職がない、っていうなら、海外に行けばいいんじゃないかな。日本の博士号ってそれだけの価値があるんでしょ。皮肉でも何でもなくて、(特に科学)研究したいんなら欧米を視野に入れるのは当然のことです。
日本で職を用意しろと言っている奴らの行動原理がわからん。
二点目についてはつらつら書いたんだけど、ちょっと内輪の話なんで問題ありそうなので止めました。要は成果主義のことです。
成果主義とか導入されているけど、どれほどその評価方法の精度が高いわけ?たぶんどこでもそれが問題になっているんじゃないかな。ああ、これでクレームが書けるか。
○どういう評価をされれば報われると実感できるのか、考えろ。
営業利益みたいにいくら売った、っていう数値が出ない部門は評価難しいですよ。これは誰でもわかると思う。会社の仕事って成果主義がとりずらいのがほとんどと思う。今は学校の先生まで成果を示せ、と言われているらしい。上長に「成果ってなんですか。それが生徒のためになるんですか」と言ってやれ。いや、私は言えないですが。
『理系白書』の話に戻ってしまうが、「社会的に認められる」とか変な言葉に惑わされないよう。社会とか世間って何さ。自分が直接対話できる人間たちの集団が大事なんと違うの。世間では、なんていうようになったらおしまいだよ。
結論:認められること、報われることがどういうことが定義付けをしよう。たぶん、今の組織では不満が募るばかり。自分が評価される場所を探すのが回答である。
大企業・公的組織にいる人って結局あまちゃんなんだよね。
と書いていたら、掲示板にKimballさんがいいサイトを見つけてくれた。
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/tjb/Vol1No4/TJB200212KS.html
良い仕事じゃん、研究者/ポスドクって。実力次第ってことだよね。
包丁一本さらし巻かなくても、身一つでどこでも行ける。
定職がない、悲しい、とか言っているのって日本人くらいじゃないの。
がんばってくださいよ。次世代科学革命のために。
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今期、日経の『私の履歴書』は野村克也監督である。
以前も書いたように、私は野球のみならず、スポーツ全般にさして興味がない。
が、有名人は別である。野村監督は私とって「(スポーツ)タレント」であるので。
特に野球名門というわけでない普通の高校に入る。顧問の先生も野球を知らない方である。しらないが故に、野村を野球の天才と思いこむ。
「野村君はプロ野球チームには入れんのか」
「無理やと思います。スカウトがないですから」
「他に方法はないのんか」
「テスト入団というのがありますが、受けさせてくれるかどうか」
「そうか、どの球団がええんや?」
(以前から自分の得意とする捕手が不足している球団を調べてあった)
「南海がええと思います」
「南海やな、よっしゃ」
と先生は、巻物に筆で「うちの野村という学生を入団させてください」と手紙を書くのであった。
私も年を重ね、感情機能がゆるくなったのか、この話、かなり感動してしまった(涙腺は大丈夫である)。野村の一所懸命な姿がこの先生を突き動かしたのである。
野村自身も書いているように人との出会いは重要だ。いくら才能があっても、巡り会うべき人に会わなければ、開花すべきものもしない。また、さほど自身に力がなくても、出会う人によってその力は何倍にもなる。さらには、自身に人を引き寄せる魅力、福運がなくては、ただ人の間を通過していくだけであろう。
私自身も数々の出会いがあり今日があるわけである。
なーんちゃって、ちょっとかっこつけてみました。
* * * * * * *
どのTV番組も同じビデオを流していた。
はあ、日本のサッカーチームが北朝鮮に勝ったんですか。
ワールドカップに行けると。
なるほど、それはよかった。
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以下ソースはわかりません。
ビリー・ジョエルが
「英語のわからない日本人が私の歌を理解しているはずがない」
というようなことを言ったとか。
”英語もわからないサルどもが俺様の歌を訳知り顔で聞いたり、歌ったりするな”
ということだと思われる。
これに対して、
「ビリーは自分の歌詞は、英語を深く理解しないとわからないはずだ、と考えているのだと思う。だから前言は、非英語国民に対する批判ではなく、自分の作詞に対する自信の現れだ」
と言っている人が複数いるらしい。
たぶん、元はひょーろん家ヤローに違いない。言い方がうざいもんな。
↑こんなことはないと思う。
ビリーの言はそのまま解釈すべきだろう。
彼ら(米国民)は、世の中には、
英語のわかる奴と
英語のわからない奴と
の二種類しかいないと思っているのだから。
日本人のように、自由に話せたり、書いたりはできないけれど、
英文を鑑賞したり、おおよその意味がわかったりする人種のいることを知らないのだ。
洋楽好き、特にビリーのような歌が好きな人は、
歌詞カードの日本語訳で意味を把握したり、
聞きながら、英文をたどって「こういう単語で表現するのか」と確認する
という方法で音楽を楽しんでいるのではないか。
私、そうです。
それに、意味がわからなくとも、英語の音を楽しむという鑑賞法もあるのだ。
「上を向いて歩こう」というすばらしいタイトルなのに、
"SUKIYAKI"なんてわけのわからんものに置き換える奴らにこの鑑賞法に文句を付ける権利はないはずだ。
だから、ビリー、日本人はあなたの歌をちゃんと理解して歌っていますよ、
と言ってあげたい。
ちょっと、蛇足だが、
Queenの魅力、スター性に最初に気づいたのは、
当時、10代、20代だった日本人女性なのだ。
日本人はこのように感受性が豊かでゲージュツを深く理解できる国民なのであーる。
『源氏物語』や浮世絵を作った、Great Japaneseをなめんなよ!
今聞いてます:
"PIANOMAN THE VERY BEST OF BILLY JOEL"
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今日経の夕刊で連載しているのは、エルピーダメモリのCEO坂本幸雄氏。
(名前だけで検索したらいろんな人がでてきちゃいました)
何億だかの赤字を一転して、黒字にして東証一部上場まで果たしたすごいお方。
Mr.Toughnessといった感じ。
私はたぶん『ガイヤの夜明け』を見て知ったのだと思う。
(「プロジェクトX」と並んでビジネスパースン御用達TV番組)
「ビジネスの世界なんてスポーツに比べればあまちゃんですよ。プロスポーツの世界は負ければ解雇ですから」
とおっしゃっていたのが印象的であった。
確かテキサス・インスツルメンツで在庫管理をやっていたのではないかな。
その話はたぶん、今日の夕刊に出ると思うが。
彼の話から体育会系の心意気みたいのを感じた。
よくドラマやマンガでは、
プロ選手だった人がけがかなんかで引退して、
会社社会に適用できず、
人生に挫折していく、
なーんて、エピソードが出てきたりする。
そういうのもなきにしもあらずであるが、
スポーツに徹した人は精神も鍛えられるのではないか。
スポーツばかは元々単なるばかだったのかもしれない。
コント赤信号が、←おお、すげー昔の話だ。
体育教師を小ばかにしたネタをやっていたが、
実際の体育の先生は、校長や教頭になる率が高く、優秀な教師が多いと聞いたことがある。
(だって、管理教育って体育会系そのものじゃないっすか)
アスリート(そうそう、今はこういうスマートな言い方があった)
は実際の競技以外でも潜在能力が高いということか。
坂本CEOの活躍が今後も楽しみである。
ところで、私はよく体育会系出身と間違われる。
登山は少しやっていたが、スポーツとは全く無縁、生来の運動おんちなのである。
だが、このばやい、
「アマサイって体育会系のノリだよね」
って意味なのかな。
うーむ、それは否定しようにも仕切れない。
--------
○参考:坂本幸雄氏のインタビューなどのリンク
http://www.pressnet.co.jp/2004_06/0605_26.htm
http://be.asahi.com/20030906/W11/0020.html
http://homepage3.nifty.com/sasakitoshinao/economist_sakamoto.html
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ここでも言及したが、私はNHKのトップランナーという番組が大好きである。
http://www.nhk.or.jp/tr/
なんと言っても他のトーク番組と違ってクリエターが多く登場するからだ。
物事の発想法が学べる。
先日は「呪怨」の監督さんがゲストだった。
最近、日本映画のハリウッドバージョンを作るのが流行である。
でも、なんでホラーなんだ。それに、日本で作ったやつに吹き替えして配給すればいいだけと思うが。
番組では、
・日本ホラーのようなじめじめとした恐怖感は米国にはないこと、
・やはり、米国人に馴染むような演出が必要であること、
が語られていた。
プロジューサは案の定演出に口を出してくる。そこで監督は
「貴方が言っているの"驚かす"ことだ、僕がやりたいのは"恐れ"だ。びっくりするようなこともするけれども、ここには必要ない。それがだめなら、他の監督を雇えばいい。(そういう日本的なものを求めていたから僕を雇ったのではないのか)」
と返すのである。おお、かっこいいではないか。
また、それ以前のホラーとの違いについて
「隠れた怖さ、見えそうで見えない怖さはもう『リング』なんかでやり尽くされている。だから思い切って、その姿を見せることにした。役者さんをまっちろけに塗ってもらった。これはちょっと際どい。外してしまうとホラーではなくお笑いになってしまう」
と語っている。
こういうのがおもしろと思うんだよね。逆転の発想みたいな。別にホラー映画監督になるつもりはないのだけれど、一種の創造哲学みたいのが伺える。
さらに、俳優さんやシンガーの人がこの番組に出ると、クリエター的側面の話をしてくれちゃうのだ。これはMCの力が大きい。台本があるにせよ、インタビューがうまい人じゃないとつとまらない。武田真治、本上まなみ、結構偉大である。
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